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7/18~24

日曜日
細田守『竜とそばかすの姫』
中村佳穂のうたと声、グランドシネマサンシャインのbestiaで見た。クライマックスで鈴が歌うシーン、観客の声に包まれて「これが中村佳穂だ!!!!」よ気持ちが高まりすぎて泣いた。エンドロールのトップに名前が出たときの感慨というか、感動も凄い。
とはいえ、気になる点も多くて、インターネットとか大人の社会的責任の描き方が古すぎる。
リベイルすることのリスクは、Uの中のもう一つの現実で積み上げたものが無くなることではなく身バレだし。竜の正体探しの際に現実とUの接続リスクが描かれているにも関わらず、鈴の歌唱においてはそのことが抜け落ちている。

ベルが竜に興味を持つ、物語の一歩目になるところの動機や感情が読み取りづらい。「追われている?」の一言でそれを察するには無理があるし、一番最初の興味が「あなたは誰なの」なのも、Uがもう一つの現実である定義を揺るがしてしまう。
そういった竜とベルが気持ちを通わす一連をミュージカルで消化してしまう雑さはだけど嫌いきれない。あそこまで大胆なパロディにするのはいいけどベルのキャラデザが一つだけ突出しているのも違和感。竜の正体を見つけたあとの物理的な移動、未解決のままの移動。

一足欠けた犬、淵の割れたマグ、亡くなった黄色い車。


月曜日
藤本タツキ『ルックバック』

『実力刃』もう中、空気階段、ヒコロヒ―、インポッシブル。7分を自由に使っていい企画なのに長尺ネタをしているのが空気階段だけだった。インポッシブルが面白すぎた。
TVerで『脱力タイムズ』アンタッチャブル復活回がアップされていた。何度見ても柴田のリアクションが最高だ。「ご一緒に、踊りませんか?」で大ウケしているのがすごい。スタジオにスタッフがたくさん入ることができた時代の収録って感じ(そもそもの企画がそうだけど)柴田かっこいいんだよな。
『霜降りチューブ』ばかり見ている。おととしの1日30本どりとか。あれだけの売れっ子が毎日投稿するためにベロベロになっても頑張っているという事実にやられる。
『小説新潮』加納さんの新コラムが、淡々としていながら、面白い。
『文藝』の「宵」は微妙かも。


火曜日
藤野タツキの書き下ろし読み切りがジャンプ+で公開された月曜日、朝からTwitterに絶賛する投稿が連なっていた。

4コマ漫画が映画のフィルムのように、切り貼りして時間を編集する仕掛けがある。起承転結を体現した4コマ漫画の文化は「出てこないで!」の1コマ目と頭蓋骨の4コマ目に裏切りがあるのだけど、物語上、出てきたことで京本は死んでしまった。二人の関係性や目的は分かりやすいのだけど、目的へ突き進んでいく時間の経過が、起承転結のない4コマのように、同じカメラの置き方で(買い物や喫茶店にいるときも)表現する。圧倒的な時間量が支えている。それは、京本との共作を辞めた藤野の連載作品の単行本11巻だけが何冊もならば本棚でもわかる。書けない、もしくは、重版。

1ページ目にDon't
最終ページにin anger
が描かれている。

現代の現実の物語を書くとして、社会は小説よりも奇であり、残酷で、サバイバルだ。それを無視した作品はファンタジーになってしまう。このサッと消費して生まれる感動は代替可能なのではないか。


水曜日
「しあわせジョン」のみそざい氏が、長編「ジョンとトムの夏休み」を無料公開されていた。
https://note.com/misosazainfo/n/n0952c2b1feb5

四連休前日にワクチンを打つことになるとは。腕が痛いしきっと熱が出るだろう、いやすでに体がふら付くと帰宅後、下北でUさんCちゃんたちが結局朝まで遊んでいることを翌日のグループラインで知る。残念だけど、それでもいいやというくらい体調がだるい。

木曜日
身体が熱っぽいのはワクチンのせいか。早く着いた下北のチェーンカフェの体温計測で37.6度で入店できず。スズナリで地蔵中毒『母さんが夜なべをしてJavaScript組んでくれた(原作 カラマーゾフの兄弟)』
ヒルナンデスの南原に爆笑しちゃう俺、というボケから始まる地蔵中毒の世界に二時間。ただ今作は、原作の物語を進めるべく暗転による場面転換がとにかく多いし、1対1の会話シーンが続くことによるなかだるみを感じずにはいられない。ボケへのツッコみが解説めいているところも邪魔な気がして、結局一番覚えているのは、次郎をライオンで挟んだら”ライ次郎オ”というもので、何が面白いのかも思い出せないけど記憶に残っている。
前回と同じく、観劇直前まで『両A面』を聴いていたけど、今日の脳内加納はそこまで楽しそうな顔をしていなかった。とはいえ、地蔵中毒の演者はみんないい。客演の大宮次郎の狂気的な大声もよかった。
終演後下北をぶらついていたら、遠藤さんがしほさんといるとのことで少し一緒にいた。

金曜日
日焼け止めを塗り忘れた。花園神社に向かう交差点の頭上でブルーインパルスが飛んだ。テアトルで抜き取った『子供はわかってあげない』のチラシをしまっていたところだった。テーブルの向こうで右の手を出したときは左手を意識させないマジシャンの鉄則みたいなものを思い出す。
思いつきで高尾山に登ったのだけど、麓以外に喫煙所がなくて最悪だった。頂上にはあるかと思っていたんだけど、そこには五輪のモニュメントがあって余計最悪。体調が優れなくて、松屋でうな牛を食べて家に帰ったのが20時過ぎ、親が開会式を見ていた。『脱力タイムズ』で向井が汗をかいている姿を目に収める。ツッコミは謎解きらしい。永野の登場ポーズがまだwinwinwiiinの中田敦彦と宮迫であることに笑う。

Twitterのトレンドに#森喜朗ありがとう があって目をむく。しばらくして見るとなだぎ武と劇団ひとりが入っていて、前者はカジャラだろう。劇ピンの映像だけ見たけど、彼の喜劇人としての晴れ舞台を祝福できる世界線にあれたらよかったのにと心から思う。あの人も爆笑問題のように、やることを選択する人だから、と納得できるところもあるのだけど、こういう風に自分の好きなジャンルと大義名分のある舞台が接続されるカタルシスの大きさ、それを理屈でコントロールしてしまえる自分を作った社会にどんよりした気持ちになる。にしても劇ピンのキャラ造形も昭和すぎる。すかさず、プペルvsアナルの準備は整ったなと呟く佐久間もキツい。分かりやすい救済なんてない。それぞれがそれぞれの仕事をしていて、それは大抵誰かの指示に従う慢心とほんの僅かな哲学だろう。日本人の常識な慣例で扱えるものがどんどん減っている、何も積み重ねていない、先送りした結果を日々味わう鉄の味。

『やすとものいたって真剣です』原口あきまさ、ホリ、山本高広ゲスト回が面白い。俺らが審査員やってもいいんですよ(モノマネ大会の審査員だけ若いタレントとかいて、お祭り感になっているのがよくない)と言い切る原口あきまさが良い。水曜でたまに映る原口の真剣なトーンが好きでよく彼が出る番組を見るのだけど、モノマネが一番面白いと思うので(誰にでも分かりやすいぶん)うちうちでしっかり評価されるジャンルになっていっても面白さは変わらないのに。身体がだるい。松屋でうな牛を食べた。

土曜日
池袋芸術劇場シアターイースト『弱いい派』
ショーケースにつけられたタイトルの表題作とも取れる。主人公が「タオルケットパンダ」のペンネームで送るラジオを、彼女を救い出す男の恋人も聴いていて、メディカルセンターの呼び出し番号「35番」と彼は名前を付けた。ラジオへの投稿が状況説明になるところ、リスナーの悩みを集めるその番組が『生活は踊る』のジェーンスーを意識しているところなど、今っぽい作品だと思った。
いとうせいこうが、悩みを聴く人も自分の悩みを開放するきっかけになっている相互性、その様子を見ている観客と作品の相互性みたいなことも指摘していた。
2作目、コンプソンズの金子がルフィのコスプレで登場し台詞を発したときからワクワクする。そして、弱虫ペダルミュージカル、大ダークのような魔界オペラ、最後は任天堂の発表に発狂する外国人という、あるあるを混ぜ込んだ、衝動的な、弱いい派とは?な作品だった。

奪い奪われウーバーイーツ。それは何層にも渡る搾取の構造。

体調がどうも優れない。部屋が暑い。イライラする。

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