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刑法総論における故意とは



故意とはなにか?

 刑法上の故意とは、罪を犯す意思のことである。一般的な言葉でいえば、「わざと」が該当する。
 そして、故意にやった犯罪のことを「故意犯」と呼ぶ。刑法38条1項では、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」と規定されている。
 つまり、行為者に故意が認められない場合は、原則として犯罪は成立しないということだ。これを、「故意犯処罰の原則」という。

故意が要求される理由

 例えば、私は他人の財布を盗もうとするのが犯罪であると自覚があるので、やめようという考えが頭の中によぎるため、盗むという行為をやめることが期待される。それなのに盗むという行為をしたことは、強い非難に当たるからである。つまり、財布を盗むことをやめれたのにやったことは責められるべきということだ。
 専門的な言葉で言い換えると、故意の提起機能(=やめようという考え)があるから、反対動機の可能性(=行為をやめる可能性)がある。そのため、故意犯は責められるべきということである。

故意ってどんな状態のこと?

 故意の状態には、2つのものがある。認識的要素意思的要素だ。
 認識的要素は、Aを殺すという行為は、Aが死ぬという結果を生じさせるという客観的事実の外形の予見、認識している状態のことある。
 意思的要素は、Aを殺すことを希望し、死ぬという結果を積極的に承認している状態のことである。

未必の故意など

未必の故意とは、不確定的な認識(Aを殺しかけることにより、Aが死ぬことが不確かという認識)がある場合に認められることがある。例えば、Aが死ぬかもしれないけどAが死にかける行為をしても問題ないという認識がある場合に認められる。(最判昭23/3/16)※盗品買受の判例

概括的故意とは、行為をすることで結果発生することを認識しているが、客体が数人出ることを認識していたこと。例えば、甲が乙を故意に殺そうとして、毒入りのお茶をその時現場にいた乙、丙、丁に渡し、甲が3人が被害に遭うと認識していた場合である。(大判大6/11/9)

択一的故意とは、行為をすることで結果発生することを認識しているが、客体が数人のうちの誰かであると認識していたこと。例えば、αが地雷を草村に設置しており、そこに数人の子供がいる場合、一人の子が踏んだら死ぬことを認識していた場合である。(判例がなかった( ;∀;))

未必の故意に関する学説

蓋然性(認識)は、結果の発生する可能性(=蓋然性)が高いと認識していた場合に未必の故意が認められるが、蓋然性が低ければ、未必の故意は認められないとする説。

認容説は、結果が発生しても問題ないと思っている(=認容している)場合に未必の故意を認める説。

動機説は、認識的要素と意思的要素を総合的に考慮した上で未必の故意を認める説。

※動機説の場合、高い蓋然性が認められない場合でも、積極的に認容している場合や、消極的な認容が認められても、高い蓋然性が認められる場合に未必の故意が認められるという立場である。つまり、AがBに傷害を加えたとき、AがBに傷を残すとわかっていたが、傷を加える意思はなかった場合、Bに傷がつかないと認識していたが、傷を加える意思があった場合などがあげられる。


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