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バニシング IN 60(Gone In 60 Seconds )

※ネタバレもあります。

僕は映画というものをあまり観ない。
例えば音楽だったらアルバムはたいてい1時間未満だし、その中の1曲だって5分を超えないものが多い。
僕はせっかちというわけではないが、いざ映画を観ようとするとその映画が自分にとって有意義なものなのかというリスク&リターンを考えるとものおじしてしまう自分がいるし、テレビCMでの「○○(←有名作品)主演のあの人気俳優が主演!!」「全米が泣いた!」「(頭の悪そうな観客が)感動しました!」って言うの見ると、ちょっぴり吐き気を催すのね。
TS〇TAYAの店頭で平積みにされてるようなやつだったり、ジ〇リの作品を最高だと言えるような感性を持っていたならば、どれほど人生イージーモードだっただろうとは思うけど、生きてる意味ある?って思う。
それでも今はネットでレビュー読めたり、自分が好きだった作品や観ていいねをつけた作品などからAIが「あなたこの作品も好きじゃない?」ってYoutubeなどが導いてくれることもある。
このブログも、どこかの誰かからそういうふうに読まれてるかもしれないが、僕は決して「映画通」なんかではないし話も脱線するので、どうかご容赦ください。

「バニシング IN 60」とは1974年のアメリカの映画「Gone In 60 Seconds 」の邦題である。

「60秒でどっかへ行っちゃう」というのは、この主人公ペイスが巧みな自動車窃盗グループで、つまり「60秒でどんな車でも盗んじゃう」という意味だ。
僕はエックス(→X-JAPAN)の「Vanising Vision」を聴いた時にその意味を調べたので、そのタイトルの「消失する」までは理解できたが、しかし僕がこの映画で観たのは吹き替え版でも字幕版でも無かったので、その鍵を開けたりエンジンを始動させ走り出す仕草の”手口”が鮮やかすぎて、それが「窃盗」だとはすぐには理解できず、冒頭のシーンをもう一度観て「なるほど60秒ね」と理解した。
そしてその原題に、1971年にヒットしていた「バニシングポイント」のタイトルを日本の配給会社がちゃっかり便乗させてしまった邦題なのだ。

プラモデルの世界でも「西部警察」が人気の頃はスカイラインのキットにレイバンのサングラスを着けた刑事が乗ってる覆面パトカーに「暴走Gメン」と名付けてパッケージしたり、「頭文字D」がヒットすれば今度は、以前から出していたAE86トレノのキットのパッケージに「最速D」と、いかにもそれっぽいフォントで描いていたりもあった。
もちろん公認された「西部警察」のキットも「頭文字D」のキットもあったのだが、流行るとはそういうものまで副産物として生み出す現象のことなのだと思う(笑)

僕自身、この「バニシング IN 60」を知ったきっかけはプラモデルだった。
1/24スケールではアリイから1971年型のMACH1が出ていて、模型雑誌でそれを劇中後半の潰れている様子を再現したもので、映画は観たことなかったが驚いた。そして静岡ホビーショーへ行った時、どこかのモデラーズクラブが童友社(元はオオタキの金型)の1/12スケールで劇中のMACH1を再現していて、そんなに人気ある作品なのかぁーって調べたのがきっかけだった。

「バニシングポイント」に登場するのは1970年式のダッジ・チャレンジャー。

ストーリーや人間模様はさほど複雑なものではなく、字幕も吹き替えも無くとも楽しめる。
この映画を観ようとする者、そしてそれを評価する者のほとんどは「クルマ好き」と言っていいだろう。
何しろこの作品の脚本・監督のH・B・ハリッキー自身がカースタントマンであり、いまだかつてないカーアクション映画を作ろうと、自らメガホンを取り、自らステアリングも握ってアクセルペダルも踏んでいる。すなわちH・B・ハリッキーが主演もスタントも務めているのだが、主演の名前は「ELEANOR(エレノア)」と書かれている。
そんな女優何処にも出てないぞ?
いや、このハリッキーが駆っている黄色のムスタング(マスタングではなくあえて当時風に”ムスタング”と呼ぼう)、1973年式のフォード・ムスタングMACH1(マッハ・ワン)につけられたニックネームこそが「ELEANOR」なのだ。

ムスタングMACH1は年式によってグリルやフォグランプやサイドストライプの形状も異なる。
まだどこもぶつけてない貴重なシーン(笑)

ちなみにこの「Gone in 60 Seconds」は2000年にニコラス・ケイジ主演でリメイクされ、こちらの邦題は「60セカンズ」とつけられた。
そして主役の「ELEANOR」に抜擢されたのは1967年のシェルビー・マスタングGT500である。フォード・ムスタングをベースにシェルビーが製作したコンプリートカーでエンジンはもちろんチューンアップされてるし外観的にもボンネットフードやグリル、フォグランプやファストバックのサイドのダクトなども変わっているのだが、最も異なっているのはテールランプで、ベースの1967ファストバックは縦長のが左右3列ずつ並んでて、のちの日産セドリック(230型)の2ドアや、トヨタセリカLBの”バナナテール”にも影響を与えたと思われる意匠に対し、GT500のテールは横長である。

1967年のフォード・ムスタング”ファストバック”/シェルビー・ムスタングGT500

ニコラス・ケイジ演じるメンフィスはこのGT500に大径ホイールのタイヤを履かせてフロントバンパーレスにしてガンメタ色のボディに黒いセンターストライプを身に纏い2000年代のマスタングとして走らせていたのが印象的だった。

その後にヒットする「 Fast & Furious(ワイルドスピード)」の第1作の公開が2001年で、その6作目「EURO MISSION」に登場するジェンセン・インターセプターのカラーリングは「60セカンズ」のエレノアへのリスペクトだったのではないかと思う。

1967シェルビー・マスタング”エレノア”/1971ジェンセン・インターセプター

そして映画でない実車の世界でも、2005年のデトロイト・モーターショーにてフォードは新型マスタングのプロトタイプを公開した。その姿は60~70年代の「マッスルカー」「ポニーカー」と呼ばれた往年のマスタングを強くオマージュしたもので、第5世代のマスタングとして人気を博した。
2006年にはダッジがチャレンジャーを、シボレーがカマロのプロトタイプを発表し、やがてそれぞれも市販化されることとなった。これらを総じて「ネオマッスルカー」と呼ばれるようになり、80年代頃から徐々に衰退していたアメリカの自動車産業が再び元気を取り戻したように思えた。
やはり燃費はかかるので愛好家の間での話だが。

これらのスタイリングの復興は、ヨーロッパに目を向けるとVWビートルやミニクーパーやフィアット500などにもあったように、そして日本ではホンダがN-ONEを出したり、昨年2022年にビッグマイナーチェンジであるもののRZ34と制式された新型フェアレディZのスタイリングにも注目が集まり、旧車ファンはもちろんのこと、ツリ目ばかりに飽きている世界中のクルマ好きからも期待されている潮流だろう。

フォード・マスタング/ダッジ・チャレンジャー/シボレー・カマロ

さらに2007年になると、タランティーノが監督をつとめた「デス・プルーフ in グラインドハウス」では、その後半に出てくる4人組ガールズがとある町で中古車を手に入れて(一人置き去りにして)クライマックスのチェイスを繰り広げるのだが、そこで乗り換えるのがダッジ・チャレンジャーだ。
1969年式であるものの、そのチャレンジャーのボディカラーが白いところから「バニシングポイント」のオマージュであることはいくつものレビューでも言及されている。

そしてまた彼女たちがチャレンジャーに乗り換える前にワイワイキャッキャと乗っていた黄色い車は1971年式のフォード・マスタング。よく見るとこれはファストバック(スポーツルーフとも呼ばれてた)MACH1というスポーツグレードではなく、グランデという豪華グレードで、後ろ側ピラーが少しだけアイローネゲート風に立ったノッチバックのトランク形状をしたハードトップクーペだが、この黄色いボディカラーもやはり「バニシング IN 60」へのオマージュと言っていいだろう。

「デス・プルーフ in グラインドハウス」の1971年フォード・マスタング・グランデクーペ
メアリー・エリザベス・ウィンステッドがかわいい。

そういった意味では、2000年において60年代後半のマッスルカーにスポットを当ててリメイクした「60セカンズ」には先見の明があったと言えるだろう。

リメイク版の「60セカンズ」には、アンジェリーナ・ジョリーやポルシェ、フェラーリなども登場し、ハリウッド的な豪華さ華やかさはあるのだが、他の劇中車やエレノアに蹴散らされるパトカーなどは1990~2000年代のものが殆どだ。

しかしやはり僕としては、エレノアを追跡し続けカーチェイスを繰り広げるマーキュリー・モンテゴの覆面ポリスカーだったり、ダッジ・コロネット、プリムス・ベルベディア、プリムス・サテライト、AMC・マタドールなどの1970〜1973頃当時の様々なセダンタイプのポリスカーが登場する1974年の「バニシング IN 60」の方が観ていて楽しい。
まぁこの時代の車が好きなんですよ。

1970マーキュリー・モンテゴ。
のちの日産セドリック(330型)にも影響を与えたはず。

その他、「バニシング IN 60」では、暴走するエレノアに巻き込まれてぶつけられてしまう黒人の若者6人組の型落ちのキャデラック・デビルがまたいい味を醸し出している。
このキャデラックは1965年型ので、1974年の映画としては9年前の車なので現在の感覚としては決して古くないのだが、毎年のようにモデルチェンジをしていた当時のアメリカしては、この9年前のキャデラックは"オンボロ"なものとして描かれている。 

1965キャデラック・デビル

今の日本でいうところの、20年近く前の二代目セルシオあたりのエアサスを落として乗ってるDQNにも通ずるようなコミカルさが描かれていて、映画の終盤で6人組のキャデラックはガソリンスタンドでエレノアと"再会"するのだが、その後も6人組はマリファナを回しながら陽気に音楽を流しガタガタとキャデラックを走らせ、やがてオーバーヒートして止まってしまう。
しかしそこに流れている音楽はヒップホップではない。もちろん当時にヒップホップという概念は存在していなかったし、マイケル・ジャクソンもジャクソン5だった頃で、このキャデラックもローライダーカスタムが生まれるよりも前のことだ。
アウトローな黒人が金色のネックレス首からたくさんぶら下げてオラオラしてる感じは、まさに80年代の「特攻野郎Aチーム」の"通称コング"あたりからだったのではないだろうか。

そしてまた、330セドリックを彷彿とさせるマーキュリー・モンテゴや、その他のスクエアなフォルムのセダンの大量のポリスカーを見ていると、やはりこの映画が日本の刑事ドラマ「大都会」や「西部警察」に与えた影響も大きかったはず。
当時のアメリカの回転灯や覆面用のパトランプの形状も面白いです。

しかしこの「バニシング IN 60」と「西部警察」とで大きく異なるのは、西部警察の主人公が大門軍団という「犯人を捕まえる側」すなわち「勧善懲悪」の物語として構成されているということ。
昨今のポリティカルコレなんちゃら的にとって「西部警察」の犯人確保や取り調べなんかは過剰とも言える懲らしめぶりだが(笑)

ところがそういう「勧善懲悪もの」を見慣れてしまった視点でこの「バニシング IN 60」を観ていると、主人公”エレノア”の暴走ぶりが時に胸くそ悪くも思えるのだ。ポリスカーとチェイスを繰り広げてる分には痛快さもあるのだが、とにかくこのエレノアは周りの一般車や店舗や通行人をも巻き込んで逃走し続ける。
ちょっとお前、その盗んだ高級車を売って儲けたかったんじゃないの?ってくらいに、お構いなしに何でもぶつける。
一体どれだけの器物損壊罪(←アメリカもそう呼ぶのかな?)を繰り返し、事故に遭ったドライバーが負傷して救急車が駆け付けて担架で搬送されるシーンまで描かれている。
山積みされた段ボールや一斗缶、そしてジャンプ台を隠したドラム缶めがけて横転して自爆する西部警察のスタントがかわいいとすら思えてくる。

そして西部警察のスタントは、主役級に登場するS130型フェアレディZやR30型スカイラインといった当時の日産が誇る最新マシンが登場し、足回りも固められてスポーツカーらしいきびきびとした華麗な走りを披露する。これはおそらく80年代になってからの自動車の技術革新によるものもあるだろうし、全面協力している日産自動車やエンケイアルミホイールの威信もあってのことだろう。
しかし西部警察の中でも、いわゆる”やられ役”のパトカーなども多数登場し、主要な場面では当時最新だった430型の角目のセドリックが映ってるのに対し、途中から型落ちの230型や330型に変わってたりもして、案の定横転や爆破してしまうのだ(笑)

旧車愛好家の中でも「セドリック(グロリア)の230型はタマ数が少ない。みんな西部警察で廃車になったから。」とはよく言われる話だ。

しかしそれらの型落ちの、その多くがタクシーから流れてきたと思われる廉価版のセドリックやグロリアなどは、タイヤのトレッドがフェンダーから少し奥まった当時のノーマルセッティングの柔らかめな足回りで、カーブを急旋回する時は遠心力で車体が思いっきり外側へ傾くし、段差や悪路を走り抜けるときはサスペンションのロングストロークをボヨンボヨンさせて走ってる。横転すれば黒一色に塗られたシャシーを仰向けにしてFR駆動のプロペラシャフトがくるくる回っている。
そんな様が80年代頃まで見られた映画やドラマでのカースタントの醍醐味でもあると僕は思う。
西部警察も2003年にリメイクされ、以降もあぶない刑事も時々復活してたけど、あの頃のような迫力のカースタントはもう見られないだろう。
なんせ車が横転したらエアバッグが膨らむしシートベルトも着用してるし、そこまで派手にやらかす前に車自体のクラッシャブルゾーンが折れ曲がって走行不能になるし、仰向けになったEV車のシャシーなんか見ても面白くないでしょ。(苦笑)

さて、「バニシング IN 60」の本題に話は戻すが、本作品にも西部警察のような"やられ役"のポリスカーが束になってかかっても次々とやられていき、ポリスカー同士で勝手に玉突きして自爆していくシーンもある。それはチャンバラ激などのモブキャラにも似ている。かと言ってポリス側にボスキャラ的な高性能スポーツカーがいるわけでもなく、刑事のマーキュリー・モンテゴ覆面ポリスカーが粘り強く追跡しているくらいだ。

その追跡劇の中で、交差点の真ん中でゴミ収集車が立ち往生していると、鮮やかなグリーンの1971年ダッジ・チャレンジャーに乗った婦人が「ちょっとあんたこんなところで何停まってんのよ!邪魔よ!!」って詰め寄るのだが、そういうあなたも交差点の真ん中でチャレンジャー停めてる場合じゃないよ!ってハラハラしてると悪い予感は的中してしまう。
あやうく婦人は退避できたたようだが、そこへエレノアが突進してきてゴミ収集車をなぎ倒し、グリーンのチャレンジャーは収集車とゴミの下敷きになってしまう。
主役のエレノアとも引けを取らない70年型チャレンジャーがこれではあんまりだ…。

その後、カリフォルニアの片田舎では町の保安官が就任式みたいな式典をおこなっている。そこへエレノアが突っ込んできて次々と式典の装飾をなぎ倒してゆく。
それを追跡するポリスカーたちも、それを更になぎ倒してゆく。

映画「イージーライダー」に感化されたようなバイカー集団が登場するシーンもあるのだが決して彼らはあの映画のようにかっこよくはない。長いフロントフォークにチョッパーハンドルのアメリカンバイクにまたがっているのはふとっちょ野郎だ。そんな彼らの隊列の中をエレノアは追い抜いてゆく。
走り抜けてゆくエレノアを、バイカーたちは「すげぇ!」と見とれているのだが、そのあとを追うポリスカーが通り過ぎてゆくとこんどは親指を下に向けてポリスカーへのブーイングをする。

これらのシーンから感じられたのは、この「バニシング IN 60」のストーリーに通奏低音として流れているのは「権力への反抗」ではないだろうか。
と言ってもそこにあるのは思想的なものや政治的な意図といった仰々しいものではなく、「お前らエラそうにすんなバカヤロー!」みたいな、ちょっとしたパンクバンドなんかも抱えてるやつ。
パンクといえばロンドンのセックスピストルズの結成も1975年でアメリカのラモーンズはちょうど1974年である。と言ってもラモーンズは音楽性にパンクの特徴を持っていたが歌詞のメッセージに政治性があったわけではない。と言ってもそこに反骨精神はあったのだが。
まあピストルズが叫んでいた「アナーキズム」も、そこまで重たいものでもなかったけど、当時のロンドンの労働問題などを抱えた若者たちの鬱積した気持ちをスカッとさせるものではあった。

一方日本では、「仁義なき戦い」(1973年)など任侠映画で名をはせた深作欣二監督が1976年(昭和51年)に「暴走パニック 大激突」というカーアクション映画を公開させている。
渡瀬恒彦演じる主人公は銀行強盗をし、ハコスカ(C10型スカイライン)で逃走するところから物語は始まる。物語と言ってもこの「大激突」もほとんどがカーチェイスシーンで後半では主人公はMS50形クラウンの2ドアハードトップに乗り、警察からの逃亡劇を繰り広げる。

中でも警察官役の川谷拓三がなかなかのクレイジーぶりを発揮している。
この「大激突」でもやはり、主人公は銀行強盗犯であり、警察をけむに巻いて茶化す場面もあるし、当時社会問題となっていた暴走族のドキュメントをMHKという放送局が追跡取材するのだが、どう見てもヤラセだろとツッコミたくなるシーンもあり、そのMHKがカーチェイスの現場に駆けつけ野次馬根性丸出しにしてる姿を下世話に滑稽に映すシーンも出てきて、これもやはり「西部警察」に見られる「勧善懲悪」とは対極の、「権力への反抗」や「反骨精神」として痛快な作品となっている。

  ───当時のアメリカでは自動車の排気ガスによる大気汚染も社会問題となっており1971年に「マスキー法」と呼ばれる法改正が行われ、その法案の中では1975年以降に生産する自動車の排気ガスの一酸化炭素や炭化水素の排出量が従来の10分の1という非常に厳しい基準を設けられた。その「マスキー法」は日本でも施行され1978年以降に生産される自動車にそのような排ガス規制がかかるようになった。

それとほぼ同時期の1971年、アメリカ運輸省は自動車の安全基準を改正した。その中でも1972年以降に生産される車に義務付けた「5マイルバンパー」は当時の自動車のスタイリングを大きく変貌させてしまった。それは「時速5マイルで衝突した場合でも乗員の安全を確保できるもの」として、従来の主に鉄でできていたパンパーは、それよりも何倍もの厚みのあるウレタン樹脂やゴムなどを用いたものに換えられてしまった。

従来のセリカはバンパーがヘッドライト周りを囲む特徴から"ダルマセリカ"と呼ばれてたが、もはや"ダルマ"ではない。

各メーカーはできるだけ元のデザインを損ねないよう工夫を凝らし、今となってはそれもまた「味わい」と思えるものもあるが、前端の地上高が低いランボルギーニ・カウンタックに至ってはもはやスーパーカーと呼べる代物ではなかった。、

カウンタックの形をした遊園地のゴーカートの様だ…

余談だが、初期型のカウンタックは高速走行時のダウンフォースが足りなかったので"フロントウイング"という奇妙なオプション仕様もあった。映画「キャノンボール」ではフロントウイング仕様の真っ黒いカウンタックが'79トランザムのポリスカーとチェイスを繰り広げるのだが、ボディが真っ黒だと妙な迫力もあるんだけどね。
その他1988年にもなるとカウンタックは25thアニバーサリー仕様という、これまたミニ四駆のシャシーにカウンタックのボディ無理やり載せましたみたいなのも出したりして(公式に)

フロントバンパー仕様のクワトロバルボーレ/25thアニバーサリー
これが好きって人もいるからね。

スペックも性能も上がって速くなったのは間違いないけど、だったら僕は遅くてもいいや…。

また話は脱線したのだが、世界は1973年の第4次中東戦争の影響で石油価格が高騰し「オイルショック」と呼ばれ、それは日本にも波及した。
またアメリカでは、若者たちはベトナム戦争へ駆り出されたり先ほど言及した「マスキー法」や「5マイルバンパー」の余波でアメリカの自動車産業は、それまでの華やかだった時代からの変化を余儀なくされることになるのだ。

マスタングも例外ではなく、1976年のフルモデルチェンジで排気量4,1〜5,8リッターでラインナップされていたエンジンは2,3リッター2,8リッターの2種へと半分以下に抑えられ、それに伴いボディサイズも大幅に縮小化された。

1976年フォード・マスタング

しかしこのマスタングはあらかじめビッグパンパーを考慮してデザインされたものだったし、トヨタの"ブタ目"マークII・チェイサーやTE50系カローラリフトバックなどにも似ていて(トヨタが似せている)僕はけっこう好きだけどね。


それまでの日本製品といえばアメリカなどでは「安かろう悪かろう」のイメージを持たれていたが、アメリカ本国の自動車の持っていたダイナミックでハイパワーな魅力が削がれると、元々小型で燃費も良かった日本車に注目が集まるようになり、取って代わるかのように北米での日本車の輸出台数が増えていき、日本の自動車メーカーがアメリカ本土で現地生産するのも増えていった。
中でもダットサン240Z(日産フェアレディZ)や510(ブルーバード)などは北米でも大人気となり、ピート・ブロック率いるブロック・レーシング・エンタープライズ(BRE)のマシンはアメリカのレースで大活躍をした。

BREのダットサン240Z/ダットサン510

そして「バニシング IN 60」に話は戻る。(ほっ)
周囲を走る車たちにぶつかり巻き込みながら逃走を続けるエレノアが向かった先の建物には「DATSUN」の文字が。
僕はそこがダットサンのディーラーであると分かったと同時にイヤな予感が頭をよぎる。次いでmazdaのディーラーも映し出され、アメリカ人夫婦がマツダの自動車を品定めしているすぐそばをエレノアとポリスカーが走り去ってゆく。

「まさかダットサンやマツダも巻き込まれるんじゃないか…!?」という予感は杞憂になり、胸をなで下ろしていると、逃走と追跡を続けているエレノアとポリスカーは今度はビュイックのディーラーへ突っ込み、続いてキャデラックのディーラーへと突っ込んでいく。店頭で威風堂々と並んでいるフルサイズのキャデラックがドミノ崩しのように次々とあっけなくぶつけられてゆく。

このシーンは70年代におけるアメリカ車と日本車の趨勢を象徴的に描いたシーンだったのではないかと僕は思う。
敗戦後の日本はGHQによって軍事に携わっていた航空機メーカーや工業メーカーは軒並み解体されたのだが、やがて朝鮮戦争により日本には特需が起こったりアメリカの車をノックダウン生産しながら日本は復興へと進んでいった。そして日本の自動車メーカーはアメリカ車や欧州車を真似しながら狭い日本の風土に合わせて日本の国産車は発達してゆき、70年代になると日本の自動車も海外で評価されるようになり、80年代になると日本車の発展とアメリカ車の衰退の明暗はより濃くなり、やがて日米経済摩擦と呼ばれ、アメリカでは日本車のボディに日本を罵倒する言葉をスプレーで描いてハンマーなどで叩き壊すパフォーマンスがニュース映像で流れてきたりもした。日本の電化製品もその槍玉にあげられた。
なので、「DATSUN」の文字を見たときイヤな予感がよぎったのだった。

今僕たちはその後の世界の自動車の栄枯盛衰を歴史として知っているし実際に見ているので、そういう視点も持ち合わせて映画を観たりもする。
クリント・イーストウッドが監督・主演をつとめた映画「グラン・トリノ」では1972年製のフォード・グラン・トリノが登場し、70年を若者として生きた主人公の心模様をガレージに眠ったままだったグラン・トリノに投影するかのような物語が印象的だった。

1970年フォード・グラン・トリノ

そしてこの「バニシング IN 60」で描かれていたのは、アメリカの自動車産業が最も元気で華やかであった時代の、最期の打ち上げ花火だったのではないだろうか。───

そんなことをふと思った。

本作のエレノアもクライマックスになると、度重なるカーチェイスでボディはぐしゃぐしゃに、「ヘッドライトのわくのとれかたがいかしてる車」などとブランキージェットシティの歌のようなことも言ってられないほどに潰れまくっている。
しかしそれでもここまで走り続けられたのは、このマスタングがラダーフレーム構造のシャシーにボディを載せているという当時の車の主流であった設計のおかげもあるのだろう。

自動車の健剛さを証明した作品といえば、英国BBCの「Top Gear」という番組で「KillIng a Toyota」というなんとも物騒なタイトルをつけて、トヨタのハイラックスをぶつけたり海に沈めたり車体に火を放ったり、挙句の果てには解体するビルの上階までクレーンで運んでビルごと発破して解体されたビルの鉄筋コンクリートの瓦礫の山からハイラックスを救い出してエンジンがかかるかどうか試すというメチャクチャな企画も思い出す。

このシリーズはPart 3まであるのでぜひご覧いただきたい。
ほんとTop Gearはクレイジーだ(笑)

しかし以降主流となったモノコックボディでこのようなクラッシュを重ねていると足回りがすぐに歪んでまっすぐ走行することさえできなくなるだろうし、もっと後の時代の車となるとクラッシャブルゾーンが潰れれば電子制御機器などで密集したエンジンルームもたちまち機能不全になるだろう。

この1973年式ムスタングMACH1だからこそできた最後の時代のカーチェイス劇だったのだと思うと、「よくぞここまで生き延びてくれたエレノア!最期まで闘い続けてくれ!」と、映画「ロッキー」の挿入曲であるビル・コンティの「Going the Distance」が脳内を駆け巡るのである。

周囲の車や通行人などを巻き込んでばかりいたとんだ迷惑者の自動車窃盗犯が駆っているという勧善懲悪的な不快感よりも、エレノアというクルマ自身に人格のようなものさえを感じ、エレノアが闘っている姿の方に心が打たれるのだ。

しかしエンディングはガソリンスタンドの洗車場にて急展開を見せる。
さすがにここだけは「ネタバレ厳禁」としておこう。
「え〜!?うそ〜ん!?」
「Oh my God!!!」
と言いたくなる結末なので、気になった方はぜひ「バニシングIN 60」をご覧いただきたい。

決して宣伝ではないが、映画のレビュー記事っぽく終わらせて(笑)

2023.03.24.
Лавочкин(らぼーちきん)

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