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韓国のりノリノリinドン・キホーテ

じょいまんみたいなノリから始まるこのノリノリの海苔物語。

夜の民の御用達ならぬ御用観光大使ことドン・キホーテ。
深夜の二時でも遠慮なくきらめいてるネオンライトに吸い寄せられた猫暮。レジ前に平積みされていた大量のある商品にくぎ付け。

そう。韓国のりである。

8*12=計96枚の超格安韓国のり。
お値段はたったの995円(税込み)




韓国のりといえばちょっと豪勢な海苔だ。

猫暮が海苔マニアかと聞かれればそうでもない。ただ、子供時代に経験した弾圧の重き歴史が私の双肩に重くノリかかっていた。

「ちょっと、ちゃわんにつき海苔は二枚までよ」
「ごはんですよ!は箸で二すくいまでよ」
「韓国のりは貴重品だから、一枚ね」

節制に勤しむ我らが家族に、贅沢という選択肢はない。
浦沢直樹の『20世紀少年』後半くらいに「贅沢は犯罪です」とかん口令の敷かれた我が家において、海苔というのは金やプラチナと同じくらい貴重な資源だった。

あと、赤と黄が入り混じったなぞのふりかけ「すきやき味」とか、トーストに乗せる専用とかいう汎用性の欠片もない「ピザトーストの素」とかもそう。
几帳面に開封日が記され、数少ない資源を一週間で可能な限り分散させるのが我が家のしきたりであったのだ。

そんな圧政を強いられた猫暮の反動は、それこそ鬼気迫るものがある。

うーん、そうだ、デモンストレーション代わりに一つ紹介しよう。

『桃屋のごはんですよ』前にでろ。

さぁ、きたな。
今まで貴様には煮え湯ならぬ「海苔湯」を飲まされてきた。

ウチでの「ごはんですよ!」の扱いといえば、お茶漬けのにぎやかしとして添えられることが多かった。
永谷園のお茶漬けの素だけでは心もとないと、使用が許されてはいた。けど一度の使用が認められていたのは、たったの二摘まみ分までだ。

お茶の水面から露出した氷山ごはんの一角にノリをちょこんと乗せて楽しむ。だが、白飯をかきこもうものならあえなく薄緑色の水面に黒く焼けた海苔が沈み、なんか青汁みたいなドス黒い緑色の様相を呈する。

これこそが我が家の「海苔湯」の正体だ。

海苔の風味がうすーーーーーく広がってしまい、永谷園のお茶漬けの素に全てかき消されていた。とにかく海苔不足にあえいだ。
これならまだ使わない方がマシと思える。ただただ「ごはんですよ!」の期待値を高めるだけ高めて、何も味しなかったみたいな、一種の拷問にも等しかった。

さあ、そんな子供時代を経て大人になった私が、このアジな拷問官をどうしてやったと思う?

「たった二回の食事」で390gを全部使い切ってやったのだ。


カレー用のスプーンですくって、ドサッとした。


白いご飯がもう、なんだか分からないペースト状の海苔で覆われたのり弁みたいな有様だった。
どこをたべてもごはんですよ!の風味が口内を支配した。

もはや「ごはんですよ!」じゃない。
「のりでしょ!」だコレ。林修も納得の海苔率。過去を精算できて私は大満足したけれど、家計の負担になっちゃうのはご愛敬。

しかし、見ない間にあのやけに眼鏡がズレ散らかしたひょうきんなオヤジはどこにいったのだろう。あのチャーミングな鷲鼻と明らかに小さすぎるレンズがチャームポイントとして脳内にこびりついている。

ちなみに彼は「三木のりお」といって立派な喜劇役者だが、最近ではほとんど見なくなった。

なぜだ。

私は彼の笑顔にいままで苦しめられてきたのだ。ごはんですよ!とあれだけ主張してくれていたのに「海苔湯」に溶けてしまい、なにがごはんですよだと不貞腐れる毎日を過ごしていた。

それがやっと心から笑えるようになったというのに、なんだか一抹の寂しさを覚えた。
主役を欠いた瓶詰のパッケージをびん・かんのゴミ箱に投下しながら、私の復讐劇の一つはあっけなく果たされた。


だが、まだ満たされていない。

そう、1枚までという大圧政時代の象徴足る韓国ノリの欲が、まだ私の中に封じられたままなのだ。

満たされない気持ちを抱えたまま、ついに出会う。

このとんでもない容量を誇る韓国のりに。

「なんじゃこりゃぁ!」と太陽じゃなくてドンキのネオンライトに吠えた私は、導かれるままにカゴに投入。そのままレジにわが身ごと投げた。


仮に、これが圧政時代に出逢いであれば1か月は容易に保つであろう大容量。

ひもじい思い出がよみがえる。
あの頃、パリパリの食感なんて体感5秒くらいでおわってしまっていた。
たったそれだけの時間じゃあ、食べたことだって忘れてしまう。

「あれ?いま私韓国のりたべたよな?」
「確かにたべてた。今日のあなたおしまいね」
と宣告されるまでがワンセット。

トボけた態度とりやがって…みたいな視線を家族から向けられていた気がするが、本当に印象も味もノリも薄すぎて記憶に残ってないのだ。


だが、そんな日々とはおさらば。
この大容量の海苔の処遇は私の掌の上。
さぁ、どうしてくれようか。


ごはんと一緒に食べることしか出来なかったあの不遇の時代を払拭すべく、まず私がとった行動はなにか。

そう。
そのまま。
ごはんの時間でもないのに。
スナック感覚で食べてやったのだ!!!



ふぉおおおと私の脳内オーディエンスたちが悲鳴にも近い喝采をあげた。
観客の中には「鬼!」「悪魔!」と、清貧だったかつての私の姿と比べて嘆く人も居たが、今となってはもう遅い。

あの地獄の時代は終わったのだ。
さながら地獄の淵からよみがえった鬼でも悪魔にでもなった気分で、大口をあけて韓国のりをムシャムシャバリバリと食べてやった。

え、1枚づつ?

まさか。
まとめて5枚重ねて十分な厚みを味わってやった。

濃い。しょっぱい。
塩分過多で身体が悲鳴をあげる。

構うものか。私は海苔の悪魔と化した悪鬼。もはや気を遣うことなどない。くるくると海苔をタバコ状にまいてスパスパと吸ってやった。すっごい塩味。そのまま口の中わしゃわしゃわしゃとねじ込んでやる。ああ、なんて爽快なんだろうか。丹念に時間をかけて作られたはずの海苔がたったの一瞬で私の体内に取り込まれていく。

大丈夫。なんたって96枚もあるのだ。かつての私の環境なら遊んで暮らせるくらいある。だから大いに楽しんだ。

朝起きてむしゃり。
昼間につまんでむしゃり。
夜のおともにむしゃむしゃり。
こまかく砕いてごはんにパラパラ。
手巻き寿司みたいにまいてもぐもぐ。
もう思いつく限り、なんでもやってやった。

ああ、これが幸せ。ノリノリの人生だ。


だけど悲しいことに、幸せは長続きしないもの。

たったの1日半で、袋が空になってしまった。

「鬼滅の刃無限ノリ編」はまったく無限要素を示すことなく、残酷な有限の帰結に至ってしまった。

どうして!
あんなにあったのに!
袋の中には乾燥剤しかはいってないじゃない!
3桁近い枚数を誇っていたはずなのに…。

まるで私の体は満足できていなかった。口惜しかった。

だけど、ああ、今ならわかる。
きっと私の親も、もしかしたら、この無常さをわが子たる私に味わさせるわけにはいかないと、極端な節制を強いるに至ったのかもしれない。

ありがとう、お母さん。

たくさんあるからこそ、ひとつひとつを大切にかみしめなきゃいけない。

足るを知った。
足るを知った、っていうか海苔を知った。
ドンドンドン♪ドンキ、ホーテ~♪

思えば、ちょっと傲慢だったのかもしれない。
オマチノオキャクサマ~ドウゾコチラノレジニ~

これからは反省して、ゆっくり食べようと思いなおした猫暮だった。
ピッ、カチャカチャ。

「―はい。こちら同じ商品3点で、2,985円になります。
 ――3000円お預かりいたします。
 お返しの15円です。
 ありがとうございましたー
またお越しくださいませー」


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