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白色白光

3月29日

いつも500とか1000文字とかで
今日は3000文字ぐらいあるので
ちょっと長いかもです。


記事長いので何か曲をと思って
こちらにしてみました。


4:00
トイレ

7:00
36.9
2時間くらい寝たはず
トイレ
うがい
足上げ20
もも上げ10

今1番やらないといけないのは足を鍛えることなので、がんばってくれたまえ、もしくは、がんばってくだちい、もしくは、ちーからーのーかぎーりーいーきてーやれー

7:20
血糖値142

8:00
れんこん昆布煮
おにぎり2個
梅干し
味噌汁

今日も味覚はおかしい
何食べても同じ味が重なってくる
梅干しの塩味が100%伝わってこない
アジシオだけ舐めてみたらやっぱり10%ぐらいしか塩味しない
塩味より舌にヒリヒリが少し来る
梅は風味とか香りでうまいと感じている模様
塩分いくらでも食べれるので危険
おいしいヨーグルトって書いてあるのいつもおいしくなくて無理矢理乳製品食べようと思って食べてるけど、これもほんとはおいしいんだろうな

8:50
歯磨き
うがいアズノール
下痢1
足上げ20
もも上げ20

9:20
36.7
96
ソルメドロール点滴

10:30
抗がん剤前の吐き気止め点滴

11:00
アクラシノン点滴
血糖値235

11:30
インスリン注射

11:50
抗がん剤点滴終わり

12:20
下痢2

12:30
おにぎり2個
グラタン
牛時雨煮
サラダ
ヨーグルト
キウイ
栄養剤バナナミルク味

完食

13:10
歯磨き
うがいアズノール
下痢3
足上げ20
もも上げ10

足動け

14:00
37.1
98
輸血前サクシゾン
パン3つ買ってきてもらった

14:30
洗浄血小板輸血

16:20
輸血終わり
37.2

16:30
トイレ
うがい
足上げ10
もも上げ10
オラに筋力をわけてくれ

17:00
血糖値323

17:30
インスリン

18:20
下痢4
うがい

18:30
おにぎり2個
ぶりの照焼
おろし大根
つしま
羽ニ重汁
ヨーグルト
みかんの缶詰
栄養剤りんご味

完食

19:10
歯磨き
うがいアズノール
足上げ20
もも上げ10
ももが上がらない
太ももとか大きい筋肉落ちると戻らないなぁ
  
19:10
37.0

20:50
ソルメドロール点滴
血糖値338

21:30
下痢5
足上げ10
もも上げ10

21:40
インスリン注射

  


今日学んだことや考えたことを少し。

なぜかたまたま同じ日に友達が仏教について調べてたみたいで、なかなかの偶然だなぁと思いつつ、同じお経の動画見てたらしく笑いましたw

その友達から教えてもらった動画を見てみたら、ちょうど自分にも、たぶん自分以外の人にも当てはまる内容だったので、少しメモを書いておけたらと思います。

お金とか欲望とか競争とかの話です。

人類全体の話として
果てしない競争のストッパー、中和剤が必要
仏教、仏門の中でそういった機会は得られる可能性がある

もっともっと
昔は礼節を重視していた時代もあった日本

今は
権利を発することが正しい
言わないと負けのような時代

ぶつかり合いが増えてしまっている

得度 出家 仏教

お金でお金を増やし続けることが、人類の幸せのためにどこまで役に立つのか
数字を永遠に増やし続けることは不可能
それによって不幸せを作ってしまっている
場合によっては自傷行為や自死に至ってしまう

お金がもっともっと欲しいというのは、永遠に尽きない欲望の可能性
もっともっと 人の性 人間のさが
終わらない 苦しみ

競争は人の自信を失わせる 
それにより劣等感を生む
それは精神的に見ると不幸なこと
売上や貨幣の量が強い物差しになってしまっている
人間の価値までお金で計られ得る 

常に比較 比較すると人は苦しむ
自分自身がそこから離れたい

個人が所持できるお金に上限がある世界でも
ベーシックインカムのような下限があっても
人間はおそらく違うもので競争を始める

現代のSNSが発達した時代だとフォロワー数の競争なども同じこと
お金以外 別の物差しでも競争する
枠が違うだけ

競争し比較し、自ら始めた競争で自ら苦しみ劣等感を生む
欲は膨らみ終わらない
煩悩 
既に生まれている
我がある限り続き得るゲーム
仏教によりそこから離れられる可能性がある

お金もフォロワー数も自分より多い人を見ると
自分ももっとと欲が膨らみ終わりはない

小野龍光さん、または龍光さんというインドで出家されている方のお話


ちょうど仏教の勉強してみようと思ったところで知った方のお話で、とても興味深く拝見しました。

ついでに個人的な話を書かせていただくと、以前から接点はあったのですが、深くお話することがなくて、白血病になってからよく話すようになった方がいらっしゃって、始めからこのような競争意識の無い方を知っているので、その方は既に、仏教の教えによらず、その欲望に関わらない、その先の世界で生きられていらっしゃるのかなと思い、改めて尊敬したり、機会があったら詳しくお話を聞いてみたいなと思ったりしました。

自分自身もあまりこういうところに書いたこと無かったんですが、30歳ぐらいの頃に営業の、売上を競うことが主目的な仕事をしていて、その中で人間の醜い部分とかをたくさん見て、もうこの、言い方悪いけど汚い世界で生きて行くの嫌だなと思って

それ以前にも20台前半でお金がらみで人に裏切られて人間不信になって、人生投げ気味で引きこもってた時期もありまして、もう何もかもどうでもいいやとか、早く死にたいなと思っていた時期もあり、先程書いてた自傷行為や自死に至りそうになるというのもわかる気がします。

話を戻しますが、30の頃に、自分1人で綺麗なものだけを見て、作って、食べれる分だけ売って、静かに生きていきたいなと思い、そんなこんながLASTを始めた理由のひとつでもありました。

元々小さい頃から好きだった、造形とか絵とかを作る自分の技術の追求とか、これをずっとやったらどうなるんだろうとか、そういうのもあるし、もちろんそれを気に入ってくださる方々がいたら嬉しいし、そういう方々と話したりしながら、のんびり生きたいなというのもありました。

そんな経験もあり興味深い話でした。

比べず競わず欲を捨て感謝する。

また仏教への興味が大きくなったので、しばらく勉強してるかもしれません。
今ここに、この考えに至ったのも、なにかの大きな、自分に必要な流れ、時間なのか、なにか自然に導かれているような気さえしています。



昨日から描いてた絵がこちらで


阿弥陀如来

最近はこんな感じで、前からやってみてる続きでもありますが、描き始めからそのままほとんどの線を残して、その時の手の動きのまま描いてみています。

もっと時間を費やしていくと綺麗に整えていくこともできますが、その時間にそれほど意味はあるのか、自分の場合は残り時間的なこともありますが、その時描いたものを一旦消して整えることに意味があるのか、ただ綺麗なだけのものを作るのは人間より機械やAIの方が得意なのでは、最初からの手の動きや偶然性を生かした方が人間らしいもの、その人らしいものになるのでは、などと思ってこうなってます。

完全に綺麗な非の打ち所のない、人間離れした神業を否定するつもりはありません。その手間や大変さもわかるつもりなので。
どっちにもそれぞれの良さがあるもので、比較するものではないと思います。

白色白光という言葉がちょうど
仏説阿弥陀経に出て来る言葉なんですが
違いがあって良いみたいな意味もあります。
詳しくは蓮の花の話とかもっといろいろ意味があります。

自分自身が良いと思うものを作って、追求して、自分が楽しめるのが1番だと思ってます。

自分は今この方向が描いてて楽しいです。

いろいろ書いてたら長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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