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刑法総論における事実の錯誤


事実の錯誤とはなにか

 事実の錯誤とは、実際に起きた客観的事実と、行為者の主観的な事実認識が合っていないことをいう。事実の錯誤がある場合、行為者が勘違いしていたのだから、故意はないと判断されそうだ。しかし、このようなことがあった場合でも、故意が認められるケースがある。

具体的事実の錯誤

 具体的事実の錯誤とは、リアルで起こっていることと(=発生事実)、行為者のイメージ(=認識事実)が同じ犯罪事実内(=犯罪構成要件内)で生じていること。
 例えば、AがBを撃とうとしたが、実際に撃たれた人は、Cである場合、AはBを撃ったと思っている(=認識事実)が、実際はCが撃たれた(=発生事実)という殺人(=犯罪構成要件)の事例である。

方法の錯誤

 

 方法の錯誤とは、行為者が殺そうと(=認識)していた人(=客体)とは別の人に被害(=結果)が生じた場合のことである。
 例えば、AがBを殺そうとしてナイフで刺そうとしたが、Aが隣にいたCを刺してしまった場合が挙げられる。
 同じような事例では、「併発事例」と呼ばれるものがある。併発事例とは、行為者が認識していた客体に対して結果を生じさせ、更に別の客体にも結果を生じさせたという事例である。前段落の事例でいえば、AがBを殺したとき、更にCも殺してしまったという場合である。
 客体の錯誤とは、行為者が殺そうと(=認識)していた人(=客体)が誰なのか(=属性)を行為者が勘違い(=誤認)していた場合のことである。
 例えば、AがBを殺そうとしてBを刺したが、殺した後にAが確認をすると、BではなくCだった場合である。

法定的符合

 法定的符合とは、実際起こったこと(=客観的な発生事実)と、起こったと思っていること(=行為者の認識事実)がどちらも同じ犯罪(=法定の犯罪構成要件)の範囲内に収まっていれば、行為者には発生事実について故意がある(=両者は符合・一致している)とする前提のことでである。

 法定的符合説(抽象的法定的符合説)とは、現実に発生した事実と、行為者が認識した事実が、どちらも同一の法定犯罪構成要件に含まれていれば、行為者に結果に対して故意が認められるという考え方である。
 この立場に立った場合、上記の方法の錯誤、客体の錯誤どちらにも故意を認めることとなる。
 例えば、AがBを銃で殺そうとした(=故意)とき、AがBのみを殺したと思っていたが、BとともにCも殺していた場合でも、Aは殺人という犯罪の範囲でCに対しても同じことをしているため、Aには、Bに対してもCに対しても殺人罪が適用されるということである。(最判s.53/7/28)

 具体的符合説(具体的法定的符合説)とは、現実に発生した事実と、行為者が認識した事実とが、犯罪構成要件の一つの該当事実に含まれる場合のみ故意を認めるという考え方である。
 この立場に立った場合、方法の錯誤には故意は認めないが、客体の錯誤には故意は認めることになる。
 例えば、上記のAがBを殺そうとしたらBとCが殺されたケースでは、Bを殺すことと、Cを殺すことは、別々の事実であり、今回はAはBを殺すつもり(=故意があるの)であり、Cは殺すつもり(=故意)はないため、Bに対する殺人のみ認められるということである。
 しかし、AがBを殺そうとしたが、人違いでCを殺した場合(=客体の錯誤)では、Aが人を殺すという認識でCを殺したのだから、Aには故意が認められることとなる。

故意の個数

 数故意犯説とは、実行行為によって二つの結果が併発したとき、これらの結果に対して故意があったことになるという見解である。(最判S.53/7/28もこの見解を取っている。)
 これに対し、一故意犯説は、実行行為によって、二つの結果が併発したとき、行為者が実行行為を加えようとしたものに対してのみ故意は成立するという見解である。

因果関係の錯誤

 因果関係の錯誤とは、結果までの実際の因果経過と、行為者が予見していた因果経過が違う場合のことである。
 例えば、AがBを殺そうと殺意をもってBを刺したが、刺したのが原因ではなく、刺された後に倒れて頭を打って死亡した場合である。
 このケースだと、法定的符合の立場であれば、行為者の認識と現実が異なってい(=錯誤があっ)ても、これらが犯罪構成要件の範囲内であれば、因果関係要件も満たすこととなる。そのため、故意はあったこととなる。(大判T.12/4/30)

抽象的事実の錯誤

 抽象的事実の錯誤とは、行為者の認識事実が別の犯罪構成要件と重なっている場合のことをいう。
 例えば、AがMDMA(麻薬取締法違反)を輸入するつもり(=故意)で日本に入国して逮捕されたが、実際に輸入していたものは覚せい剤(覚せい剤取締法違反)だった場合である。(最判S.54/3/27)
 上記の場合、重い法定刑が規定されているのは覚せい剤取締法であり、Aは右法により処罰されそうと思うかもしれない。
 しかし、刑法の38条2項には「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。」としている。
 そのため、今回の場合、Aは覚せい剤取締法での処罰はされない。

抽象的符合説

 抽象的符合説とは、犯罪構成要件のいかんを問わず故意を認めるべきとする見解である。例えば、Aが物体Bを損壊する目的(=故意)でバットを振ったが、実際は隣にいた人Cを殺してしまったというケースである。これでは、殺人の故意(=殺人罪の適用)を認めたうえで、器物損壊の故意(=器物損壊罪の適用)も認めることとなる。しかし、上記の38条2項により、処罰はより軽い器物損壊罪ということとなる。
 この学説は、過去に有力とされていたが、現在はほぼ支持されていない。行為者の認識事実と実現事実が異なる犯罪構成要件の場合でも、実現事実のほうに故意を認めてしまうこととなるからだ。つまり、自覚していない(=故意がない)犯罪にも故意を認めてしまうということである。そのため、法定的符合説の立場が有力とされており、判例もそうである。

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