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1月8日 ハッピーアワー

とくにやるべき仕事もなかったから代休を消化することにした。
普段通りの時間に家を出て、ニッポンの社長のデドコロを少し聴きながら歩く、途中でランジャタイが『マヂカルラブリーno寄席』について話しているYouTubeラジオに変えて、あのイベントの感動をしがむ。

頭ひとつ抜け切った王者・野田クリスタル「さん」と視聴者数に緊張したメンツが、自分達のネタに野田がヤジを飛ばした瞬間に弛緩していつもの感じになったという話がすごくいい。
あの配信を見たとき、ランジャタイを楽しむための方法、隠れた才能などの切り口とかよりまず、配信でも伝わってくる成熟したプロ地下芸人の内輪感の刺激がとても楽しかった。だから、ガヤを飛ばす芸人が自分の出番が近づいてくるとだんだん緊張してくる様子とかもビンビン伝わってきていたし、結局顔で笑わせた永野の話も、その永野に「そんなことしてまで受けたいか!」とヤジられたザ・ギースを想像したら、終わったイベントとは思えないくらい未だに笑いがこみあげてくる。ランジャタイが表現した、そのときの高佐のまとった空気「俺だけでも世界観」が最高ワードすぎて、スイカをチャージしながら涙がでそうになった。

https://youtu.be/9uedRZQszr8


いつもの時間の電車に乗って、いつもの駅では下りず、10時過ぎに下北沢駅に着いた。
天気は快晴で、下北っぽい若い人がちらほらいるくらい、ただの井の頭線沿いにある駅ののどかさを久々に感じる。同じBONUS TRACK敷地内にある店々が開店前の中、月日は8時から営業していた。ここでコーヒーを飲んでから駅に向かう人も多いのか。駅の裏から歩く道に気づいて以来、駅からTHREEに向かう商店街を歩くことが減った。あそこももうチェーン店ばかりだと思うけど、ガラガラの道を歩いたら少し寂しくなりそうな気がする。


鍋島讃『言葉に棲む日々』と2冊目を買う。『何月何日』は取り扱っていなくて、もしかしたらと思ったB&Bは開店時間が12時だった。さっさと用事を済ませて渋谷へ。この道中はずっと『オズワルドのニューラジオ』でエレパレについて話している回を聴いていた。

人通りがいつも通りの渋谷から宮益坂を上り、ベローチェに入って買った本を少し読む。
鍋島さんの日記も、日記本をつくろうとする日々を用意するところから始まって、その際に読んでいたのが阿久津さんや柿内さんの日記というから、心持には共感した。
会計したときは気づかなかった、本を入れてくれた袋の中に、小さな紙1枚の「月日の日報日誌」が入っていた。有料で袋を買った場合に入れてくれるのか、知らなかった。
神保町ラドリオのトイレに貼ってある壁新聞を読むのが好きで、月の始まりに行くと扉付近の小さなバケツに入った新聞をもらえたことを思い出す。
お客さんを待つ側の人が、ずっと同じ場所でどんなことを考えているのかを知るのは少し楽しくて、一方通行にならざるはえなくても、そんなことを教えてくれる店が好きだ。


青学の近くにあるはずのクアアイナが見つからず、それで時間を少し使った焦りを抱きながら、目に入った店でパスタと前菜セットでビールを飲み、タコのマリネがおいしかった、イメージフォーラムに入る。


『ハッピーアワー』
公開されたときはその上映時間の長さもあわさって話題になっていたと思うけど、映画を見ることが習慣化されないままここまで来たので、興味はあって見なかった数多くの映画の一つとしてしばらく忘れていた。
今週昼飯を食べた同期が、イメージフォーラムで上映されていたから年始に見てきたと教えてくれて、それから昨日なんとなく開いた『プルーストを読む生活』に、映画批評家・三浦哲哉『「ハッピーアワー」論』を読んだ日のことが綴られていた。
そういえばと思い出し、少し調べるとfuzkueブログで阿久津さんもこの映画の話をしていた。
その中で、

「この文章によって一人でも「そこまで言うなら」つって、貴重な5時間を費やすと
いうかほとんど休日を預けるような感じで映画館に向かってくれたらすごいうれしい
というか、「ざまあみろ!」という気になるというか、見るはずじゃなかった人を一
人でも映画館に向かわせたい」

とあって、この「ほとんど休日を預けるような感じ」が、コロナに飲み込まれた世界が失った最大の積極性に思えてきて、ようし、なら俺はイメージフォーラムに行こうと思った。親しみを感じる場所からの偶然が二つ重なると、縁を感じて体が軽くなる。こういう軽さは特定多数から膨大に欲しい。

https://fuzkue.com/entries/311

安全とか健康とか、そういうのが積み重なった未来そのものを、ルールや施政者に預けられない歯がゆさから生まれるエネルギーは、義務感や反発心や団結感みたいな方向に進みやすいような気がする、それは当然のことと思いつつ、静かな熱量でこそできることが、一日を何かに預けることだと思った。
昨日ネットで座席表を見たときに比べたらまあまあ人が集まっていて、30人くらいが通し券を買っていたらしい、三部に分けられた5時間17分に預けていた。

そういや、体を預ける感覚、ベローチェの喫煙スペースとか、なんとなく煙草を吸う行為と大違いで、タバコを吸いに立つとき、決して自分がまさに体を預け切ってるわけじゃないんだと気づく。
煙草を吸いに立つ、自分の欲を満たすために行動の選択肢を決められる感覚。新幹線の落ち着かなさと同じじゃん。余計貴重だ。

『ハッピーアワー』めちゃくちゃよかった。しばらく、この映画と生活する予感。

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