『死刑賛成弁護士』について

前置き 

 先日発売された、被害者支援をされている弁護士の方々が出された『死刑賛成弁護士』という本があります。

 出たらすぐに買って読もうと思いつつ、本の内容や煽りから読むのがしんどいだろうと分かっていたのでなかなか手が出なかったのですが、同業の方の感想をちらほら(私の目にする範囲では批判的なご意見が多いと思います)見るにつけ、読まないでもいられず読みました。

 
 この本、タイトルも帯も(私はkindleで買ったので帯無いんですけど)非常に強い言葉で作られていますが、一般の方や被害者ご遺族に向けて作られているからだろうと思っています。
 というのも、(一般の人はあまり知らないと思いますが、)被害者ご遺族やその支援をされている業界の人々の認識では、弁護士というのは死刑に反対するものだと思われているためです。

 弁護士が全員強制加入して作っている日本弁護士連合会は基本的に死刑廃止を推進しており、2016年には日弁連として死刑制度の廃止を目指すことを宣言等していることを、被害者遺族や被害者支援をしている人たちはよく知っています。どこそこの弁護士会が死刑制度や被害者参加制度にどういう意見を出したか、ということもよくご存じです。

 当の弁護士は、正直日弁連は強制加入で入ってるだけで多くの人は関心もなく、日弁連がなんか言ってても自分とは関係ない、という認識だと思いますが、世間、というか被害者ご遺族の方々はそうはみません。
 被害に遭い、これからどうなるかわからず、家族を殺した犯人はどうなるのか、死刑だろうかと必死で色々調べます。そこで出てくるのは被害者1名ではなかなか死刑にならないという裁判所の量刑基準であり、公表されている弁護士会の出す意見は死刑反対の意見ばかり、唯一接触してくる弁護士は被疑者被告人の弁護人という状況となれば、弁護士すべてが相手の味方で、死刑にも反対なんだという偏った見方に陥ってしまうのも仕方のないところです。

 本の著者の先生方は、そういう被害者ご遺族をずっと、十数年、人によっては数十年見続けてきたのだと思います。そうした人に向けて、弁護士にも色々いるんだ、被害者を支援する弁護士もいるんだというメッセージを込めて、この本を出されたのかなと想像します。

 因みに、本の煽りで入ってる死刑廃止国の犯行現場での射殺については、本の中では特に横行しているという書きぶりではありませんでした。
 死刑廃止国では日本より現場射殺が行われていること(フランス、ドイツで年間十数人)を踏まえ、単に死刑を廃止すればよいのか、それは国ごとに事情をよく考えるべきではないか、という問題提起のようです。

内容について

 新書でそんなに文章量も多くなく、あくまで死刑に賛成する理由をコンパクトに書かれているので、そんなに読むのは大変ではないと思います。
 後半は、具体的な事件の紹介とそのご遺族からの手紙を載せています。
 前半の色々な説明より、後半の具体的な事件の紹介と、そのご遺族からの手紙部分は是非読んでみてほしいと思いつつ、今読んでめちゃくちゃ凹んでいるところでもあり、悩ましいところです。暇で元気なときは暗い気分になりますし、落ちてるときに読むと死にたくなるかもしれません。

 さて、同業の先生方に酷評されているのはその前、前半の死刑賛成の理由をまとめている部分です。ここでは、被害者ご遺族の視点に近く平易に書くため(だと思われます)に、刑事弁護人をするほとんどの弁護士は「加害者の味方」であり、被害者を支援している正義の味方の弁護士はごく少数だという断定から始まっているところは残念に思います。

 実は、 私たちのように被害者側の代理人をする弁護士はごく少数です。日弁連の中にあっては、「絶滅危惧種」と言っても過言ではありません。本来、理不尽な目に遭った被害者を救うのが「正義の味方」ではないか、と多くの国民が感じているはずですが、それとは反対にほとんどの弁護士は加害者の味方です。

 ただ、従前、「弁護士とは国家権力に抗う在野法曹でありかくあるべき」という強い信念で生きてきた先生方から、被害者支援をする先生方が白い目で見られてきた歴史がある点には配慮がいると思います。
 白い目どころか、今は(直接的には)そんなことありませんが、被害者参加制度が始まったときには、被害者支援をしてきた先生方は、「弁護士なのに検察官の横に座るのか」「弁護士が刑事裁判を歪め被疑者被告人の権利を阻害するのか」といった場外口撃を多々受けてきたと聞きます。
 今の、理論で戦う刑事弁護に熱心な若い方は信じられないかもしれませんが、被害者支援をする弁護士は、弁護士会の主流派と呼ばれる人たちから、身内にいる敵として、検察官裁判所以上に目の敵にされながら活動してきた時代が長らくあった(と聞いています)のです。

 お互いがお互いの職責のもとで最大限の活動をする、それについては互いに尊重すべきというのはその通りで、現在多くの先生方は弁護人側でも被害者支援側でもそのように活動されていると思います。しかし、そうではない時代があり、最初にその足の引っ張り合いを仕掛けたのは誰だったのか、ということは振り返ってもいいのではないでしょうか。
 憎しみや怒り、悲しみの連鎖が断ち難いのは、こういうところでも実感しますね。
 
 因みに、刑事弁護の経験者と比べれば被害者支援をしたことのある弁護士はごく少数といっても嘘ではありませんが、この十年で劇的に増えているはずです(少なくとも私の知る限りは)。ただ、被害者参加制度の対象となる事件は刑事事件全体のごく一部しかない上、更に弁護士まで繋がる事件は少ないのが実情です。

 平成29年度の統計で一度おおまかに調べた際の数字で、判決のあった事件総数が延べ5万5000件程度、そのうち被害者参加対象事件は1万件程度(約20%)、それに対し被害者参加弁護士選任数は全国でわずか延べ1000人程です(被害者参加された人数はもう少し多くて延べ1400人くらい)。
 その上、経験ある(支援者と伝手を持っている)先生方に繰り返し事件が持ち込まれるので、どうしても被害者支援の経験のある弁護士は(比較的)少数となっています。

 日弁連の中にあっても決して被害者支援にかかわる弁護士は絶滅危惧種ではないです(多くはないですが)。日弁連の事務次長に被害者支援をずっとしてきた先生が就任されたりもしています。ただ、フォーラム(と解散された「あすの会」)の先生方と日弁連は、上述したような過去の経緯で非常に難しいところがあり、日弁連というものに絶望されている影響も大きいかなと思っています。
 日弁連は、2003年に被害者の権利確立とその支援を求める決議をしました。そして、翌2004年に被害者基本法が制定、2007年にそれを受けて生まれたのが被害者参加制度です。ところが、日弁連は被害者参加制度の新設の際になると、法案の閣議決定や衆院可決、参院可決成立など、法律制定に至る節目節目で反対する意見を表明し、「将来に取り返しのつかない禍根を残すことになる」とまで公言してそれを撤回しないまま今に至っています。そして、実際の運用が始まれば様々な非難があったことは上述した通りです。

 そういう意味では、この本の内容は、少し古い、といってもいいと思います。古いといえるくらい、現在の被害者支援の状況は劇的に変化しています。
 古いのですが、これを読んだ先生方がそうした経緯を知らずに酷評し炎上気味なところをみると(経験年数の長い先生はわりと受け止めてくれているようにみえます)、そういう議論のきっかけになったことで役割を果たしているのかなという気がしています。

 また、特別詳しい科学的データが載っているわけではない(死刑判決がご遺族の心身の回復に資することを統計的医学的に何か調査をしたような話はありません)ので、ご遺族とそれを支援してきた弁護士はこういう認識、感情でいるのだということ以上のものは多くないようには思います。
 ただ、後半に書かれている具体的な事件とそのご遺族からの手紙を踏まえてなお、そうした感情は単なる応報感情であり考慮に値しないものなのか、法益侵害というのは最高裁がいうような抽象的なものであって、個別の一つ一つの命や報復感情はないがしろにしていいものかどうか、考えてみてほしいとも思います。
 
 客観的な調査については、個人的にも気になってるのでまた探して整理したいなと思いつつ、公表されてる資料を追いかけるのも最近してないのでまた調べようと思いつつ、まとまりませんがこの辺で。

以上