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ヴァン版「ユー・アー・マイ・サンシャイン」のサウンドに鳴り響く音楽史 ヴァン・モリソン「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」第5回

連載の全体については以下の記事をご覧に
なっていただければと思います。
ガイドマップ的ご案内+目次 / 連載記事 ヴァン・モリソン「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」を読んでいただくに際して



50’sR&Bとロカビリーの関係から浮かび上がるブギウギ

 ヴァン・モリソンのアルバム「アクセン
チュエイト・ザ・ポジティヴ」の1曲目
「ユー・アー・マイ・サンシャイン」について、曲の録音史、歌曲として何が歌われているか、そして録音史において多く生まれた
ヴァージョンの中からレイ・チャールズのものに注目し、その録音をした頃のレイのこと、レイとヴァンの関わりといったことについて、ここまで述べてきた。
 そろそろ、いいかげん次の曲だろうとお考えかもしれないが、もうしばらくヴァンの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」に関わることを記したい。
 今度は歌と共にあるサウンドのことである。

 すでに第2回で記したが、このヴァンのアルバム「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」の音造りは50'sR&B
(この表記は「1950年代のR&B」と書いた場合と同じことを意味するものとして使う)
の要素(それが1960年代初めに流れ込んだ頃くらいまでをも含んで捉えている)と、
ロカビリー〜ロックンロールの合体が基本線であり、※15


Reverb(残響追加部)※15

 第2回では、「1950年代から1960年代初めのR&B〜ロカビリー〜ロックンロールのミクスチャー」という書き方をしたが、今回の書き方は、アメリカ社会においてアフリカ系の人たちが育んだ音楽と、ヨーロッパ系の人たちが育んだ音楽という対比を意識した書き方で、どちらにせよ、それらの区別はどうつけるんだ? という問題がありはする。
 つまりは共有しているものがあるにはまちがいないが、ともかくまったく同じでもないのでミクスチャーとも、合体とも言えるかと思う。



→アルバムの1曲目「ユー・アー・マイ・サンシャイン」はものの見事にそうした造りだ。タイトなサウンドが50’sR&B的で、歌モノのバックでエレキギターが前面に出ているのはロカビリーのあり方と受けとれる。(ギタリストのデイヴ・キーリー[ケアリー?]による間奏もとてもカッコ良い)。

 歌モノのバックにおいてギターの存在が大きいのはブルースでも同じだが、ここでのギターはロカビリー的と受けとれる。

 また、50’sR&Bではブルースが大きな基盤になっているが、ギターの存在感が占める比重は全体としては、ブルースより小さい。ではあっても、その世界で活躍したギタリストがいないわけでもないのだが。

 しかし、そのサウンドの中で、ギターが占める度合いは50’R&Bよりロカビリーの方が大きいと捉えることができる。

 ロカビリーの音源は第2回である程度まとめて挙げたが、ここでは2曲聞けるようにしておきたい。
 共に超有名曲ではあるが、エルヴィス・プレスリーのヴァージョンも名高いカール・
パーキンス(Carl Perkins)の
「ブルー・スウェード・シューズ(Blue Suede Shoes)亅(1955年)を、せっかくなのでプレスリーのヴァージョン(1956年)と両方、そして1950年代のロカビリーとしてより、1960年代のブリティッシュ・ロックの重要曲のひとつ、ザ・ヤードバーズ(The Yardbirds)の代表曲としての方がより知られているかもしれない「ザ・トレイン・ケプト・ア・ローリン(The Train Kept A Rollin’)亅のジョニー・バーネット・トリオ(Johnny Burnette Trio)の
ヴァージョン(1956年)である(ヤードバーズが最初にこの曲を録音したのは1965年で、この時のギタリストはジェフ・ベック
[Jeff Beck]で、うっかり落ちてしまったのだと思うが、彼らのこの録音の曲名には、[The]がついてない)。
 実のところジョニー・バーネットが録音した曲はこれとは別の曲が、このヴァンのアルバムでカヴァーされていて後で出てくる(記事冒頭の画像に表示の曲目の10曲目「ロンサム・トレイン」で、トレインつながりに結果としてなった)。

 なお、ジョニー・バーネットのヴァージョンもカヴァーで、1951年にジャンプ・ブルースのシンガー、タイニー・ブラッドショウ(Tiny Bradshaw)が発表した録音がオリジナルである。

 このことから、ジャンプ・ブルースの潮流は、1950年代のR&Bと直結しているので、R&Bとロカビリーの境が、少なくとも音楽としては見定めがたい面があることの一例だと言いたいところだが、この曲の場合、ふたつのヴァージョンには違いがかなりあるので、そう言いづらくはある。

 だがともかく同じ曲には違いなく、ジョ
ニー・バーネットがタイニー・ブラッドショウのヴァージョンの何をどうしてこういう風に仕上げたのか考えてみると、ふたつの
ヴァージョンのつながりも見えてくるように思う。

 力強いけれど、のどかな雰囲気もあるブ
ラッドショウのヴァージョンでは、ピアノがブギウギっぽい演奏をするが、それは音造りの後ろの方に引っこんでいて、背景に位置している。

 ジョニー・バーネット・トリオのヴァー
ジョンは、テンポもずっと速く、のどかさなど微塵もない緊迫感に満ちた造りだが(列車の速度がだいぶ違う感じだけれど、どちらも魅力的である)、これはブラッドショウのものでは、背景に引いていたピアノのブギウギ的なスピード感に焦点を合わせ、同期して、前面に押しだすことで、できあがったのではないだろうか。

 またブラッドショウのヴァージョンにはギターも含まれていて、けっこう活躍しているので、50sR&Bではギターが占める割合が小さいとも言いづらいのだが、それぞれのギターのあり方の違いが聞けるのは確かだろう※16


Reverb(残響追加部)※16

 ジョニー・バーネットのヴァージョンのギターのサウンドについては、Wikipedia英語版のこの曲のページに記述がある。
 タイニー・ブラッドショウのオリジナル・ヴァージョンで聞けるギターは、ブラッド
ショウの楽団のギタリストのBob Lessey(ボブ・リシー?/レセー? どう発音するのか、私はまったく知らないので、カタカナ表記は仮のものということでご容赦いただきたい)のはずで、この人はカリブ海の西インド諸島出身だそうで、1910年生まれ(どちらの事実もDiscogsのこの人のページの記述による)。フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)はじめスウィング・
ジャズの楽団での演奏が多かったようだが、タイニー・ブラッドショウのようなジャンプ・ブルースのシンガーのバックも務めたわけである。
 その事実は、テキサス出身でモダン・ジャズ・ギターの開祖と見なされるチャーリー・クリスチャンの生年が1916年なので、このギタリストがそれより少し上の世代であることと、つじつまが合っている。


Wikipedia英語版の「The Train Kept A Rollin’亅のページ 

Bob Lesseyが録音に参加したレコード Discogs

 なお、45回転シングル盤として、このバーネットのトリオの録音は発表されたのだが、そのレコードの裏面も、やはりジャンプブ
ルースのシンガーで、1950年代のR&Bのシンガーとしても活躍し、これから先連載の中で明らかになるようにヴァンの「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」にとっても大きなテーマであるビッグ・ジョー・ターナー(Big Joe Turner)のヒット曲「ハニー・ハッシュ(Hunny Hush)亅
(この曲、第2回でアトランティックのR&Bのプレイリストをふたつ挙げたうちの、タイトルに「Vol.2」とある方に収録されていた)
のカヴァー録音が収められている。
(Discogsのこのシングルのページを見ると、プレスによって、この2曲それぞれがA面、B面どちらに収められているかが、異
なる場合のあったことが分かる。最初にプレスされたものでは「トレイン〜」がA面だったようだが。Wikipedia英語版のこの曲のページでもB面が「ハニー・ハッシュ亅だとしている)。
Johnny Burnette Trioの「The Train Kept A Rollin’亅収録の45回転シングル Discogs

◎Blue Suede Shoes
 Carl Perkins


 Elvis Presley


◎The Train Kept A Rollin’
 The Johnny Burnette Trio


 Tiny Bradshaw


 The Yardbirds


 何の気なしにロカビリーの一例として「ザ・トレイン・ケプト・ア・ローリン亅を挙げておこうと思ったら、思いがけずブギウギからジャンプブルースへ、そこからさらにロカビリーから1960年代のロックへと連なっているスピード感、ビート感に改めて出会うことになった。

 ロカビリーの実例を挙げておこうとしたのは、とりあえず直接的にはヴァンの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」のギターのサウンドに関連づけてのことだったが、「ザ・トレイン・ケプト・ア・ローリン」を聞くうちに、ロカビリーとジャンプ・ブルース〜50’sR&Bとが共有する要素として、ブギウギ・ピアノという要素が浮かび上がってきたわけである。

 実のところヴァンの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」においても、ピアノのブギウギ的な演奏を聞けるのだが、このことは、今見てきたようなわけで、50’sR&Bとのつながりと理解することができる。

ブギウギから50’sR&B行きを超特急で

 ブギウギ自体はピアノ音楽として1920〜1930年代に盛んだったわけだが(1930年代にはブルースの音楽家として伝説的な存在であるロバート・ジョンソン[Robert Johnson]が、ギターでブギビートを刻んでいたのも重要であるだろう)、第2次世界大戦が1945年に終わった後もその勢いは衰えず、ピアノ主体の音楽でこそないものの、ピアニストを含んだ編成で1940年代から1950年代にかけてR&Bチャート、さらにはポップチャートでもヒットを生んだロイ・ミルトン(Roy Milton)や
ジョー・リギンズ(Joe Liggins)の楽団などは、その流れを受け継いだと言えるだろう。また、その同時代には(ロイ・ミルトンの楽団のピアニストだった)カミル・ハワード(Camille Howard1914年生まれ)や、ハダ・ブルックス(Hadda Brooks1916年生まれ)のような女性のブギウギ・ピアニストの活躍もあり、あるいは男性のピアニストとしてはセシル・ギャント(Cecil Gant1913年生まれ)もブギウギを得意としていた(考えてみれば当然のことではあるのだが、この3人のピアニストが同世代なことに気づいて、すっかり感じいってしまい、それぞれの生年を書き加えてしまった)。
 そうした状況を経て、ブギウギの潮流は1950年代へと流入し、ルイジアナ州ニューオリンズ出身のファッツ・ドミノやジョージア州メイコン出身のリトル・リチャードの音楽などで、その生命力が躍動している。

Roy Milton And His Solid Senders
_Information Blues(1950年)

Joe Liggins And The Honeydrippers
_Little Joe’s Boogie(1950年)


Fats Domino_Don’t You Know I Love You(1958年)


Little Richard_Long Tall Sally(1956年)

 このようなブギウギの躍動感の潮流が、21世紀になって発表されたヴァンの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」には流れこんでいるわけである(今、音源を挙げたファッツ・ドミノとリトル・リチャードの曲も、今回の記事で聞いた曲ではないが、やはりヴァンの「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」でカヴァーされている)。
 だがしかし、その前に、話を今しばらく1960年代初めに留めて、1962年に、その潮流に連なる「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が発表されていることに、ここでは耳を傾けたい。
【次回記事に続く】

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