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2/21〜27

日曜日 Aマッソ・加納

友達から、いま『anna』見終わった、めちゃよかった!と電話が来て、とりあえずもっかい見るからじゃあね、とすぐに切られた。
夜には別の友達からも、今日見ためちゃよかったと連絡があって嬉しい。自分はあまりそういうことしないけど、したいなと思った。
Aマッソ・加納さんの出るトークライブを見たけど、加納さんが呼ばれた意味を楽しめる内容ではなくて少し残念だった。
見てくれている人を楽しませる目的はどんな出役の人にも共通していると思うけど、これまで縁がなかった、いわゆる知識がある人の「放談」は、テーマ設定や軸が曖昧だと、慢心的なやるせなさを見る側は感じるのだと発見した。「楽しませる=笑わせる」がはっきりしているお笑い芸人ってめちゃくちゃ珍しい職業だ、シンプルだからむしろ安心感与えて欲しさに見聞きしているとすら思った。評価を自分で決めることは一番ストレスで、笑えたか笑えなかったかの反応だけで振り返ることができるジャンルって、観客にはめちゃくちゃ都合がいい。
最近、加納さんのお笑い以外の仕事を目にする機会が増えた。優しく、人に興味を持つ人柄を感じるようになって余計好きになっている。

山内マリコとの対談も驚いたし、今後もこういう露出は増えていくのだと思う。でも、毎回ここから始まるのかと思うと、めんどくさいったらない。

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月曜日 ネコか?ノブか?ゲーム

「いま遅れて野音向かってるけどお酒足りてる?」ってLINEすべき天気で、早稲田から池袋まで歩いた。氷結よりよっぽどキリンレモンの方が美味しくて、桜以外すべて春だった。

単独ライブ当日にコントの設定だけもらう蛙亭・中野の話を広げる『シンパイ賞』の奥行きはとっくに『ゴッドタン』を超えている。
『テレビ千鳥』は一年ぶりのこたつ回。
「ネコか?ノブか?ゲーム」が面白すぎて、何度でも笑った。コタツに隠れていたノブが姿を現すとき、それがネコなのかノブなのかを大悟が予想して待ち受けるゲーム。ルール説明時に大悟が言った「もう猫がしたなってるやろ?」がすんごい。馬鹿馬鹿しいゲームと思わせて、何層にもわたる構造が隠れていることを知らしめてゲームは始まる。思考実験に変化する。
シュレディンガーの猫くらいの発明だと思う。

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昨年末の『両A面』で、なかよしビクトリーズ解散について激ギレする加納さんの回
を聞き直す。
「そこで、友情というのはどういうふうにカットインしたらいいですか!?」
は去年の名言中の名言で、何度だってこの言葉を思い出し、友情をカットインさせるときはすかさずしてやるんだと決意する。
そのあとの、「珍しい果実や木の実について調べたんだけど聞くぅ?」も最高。

火曜日 九龍ジェネリックロマンス

祝日の朝は、Daft Punkの「Digital Love」を聴いて『九龍ジェネリックロマンス』1巻から読み直した。
眼鏡をかけると視界がぼやける描写が最初のシーンにある。記憶の曖昧な彼女の肉体と精神の物語が導入で示されているのに、懐かしさを感じさせてくれる姿にみんなが恋する九龍町の刹那的な不気味さが立ち現れると、世界に没入してすっかり忘れていた。
「"懐かしい"とは…『この胸に閉じ込めたい』ってことなんじゃないかしら」
自分の過去から生まれる気持ちだから、過去を守るために人は懐かしいを閉じ込めたいのかもしれない。閉じ込めた上で、一緒に居ればノスタルジーはいつまでも続くはずなのにね。

『宝石の国』も9巻まできた。宝石たちは、身体が削れるとそのぶん記憶も失ってしまう。優しさと自由の物語に、記憶の要素からアイデンティティというテーマがでてきて面白い。仏教の思想から配置されたキャラクターの関係性を思わず検索した。

春用のセーターを買って、待ち合わせのタイムス。
『九龍』を読んで中華を食べたくなっていたのに、空腹に負けて食べたバターが強いピラフにリセットされてしまう。所詮、腹が満たされるだけでさっきまでの欲が消え去ってしまう生き物か。
注文お願いします。ちょっと待って先に乾杯しといて。なめろうと…なめろう終わっちゃった。鯛出汁巻き…終わっちゃった。
最初からさっさと出ようと思わせる店も珍しい、神楽坂。
「anna」のコントを説明しようと話してるけど、恐らく伝わらない話し方になっていた友達、面白かったものを惜しみなく伝えたい気持ちの方が、無愛想な店員の何倍もかわいかった。
『ただばか』段ボールドルフィンの受験結果がめでたい。ムケ男が全部合格している感じ、出来上がっている。

水曜日 宮崎よかとこチャンネル

ずっとスニーカーを調べていた。ニューバランスのBB550、UGGのWESTSIDER LOW WEATHER、Eytysのodessa canvasあたりが気になる。とりあえずナイキのエアフォースを買って、欲の地ならしをしてから再考したい。ピラフと同じだ。
『宝石の国』11巻を買った。ブックオフで買い進めた場合、最新刊は本屋で買うことがなんとなくのルールになっている。あの世界で一番完全な存在にフォスはなっていっているはずだけど、一番悲しいものになっている。
「まーごめ」を聞くために見たはずの蛙亭・岩倉『宮崎よかとこチャンネル』は自粛期間中に見たぼる塾のチャンネルに通じる疑似家族の温かみがやばい。帰宅してくる住人を「○○君が帰ってきてれましたー」と紹介する岩倉の可愛さにやられた。


『人志とたけし』のトークライブをつける。面白いのだけど、目から鱗が落ちることはなく、かといって不満に思う展開や意見も出ず、つまり聞き心地がとてもよかったので、1時間もたたないうちに寝てしまった。
スパイダーマンの映画、3人が発表したタイトルは結局すべてダウトで「NO WAY HOME」に決定。

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木曜日 ドキュメンタル9

疲れて帰宅して、明日はリモートだしなあとダラダラしていたら『ドキュメンタル』新シーズンが解禁されたので一息で見た。4時までかかって、ヘロヘロになるくらい笑って、酔っぱらった。
霜降り明星がコンビ参加しているのが嬉しい一方、相方おったらヤバイ、という感情を想像して少し羨ましくなる。
硬い宝石同士をぶつけ続けて、どっちが割れるか試す遊びみたいな番組だと思う。宝石が硬いのはみんな知ってるけど、それがどんな構造で、硬度とか割れやすい角度や条件があることを知ってる方が楽しめる、みたいなことが恐らくあって、それを解説する目線は本来の遊びとは別の何かだ。砂場で遊んでいたら、ベンチから大人が注意してきたときの煩さをみんな知ってるはずなのに、なんでだろう。
ボケ合戦はずっと面白かったのだけど、終盤でギアを上げたフット後藤のツッコミが音量、切れ味ともに全てを塗り替えてしまった。
脱落者が松本と一緒にモニタリングするシステムは邪魔だと思ってたから、終盤まで脱落者が出なくて本当によかった。

金曜日 『人志とたけし』トークライブ

『アイアンマン』2と3を見たら、『ワンダ&ビジョン』が更新されていて、『エージェント・オブ・シールド』シーズン7も解禁されたので2話まで見た。こんなにマーベル作品を見まくるのは大学2年ぶりだ。

『人志とたけし』のトークライブを見終えた。
お笑いがテーマの放談は世に溢れているけど、ここでの会話は新鮮で面白い。矢野さんと杉田さんがお笑いとは別の言語体系でお笑いを語るからだし、司会マキタスポーツも、お笑い芸人的な仕草に自覚的な人としての振る舞いをする、痒いところに手を伸ばしてくれる存在だった。

2020年的なものとして、「星野源のリベラルな個人主義が」指摘されるパート。社会的多様性や他者への寛容を(悪く言えば"さえ")担保したら、個人の自由は尊重されていい("しかるべき")というだけのスタンスの天井は意外と低いかもしれない。
若林が國分さんとの対談で話していた

「多様性」や「ダイバーシティ」とか言われているけど、あれは「差別をしちゃいけません」ということをみんなが共有しているだけで、多様なものを認めているわけじゃないんですよね。

の方が、今の社会が選ぶ分岐先としては容易だったはずで、今後数年はその答え合わせがもっと分かりやすく表出される予感がある。
だけどそのスタンスは、他者との一体化には相性が悪いから、自分はその先を目指す創作、もっと根源的な方を見たい。
「多様性、寛容の名の下に広く包摂してしまおうというスタンスで色んなものを平たくならしたとき、そこにお笑いと自由はあるのか」が杉田さんの指摘で、40歳でバイト継続するお笑い芸人を集めたアメトークが具体例にあげられるトークライブは、めちゃくちゃ面白い。「泣ける」と一括りに薄く引き伸ばした感情が、外部性を持ち込みずらくしている自分の面白くなさを、この数ヶ月で十分実感した。
西野の話でマキタスポーツが言った「ストーリー型人間はいらんとこ省いていく」は何度でも肯ける。『WinWinWiiin』の違和感を端的に言語化するなら、きっとこれだ。

ヒコさんの『anna』を書いたブログは、迷作「Q」は「介入者」なのだと明言する初めてのテキストですごいなあと布団の中でキャーキャーした。でも、その前段で記されたネタを整理していく部分で「奉仕」という言葉がサラッと使われていたことの方がよほどキャーキャー言いたくなった。ヒコさんもお笑いの言葉を使わないでお笑いについて書くから特別なんだと思う。


土曜日 地蔵中毒『宴たけなわ天高く円超える孫世代』

霜降りと三四郎が金曜ANNの枠を交換するらしく、ナタリーの記事で「せいやが『ありがたいですね』と話していた」とあり、絶対そうだろと思って聴いてみたらやっぱり和牛・川西のモノマネで、書き起こしの限界・野暮さに安心する。せいやのモノマネは大好きになるのが多い。

本当は、ロロ『四角い2つのさみしい窓』の再演を観に、いわきへ行こうと思っていた。
いよいよ明日だけどどうしよう、というところで、地蔵中毒の公演を取り置きしたことに気づき、後ろめたい安心感。
喫茶店のwifiで『エージェント・オブ・シールド』3~5話までを見て時間をつぶした。創立期のシールドをクロニコムから守るべくチームは少しずつ時間を遡っていて、潜入のためにシモンズがカーターに扮したり、過去のインサイト計画を阻止したりと、これまでに出てきた存在が登場するフィーバータイムが続く。過去を改変しながら別の世界線に流されていく縦軸があるこのシーズンは、エンドゲームのようなご褒美感でヤバい。

ザ・スズナリで「地蔵中毒」第13回公演『宴たけなわ天高く円超える孫世代』をみた。
「無教訓意味なし演劇」と謳うだけあって、とにかくスピーディーにボケてくる設定、キャラ、セリフ、小道具、移り変わりがめまぐるしい。
このボケ思いついたんだろうなあ、言いたかった/やりたかったんだろうなあ、と感じるようになってからはずーーーっと面白かった。無意味にボケ続けたい相手を意識したらもう、すべてが愛くるしかった。
直前まで『両A面』を聴いていたからか、脳内でずっと加納さんのツッコミが副音声として流れる。
結局一番面白かったのは、ユースケ・サンタマリアをもじった存在が登場し、ユースケ・サンタマリアっぽいことを言うなかで暗転していく場面、心の中で言え!と思ったばっちりのタイミングで「・・剛ッ」と呟いて暗転完了したところだった。
南アルプス市の市長が中央広場に女性器モニュメントを設置しよう、そしてそれはクリトリスが刃になったギロチンなのだ、みたいなことが続く。

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生がくだらないものであればあるほど、生と死は曖昧になるという無常観を叫ぶ存在がいた。彼はすべての大陸の上に3cmぶんチキンライスを撒いて、世界を意味のないもので包み込もうとするのだけど、そもそも「日本は島や!!」がアラートのように心の中で鳴る。
ボケ続ける何かが延々と繰り返される方が、気持ちがいい、やっぱり。解説いらない。

そんな感じだから「あざっしたー」くらいで幕は降りるものだと思っていたのに、役者たちは深々お辞儀をし、カネコアヤノの「星占いと朝」が流れた。

いけしゃあしゃあと
平気なふりをしたい

どんなテーマパークだよ二度とくるか!と本当に清々しかった。

ポップコーン二袋買って『AoS』を11話まで見た。まるまる1話タイムリープを解決する回で、久しぶりにデイジーとコールソンのバディが見られて嬉しい。

菊地成孔、Twitterやんなきゃよかった。
本当にやんなきゃよかった。


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