こんな臆病者の私だけれど生きている間に出来るようになりたいことがある

先日、本当に人を助けるとはこういうことなんじゃないかと話していた、とある人の言葉の中に、私が苦しかった時に喉から手が出る程欲しかったものが言語化されていて、これだ!と思った。

助けを求めて心細く頼りなく過ごしていたあの時に、救われたいと心から願ったし、支えて欲しいと思った。
けれど、じゃあどうして貰いたいのか?と聞かれても、どうして貰いたいのかわからなかったんですよね。言葉に出来なかった。
そんなだから余計に苦しかったのだと思う。

自分をよく知り、言語化できないと、悲しいかな人に伝えることができない。
100%そのまま相手に伝える伝わることなど、ありえないとしても、言葉にしなければ欠片もわかってはもらえないというもの。

もしあの頃に言語化された「その言葉達」を知っていたら、誰かに言えたかもしれないな。
もし、なんてありえないけど。

頭の良い人のおかげで、ひとつ言葉にならなかったことがわかってよかった。


追い詰められてる本人というのは、だいたい揃ってまさか自分が 「そんなに」 とは知らずにいる。
けど、ふと横を見たら誰かが一緒に走ってくれている。。手を差し出されている。
自分の荒波の中に飛び込んで来た人に ハッとさせられ、どこへ進んでいるのかもわからずに必死でもがいていることに気づかされて、自分の状況を知る。

私があの時に救われたいと思った、どうやったら救われるのかという言葉にならなかったそれは、
何も聞かずとも、手を出す。ただ、一緒に走る。飛び込んでくれている。
ただ黙って隣に座ってくれている。
愛する。
ということだった。

今度は私がそう在れる勇気ある人になりたいと思っている。

yuriyumiko

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