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優しくあることへの疲れと損失

やさしさ、というものがある。
辞書を紐解くとやさしさというのは以下のようなものだという

心温かく、思いやりがあること。または、おだやかでおとなしいこと。

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素晴らしいことだ、やさしさがあれば決して争いは起きない!
けれど、様々な人間が存在する以上、世界はやさしい者ばかりではない
世間一般的にやさしい、とされている人たちはそんな人や言葉にぶつかって摩耗しながら生きていると感じる。

摩耗する心

先日こんなことがあった。
筆者は隔週土曜日午前中半ドンで仕事があり、大体が会議に消費されて終わる。最終週の土曜日は大概やることがないため前日に有給申請して休むことにした。
そしてその報告を金曜日に帰宅して妻に告げた

筆者「明日半日やることないから有休にしちゃった」
妻「え?休むの?」
筆者「今週やるべきこと終わっちゃったから」
妻「休むなら子供の予防接種とか検診の日にしてよ、ただ単に休むだけとかムカつくんだけど」

愕然とした、私は土曜日の午前中休めば買い出しや用事を早目に済ますことができると良かれと思って休んだのに。

妻からするとそれはムカつくことだったのである。

決して今まで予防接種や検診の日に休まなかったわけではない、日程や仕事の都合が合えば休んだのにも関わらず、ムカつかれたのだ。
正直ブチ切れ案件だと思った、「分かりました、もう有休使わないようにするわ」本当はもっと強い言葉を使いたかったが、我慢した。
それだけ心が摩耗した。

もし妻が逆の立場で筆者が同様のことを言ったとしたら、どんな言葉が飛んできただろうか?
そんなことを考えるだけでまた心が摩耗する。

他人に対して優しくある、ということは我慢するということに近い。優しいということはそれだけ負担が大きい。

損失

よく元暴走族が更生して、いまこんな素晴らしい活動をしています!というようなニュースをきくことがある。
カンダタが気分でクモを助けたように、悪かった人が少しの善行をすると世間の評判は著しく上がる。

それに対して普段の行いの良い人が少し性格の悪い一面を出すと、世間の評判は著しく下がる。

おかしくないだろうか?
所謂”やさしい人”は日々心を摩耗させて生きているのに、素行の悪い人間の善行に一瞬で負けてしまうことがある
やさしい人をするのだったら、一生やさしくいなくてはいけない。
少しでも隙を見せようもんなら、評判はガタ落ちだ。

やさしくあるのは難しい。

世の中は厳しい

世の中は優しくあることを求める、世の中が優しさであふれれば皆が幸せだろう。
しかし筆者の家庭内でも不和があったように、全員が全員優しくある、というのは難しい。仮に優しい人であっても好不調によって気分の波があって当然なのだ。

川を流れる石のように、優しい人の心はそうした優しくない人たちの行動や言葉でどんどん摩耗していく。
石はやがて小さくなり砂粒になって消えていく、そうなれば優しい人の行きつく先はどこなのだろうか?

やさしくあるのは無理なのかもしれない。

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