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子供の頃の母親というのは唯一のルールで全知全能の女神に思えた


先日、
「松丸政道先生のゲリラお話し会」に参加しました


いつかお話ししてみたい人だったし、誕生日と重なってラッキーな気分!わくわくと話を聞き、笑いあり、興味深い時間でした!


終わった後、そのお礼をメッセージしたら、次のようにお返事を下さったんです。

『お誕生日の日に重なるなんて光栄です。

僕的な意見なんですが、誕生日は「母の日」だと思っています。

母親って死ぬかもしれない覚悟で僕を生んでくれたと思っています。

だから母の日なんですよね。
少しでもお母様を思い出してみてください。』


ああ・・・ほんとだなと。
何かが重なったような感覚を覚えました。


というのも
この誕生日に母から送られたメッセージは、いつもとは違う言葉が並んでいたんです。


『お誕生日おめでとう🎂生まれる時大変だったけど生まれて来てくれて、ありがと』

という言葉。

53歳になる私に、
『生まれてきてくれて、ありがとう』

胸がつまりました。

たぶん、

そう、きっと

私は、お腹の中にいる十月十日、
愛と愛情を余すことなくそそがれただろう。

母体の変化や、不安に戸惑いながらも、母親は、元気で生まれて来る日を待っただろうし・・・我が身より我が子をと、そんな気持ちになった事もあったのかもしれない?

その期間に
十分に愛は貰ったんか・・・。

そう思ったんです。

そんな私の心の揺れと、松丸先生からのメッセージと重なって、なんとも云えない溢れるものがあり、夜空を眺めながら涙がたくさん出ました。

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子供の頃

広い広い世界なのに、たった1人の母が私の女神で、母が私の世界の全てだった。
母がいないと、生きられないと心底思っていた。

この人を守りたかったし、助けたかったし、何ともできないけれど、何とかしてあげたかった。

小さな花を摘んで渡した
無理やり手伝って邪魔をした
マズいものも美味しいって言った
膝枕をして欲しくて、、言えなかった。
行かないで、、って言えなかった。
悲しい顔を見たくなかった。

私の唯一のルールで万能の女神だった人。

この頃やっと、
今も子供の頃の母を求めていて、老いていく姿を受け止められずにいたり

愛しているからの過剰な心配を懸命に渡してくれたことを、私がそのまま受け継いだことを恨んだりしていたことも

母を助けたくて、守りたくて仕方なかった私だったんだということも

私が私の道を進むのは(今までそうしてきたのに)急に母を見捨てるような気がして、罪悪感を感じてることも、、

そう
未だに親離れシテイナイんだともわかりました。


あの女性は懸命に生きて、知識を簡単に得られない時代を試行錯誤して生き、私より遥かに強く逞しく、様々なことを受け入れ生きてきたんだな。
バカでワガママで可愛らしい女で、
亭主は母を罵り暴言を吐きながらも、心の中では母をとても愛し続けている。


わたしはこの一年かけて、やっと・・・・あの女性も、彼女にしかない幸せを探し、強く逞しく精一杯生きた人なんだと、見る心ができました。


さらに
今のわたしは母に限らず様々なことを、この一年かけて、通り過ぎようとしています。

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私は母を守ることも
誰かを守ることもできない。
思いがあっても、祈っても
強引に道を反らせることはできない。

みなそれぞれに自分が選ぶことなんだから。他人の生き方なんだから。

わたしができるのは
きっと
『私は誰かの癒やしになっている』のが本当なら
『私が笑顔でいることが全てを幸せにする』のが本当なら

ここに居続け、笑顔でいる時間を増やすことなんだと思い始めています。
私自身を大切にするということです。

たくさん苦しみ辛い経験をしてきて、簡単に幸せになってはいけないような、いい気分になってはいけないような、悩ましさがついてまわって、それはとても難しく感じ、

まだ誰かに助けて貰いたくなりますが・・・。
頼ればいいか(笑)

これから先は

私として私を生きている実感をもって過ごせる私になりたいです^^


長くなりました。
誕生日を改めて思い直して書きました。
読んでくれてありがとう。

yumiko

☆zoomヨガレッスンしています☆

公式lineのタイムラインに日程等あげております。
参加ご希望の方はご確認下さいませ。

ご案内メニューはhttps://ameblo.jp/cafelaut/entry-12604038978.html






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