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夢の引越し便 #2-②

僕は家に着くとコーヒーを沸かし、「ティーンエイジファンクラブ」というバンドのアルバムを聴きながらハムとチーズとレタスを挟んだサンドウィッチと、玉葱と人参と挽肉を入れたオムレツを作った。時間はそれほど掛からず、ちょうど食べ終わる頃にノーマンは「BALLAD」を唄い、アルバムが終わった。

テレビのスイッチを入れると相変わらずため息が出るほど下らない内容の番組ばかりだった。ニュース番組さえも、視聴率競争にまみれ、バラエティ番組のように誇張した事実を大声で撒き散らしていた。腐ったエンタテインメント。僕は借りてきたビデオを観ることにした。コーヒーとビスケットをソファーの横に用意し、明かりを消した。
主人公ミッシェルは言う。
「女は8日後にすることを8秒後だと嫌がる。8秒も8日も変わらんのに、、、8世紀でも同じだ。」
そして彼は8つ数える。3、4、5、6、7、7と2分の1、 7と4分の3」
パトリシアの顔にはこれでもかとミッシェルのタバコの煙りが吹きかかる。
その度に彼女は少しずつ老けていくように感じた。
パトリシアは言う。
「ねぇ、傷心と虛無、どっちを選ぶ?」

やがて僕はマユミを思い出す。黒く長い髪、ほっそりとした腕、焦点の合わない目。僕は彼女に何をしてあげられただろう?知恵は絞ったか?できる限りの優しさを見せただろうか?
僕は部屋の隅に無造作に積まれた本の山から電話帳を見つけた。それはマユミと一緒に行った電話ボックスの電話帳と同じ地域のものだった。「ゆ」の行には、忘れ去られたかのように「夢の引越し便』の名前は無い。僕はもう一冊、職業別電話帳を手に取り、「引越し業務」を索引した。そこには3ページに渡り、引越し·運送業務の会社がひしめくように自分達に与えられた称号をアピールしていた。一番目を引くところにそれはあった。ページの4分の1を使った広告だった。
(~~夢の引越し便 あなたの夢を運びます!!~~タカハシ運送·関東第2支店 お見積もり無料
電話000-0000)
僕は天井を眺めた。「なるほど。」と独り言が出た。
あの警官はなるべくして警官になっているんだと思った。歯が立たない。
僕はすぐにマユミにもらった電話番号をダイヤルした。

だが彼女が出ることは無かった。2度彼女からもらった電話番号に電話を掛けたが、午前3時を廻っていたので眠ってしまっているんだと思い、翌朝また掛けることにした。僕は「勝手にしやがれ」の続きを最後まで観て、目覚し時計を8時にセットし、ベッドに横になった。久しぶりに特別な日だった。このまま眠って、目が覚めると何もかも忘れてしまっているかもしれない。忘れていなかったとしても、電話帳が変わってしまって、『夢の引越し便』なんて存在していないかもしれない。僕は目覚し時計の針を見つめながら、今日起こったこと、やったことを1時間単位で思い返し、記憶に焼き付けようと努力した。
多摩川でマユミに会ったこと、授業に出たこと、働いたこと。警官に会ったこと、『夢の引越し便』を見つけたこと。順を追って整理する度にそれは現実味を帯びるのだけれど、僕の1日には思えなくなっていった。まるで「誰かのおかしな一日」のようだ。
僕は天井を眺め、ゆっくりと目を閉じマユミの顔を浮かべた。彼女の空を眺める姿をもう一度想像しようとしたのだが、うまく思い返すことができなかった。
やがて僕は眠りに落ちていた。
そしてひどく気分の悪くなる夢を観た。

僕の記憶を食い潰す怪物の夢だった。
それは形を成さない無色の、しかし圧迫感を感じさせる存在だった。
僕はひたすら暗い道を歩いている。逃げているのではなく、決して立ち止まれない道だった。後ろを振り向くこともできない、不安定な、とても細い、曲がりくねった道だった。
そして僕は背後に怪物をずっと感じている。僕が一歩前に進むたびに怪物は僕の一個の記憶を貪っていく。僕はその記憶が何であったかを僅かの時間だけ味わう。そしてプツンという音を立てて消えていく。
喜び、悲しみ、友情、愛情、さまざまな感情、事実が後頭部の辺りに渦巻き、僕は前進することを躊躇い始める。
記憶が僕に声をかけてきた。
「前に進め、どうせ君には怪物は倒せない。」
「なぜ僕は前に進まなくてはならないんだ?記憶を捨ててまで。」
「君自身が怪物を生み、そして育てたんだ。ある意味ではそれは君自身が選択した生きる道なんだよ。」
少しずつ怪物は大きくなっていく。僕の記憶を食べ、その記憶に含まれる様々な思念、感情が怪物を大きく成長させているのが分かる。
「僕には捨ててはならない記憶が山ほどある。もう一つたりとも捨てられないんだ。これ以上記憶を食べられてしまったら、僕が僕では無くなってしまうだろ?」
「もう一度言うよ。 君が選んだんだ。」
「だったら僕自身でそれを変えられるということだろ?もうたくさんだ。記憶を捨ててまで前に進むなんて。あの怪物を倒してやる。」
「今の君には無理なんだ。君の記憶である僕が理解してるんだから、それは真なんだよ。」
「君は僕の記憶であり、過去だろ?だったら僕の未来に怪物を倒せないなんて分かるはずが無いじゃないか?」
「ほらね。そこが君の問題、すなわち君の選択なんだよ。」
「ん?」
「理解するんだ。怪物を大きくするのも倒すのも僕達『記憶』なんだよ。そして僕達『記憶』はずっとずっと繋がっているんだよ。いずれ理解するときがきっと来るよ。記憶が消えるよりもっとちいさな音で君は知ることになる。その音を覚えておくんだ。今まで以上の記憶力や集中力を使ってさ。そこから新たな記憶が生まれる。怪物を倒す力を持った記憶がね。いいかい君は…。」
僕は揺らぐ足元から逃れるため、また足を前に踏み出してしまった。
また一つ記憶は怪物によって食べられてしまった。
僕は天を仰ぐのだが暗闇の中で何も見出せない。
大声を出しても、涙を流しても、大笑いしても、僕の本意を無視して僕の両足はひたすら前に進んでいく。

そして、目覚し時計は轟音を立てた。僕は寝た気がしなかった。ひどく汗をかいていて、疲れが溜まっていた。シャワーを浴び、髭を剃っても一日の始まりとは到底感じられなかった。
僕はもう一度電話帳を見た。
昨日折り目を付けたページにはしっかりと「夢の引越し便」の広告が出ていた。
僕はわざと大きなあくびをした。
その後さらに大きなため息が出た。
もう一度マユミ宛の電話を掛ける。 5回ベルが鳴り、また留守番電話に切り替わった。
初期設定のアナウンスの後に空しく信号音が鳴る。今度は留守番電話に昨日のこと、電話番号が分かったこと、僕の名前と電話番号をメッセージとして残した。

そこからは何も変わらない一日だった。マユミから電話が掛かってくるかもしれないと思い、ビデオを返しに行っただけでそれ以外は外に出なかった。下らないワイドショーを見ながら洗濯をしたり部屋の掃除をしたり、食器を洗ったりして午前中を過ごした。午後になっても電話は一回も鳴らなかった。唯一夜になって掛かってきた電話は、友人からのテストのスケジュールの連絡とボウリングの誘いだった。僕は何かしらの理由をつけてそれを断り、夕方から煮込んだトマトソースを使ってパスタを食べた。
夜の11時を過ぎてもマユミからの電話は掛かってこなかった。マユミはどうしたのだろう?今日も外に出て「夢の引越し便」を探しているのだろうか?早く家に帰り、僕のメッセージを聞いてくれるといいのにと思った。
僕は以前から友人に借りっぱなしになっていた、ヴィム·ヴェンダース監督の「まわり道」という映画を観た。旅に出て一人前の小説家になろうとしている主人公が多くの人間に出会い、様々な経験をする。途中で出会うドイツ人は孤独について語った。
「孤独は実在じゃない」と。
もっともだ。第三者もしくは客観的自己が彼を指し、 「彼は孤独だ」と感じない限り、彼の孤独さは実証されない。矛盾した論理の中に埋もれる「孤独」という概念は次第にバランスを崩し、最終的に主人公たちの訪問で実感した「孤独」、そして打ち消された「孤独」を求めて彼は自殺をする。それが当たり前のように。
最後に主人公の言う「無意味なまわり道」とは僕が昨夜観た夢に似ているように感じた。まわり道をしなくてはならない理由、記憶を捨てなくてはならない理由。
それは僕達に課せられた決定的なものなのではないのだろうか。
僕はまたマユミを想う。

たった一日しか経っていないのに、僕の想うマユミはひどく抽象化され、どこかの映画に出てきた女優のように華麗な身のこなしをしていた。空を眺める彼女の姿は決して思い出すことができず、僕は自分の薄っぺらな記憶力にうんざりした。僕はマユミからの電話を諦め、ビートルズの「ラバーソウル」を聞きながら眠った。

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