同時履行の抗弁権の存在効果の相殺阻止効についての若干の疑問

要件事実論を学習していると登場する「同時履行の抗弁権の存在効果」。
これと相殺の抗弁の関係について自分なりの理解をまとめた上で、わからなくなってしまった点を書きます。
今回は、何かを主張することが目的ではありません。

はじめに

大変ご無沙汰しております。このnoteもだいぶ放置していましたが、あることを書きたいと思い、再開しました(租税法の方も近いうちに再開します)。
というのも、民法・要件事実論を学習する中で自分ではわからなくなってしまったことがあり、読者の方に質問(or問題提起)をしたくなったのです。
そういう意味で、今回の記事は、何か自分なりの主張を書くものではありません。
私の問題提起の要点は最後に書いています。
なお、この文章の問題意識は、私の友人の1人の示唆によるところが大変大きいです。ここに感謝の気持ちを記します。

問題の所在

同時履行の抗弁権

民法を学習した方なら、同時履行の抗弁権という制度が存在することはご存知かと思います。
民法533条が定める制度ですね。

民法第533条(同時履行の抗弁権)
双務契約の当事者の一方は、相手方がその債務の履行(債務の履行に代わる損害賠償の債務の履行を含む。)を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができる。ただし、相手方の債務が弁済期にないときは、この限りでない。

同時履行の抗弁権は、双務契約から生じる各債務の対価的相互依存が債務の履行上の牽連関係という形で具体化されたものだとも言われていますね(谷口知平=五十嵐清編『新版注釈民法(13) 債権(4)〔補訂版〕』頁(有斐閣、2006))
AとBが売買契約を締結した場合において、代金支払債務と目的物引渡債務は同時履行の関係ということになり、一方が債務を履行しない場合には他方も債務の履行を拒絶することができるわけです。

存在効果

さて、同時履行の抗弁権の本体の効力は上で述べた履行拒絶権能ですが、もう一つ重要な効力を有しています。
それは、同時履行の抗弁権の「存在効果」です。
双務契約上の債権に同時履行の抗弁権が付着している場合、その抗弁権を消滅させない限り、損害賠償や解除ができないというものです。

この存在効果は相殺も阻止します。
判例(相殺につき大判昭和13年3月1日民集17巻318頁)もこの見解に立っているといわれますし、通説も同様と考えられています(中田裕康『契約法 新版』156頁(有斐閣、2021))。

つまり、同時履行の抗弁権が付着した自働債権を相殺に供することはできず、同時履行の抗弁権を消滅させることが必要であるというわけです。

要件事実論から見る

このことは要件事実論を学習すると必ず出てくる事項ですよね(ロースクールで初めて知りました。)
要件事実論の基本的な文献が具体例を交えて説明していますので、長いですが引用します。

相殺(民法505条1項本文)による債権の消滅を主張するためには、①自働債権の発生、②相殺の意思表示という二つの要件に該当する具体的事実を主張立証しなければならない。そこで、原告の貸金返還請求に対して被告が売買代金債権を自働債権とする相殺の抗弁を主張するためには、右①に該当する被告と原告との間の売買契約締結の事実を主張立証するときは、この事実が、同時に、相殺の効果の発生に対して障害事由となる。すなわち、右売買契約締結の事実は、当該売買代金債権に同時履行の抗弁権(売買の目的物の引渡しとの同時履行、民法533条)が付着していることを示す要件事実でもあり、同抗弁権の存在自体の効果として、右売買代金債権をそのまま自働債権として相殺のように供することはできないと解されるからである。(中略)相殺による貸金返還債務の消滅を主張する乙が、①売買契約締結の事実、②相殺の意思表示に加えて、例えば、③乙が甲に対して売買の目的物の引き渡しをしたこと(厳密には提供で足りる民法533条)又は目的物の引渡債務について未到来の確定期限があること(同条ただし書)を主張立証したときは、右相殺の抗弁は理由があるが、右①②の事実を主張しただけでは、相殺の抗弁としては主張自体失当である。

司法研修所民事裁判教官室『増補 民事訴訟における要件事実 第1巻』63-64頁(法曹会、1989)〔初出 1984〕

つまり、

  • 一般に、相殺の抗弁の要件事実としては
    ①自働債権の発生原因事実
    ②相殺の意思表示
    が必要である。

  • もっとも、当該自働債権が双務契約上の債務である場合には
    ③当該自働債権の反対債務の履行の提供
    が追加的に必要となるわけです。

さて、私が気になったのは、先ほどの引用箇所のうち、次の記述です。

相殺による貸金返還債務の消滅を主張する乙が、①売買契約締結の事実、②相殺の意思表示に加えて、例えば、③乙が甲に対して売買の目的物の引き渡しをしたこと(厳密には提供で足りる。民法533条)又は目的物の引渡債務について未到来の確定期限があること(同条ただし書)を主張立証したときは、右相殺の抗弁は理由があるが、右①②の事実を主張しただけでは、相殺の抗弁としては主張自体失当である。

司法研修所民事裁判教官室『増補 民事訴訟における要件事実 第1巻』63-64頁(法曹会、1989)〔初出 1984〕

そう、「厳密には提供で足りる」という部分です。
この記載は、現在の要件事実論の文献でも踏襲されています。

請求原因記載例5( 消費貸借契約に基づく貸金返還請求等)に対し、
⑴ 被告は、原告に対し、平成18年2月10日、別紙物件目録記載のパソコン10台を代金300万円で売った。
⑵ 被告は、原告に対し、同日、上記売買契約に基づき、同パソコンを引き渡した。
⑶ 被告は原告に対し、平成18年9月27日の本件弁論準備手続期日において、上記代金債権をもって、原告の本訴請求債権とその対当額において相殺するとの意思表示をした。
注 自働債権に同時履行の抗弁権が付着している場合、その存在効果として相殺が許されないとするのが判例、通説であるから、売買契約に基づく代金債権を自働債権として主張する場合には、その抗弁権の存在効果を消滅させるため、目的物の引渡し(厳密にいえば提供で足りる。)を主張立証しなければならない。

司法研修所民事裁判教官室『事実摘示記載例集』24-25頁(法曹会、2020)

民法533条だって、「相手方がその債務の履行…を提供するまでは」と言っているのですし、何もおかしいことは言ってないじゃないか。
そう思われる方は多いと思います。
ここで「厳密にいえば提供で足りる」に改めて注目してください。
これを素直に読むと、上で引用した事実摘示の⑵において主張立証すべき事実としては、「平成18年2月10日のパソコンの引渡し」ではなく、「平成18年2月10日のパソコンの引渡債務の履行の提供」で足りることをいう趣旨であると読めます。

しかし、果たして本当にそれで良いのでしょうか?
これが私の抱いた疑問です。
より抽象的に論点化するならば、私がこの記事で問題にしたいこと、それは、「同時履行の抗弁権が付着した自働債権とする相殺の抗弁を出す際における抗弁事実としての履行の提供は、果たしていつの時点のものであるべきか」という問題です。
実は、多くの要件事実論のテキストは、この点を明らかにしていません。
例えば、ロースクール生がよく使うテキストは次のように記述するのみです。

自働債権が売買契約等の双務契約の場合には、その発生原因事実を主張・立証することによって、同時履行の抗弁権の存在が基礎付けられてしまう。このような場合には、自働債権の同時履行の抗弁権の発生障害または消滅原因となる事実を主張立証して、同時履行の抗弁権の存在効果を否定しておく必要がある。

大島眞一『完全講義民事裁判実務の基礎〔第3版〕上巻』170頁(民事法研究会、2019)

そして、同書の事実摘示の記載例では引渡し(債務の履行)の場合は記載されているものの、履行の提供の場合の事実摘示例は載っていません。

同時履行の抗弁権が問題となる局面(相殺以外)

履行請求

履行請求の場合、同時履行の抗弁権を除去するには、過去に履行の提供をしたという事実を主張するだけでは足りないとされています。
履行の提供の継続が必要ということですね。
判例は古くよりこの立場を打ち出しています。

法律カ双務契約当事者ノ一方ニ同時履行ノ抗弁権ヲ付与シタル所以ハ当事者双方ニ公平ナル結果ヲ得セシメントスル趣旨ニシテ若シ此抗弁権ヲ与ヘサラン乎一方ハ相手方ノ請求ニ応シ完全ノ履行ヲ為ササルヘカラサルニ拘ハラス相手方ハ無資力等ノ為メ遂ニ其債務ノ履行ヲ為ササルカ如キ場合ヲ生シ頗ル不公平ニ陥ルコトアルヘキカ故ニ此不公平ヲ除去セントノ趣旨ニ外ナラス果シテ然ラハ契約当事者ノ一方ハ相手方ノ債務履行ナキ間ハ仮令相手方カ過去ニ於テ一度履行ノ提供ヲ為シタルコトアル場合ニ於テモ尚右ノ抗弁権ニ依リ自己ノ債務ノ履行ヲ拒絶シ得ヘキモノト為ササルヘカラス何トナレハ若シ過去ニ於テ一度債務ノ履行ノ提供アリタルトキハ其提供ノ効果トシテ債権者ヲシテ永久ニ同時履行ノ抗弁権ヲ喪失セシムルモノトセハ例ヘハ其相手方カ提供後ニ至リ其債務ヲ履行スル資力ヲ失ヒタル場合ノ如キハ其無資力者ノ相手方ハ独リ其債務ヲ履行セサルヘカラサルニ拘ハラス無資力者ハ遂ニ其債務ヲ履行セサルカ如キ場合ヲ生シ公平ヲ維持スル能ハサルニ至レハナリ加之債務ノ履行ノ提供ナルモノハ債務者カ自己ノ負担シタル範囲ノ行為ヲ完了スルヲ以テ債権者ノ受領シ得ヘキヤ否ヤヲ問フノ要ナキヲ以テ債権者カ天災其他ノ不可抗力ニ因リ弁済ヲ受クル能ハサル場合ニ於テモ尚債務ノ履行ノ提供ハ完全ニ行ハルルモノナリ而シテ債務履行ノ提供ハ効果トシテ其相手方ノ前記抗弁権ヲ喪失セシムルモノトセハ此場合ニ於テモ尚ホ債権者ハ同時履行ノ抗弁権ヲ喪失スルモノナリト論結セサルヘカラサルモ斯ノ如キハ頗ル不公平ニ陥ルモノニシテ全ク民法第五百三十三条ノ精神ニ違背スルモノト為ササルヲ得ス要スルニ一旦履行ノ提供ヲ為シタル者ト雖モ其後ニ至リ相手方ニ対シ其相手方ノ債務ノ履行ヲ強要スルニ当リ其相手方カ同時履行ノ抗弁ヲ提出シタルトキハ直チニ自己ノ債務ノ履行ヲ提供スルカ又ハ自己ノ債務ノ履行ト交換的ニ相手方ノ債務ノ履行ヲ求ムル趣旨ニ一定ノ申立ヲ更正スルカ何レカ其一ヲ為スニアラサルヨリハ其請求ハ到底排斥ヲ免レサルモノナリ

大判明治44年12月11日民録17輯772頁

解除

一方、履行請求と異なり、契約解除の場合は、過去の一時期において、履行の提供の「継続」は必要なく、履行の提供をしていれば足ります。
このように解する理由を学説は次のように説明します。

BがAの債務不履行を理由に契約を解除しようとする場合(541条)は、Bはいったん提供した以上、解除及びそれに先立つ催告をするに当たって、改めて提供する必要はない。Bに提供の継続を求めることは履行されない契約の拘束から解放されようとするBに過大な負担となるからである。

中田裕康『契約法 新版』155頁(有斐閣、2021)

損害賠償請求

同時履行の抗弁権を主張できる契約当事者は、他方当事者に対して自らの債務を履行しなくても、履行遅滞による債務不履行責任を負いません(大判大正14年10月29日評論14巻民812頁)。
そして、履行を一旦提供すれば履行遅滞に基づく損害賠償請求は可能となります。

相殺以外の局面との比較を通じた検討

設例

検討をしやすくするため、一つ設例を立ててみます。

  • Aは、令和2年4月1日、Bとの間で絵画の売買契約を締結した(Aが売主、Bが買主である)。

  •  上記売買契約において、代金の支払期日及び絵画の引渡し期日についての特約はなされなかった。

  •  代金の支払いと絵画の引渡しは未了である。

  • Bは、令和3年4月1日、Aに対し、100万円を貸し付けた(弁済期令和3年9月末日)。

  • Bは、令和3年10月1日、Aを被告として、貸金の返還を求める訴訟を提起した。

  • なお、令和2年5月1日、Aは、B方に絵画を持参し受領を求めたが、絵画を置くスペースが確保できていないとしてBに受領を拒否された。

この場合、Aが売買代金債権を自働債権とする相殺の抗弁を主張したい場合、抗弁事実は何になるでしょうか?

厳密にいえば提供で足りる」のだから、令和2年5月1日の履行の提供の事実を摘示すれば、相殺の抗弁としては十分でしょうか?
それとも、あくまでも相殺の意思表示の際に改めて履行の提供をする必要があるでしょうか?
現時点での私見では、相殺は弁済の強制の性質を有することからすると、前者の見解に立つと履行請求の場合との均衡を失するのではないかと思います。


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