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志遂行に向けて新分野へ

中学2年の時に自覚した志---立場の弱い人の支援をすること---

しかし、すんなりその道に入るわけではなく、地の底を這って生きてきた。一人親となって息子を育てる・・といっても通勤に1時間半から2時間を往復。責任感の強さゆえ、イベントの企画運営の時にはほとんど毎日午前様。必然的に家にいる時間が削られ、息子には寂しい思いをさせた。

成人式を終えた翌週、息子は同市内に一人暮らし、私は惹かれた東北、
とりあえず仙台へと転居した・・2か月後に東日本大震災・・
でも無傷で何の困りごともなく、助けていただいた。
その時に『虐待されたり親との確執で家出してきた女の子と一緒に住みながら自立に向けたお手伝いをする』ことに固まった。

そして空き家を近県含めて探してみたけれどなかなか。
東北ではだめなのか?!と、西日本まで探しに行った。
もう一県、青森にも惹かれていたので、最後になるなら訪れようと
2泊3日で横断。
自然が深くて、道案内していただいた方がとても優しくて、帰るときに再訪するだろうと感じてたのでダメもとで相談してみた。

志に共感してくださった担当者のいる町へある制度を活用して移住した。
ここに骨をうずめるぞ!との覚悟を決めて。
でも、自身のメンタルがやられたのもあり、なかなか外に出れずに繋がりが持てぬまま2年が過ぎ、任期3年なのに移転先も決められず、広域で探すことにした。

都会の子たちの受け入れ先にでもなればと、活動している方々と繋がろうと思っていたので、支援者支援をしている方に会いに行った。
その方が紹介してくださった方のところに勉強で上京する際会いに出向いた。自分の志を話しているうちに、一人ではできなかっただろうことも
ご提案いただき、実現に向けて応援していただけることに。
熱中症気味で頭が働いていなかったけれど、ピースがはまった感はあって、
いろいろな立場の苦しんでいる子たちに携われることへの感謝が溢れた。

オフィスワークの隅々を経験している間、仕事を一緒に・・と言ってくださる方は少なからずいたが、それを信じると横やりが入っていたので、実はちょっぴり不安も横切ったのだけど、提案されたことに対してお任せでも、進むべき道だったのだと、今実感している。
会うべき人・コトにはタイミングがあるのだと。

そして前進したのは、息子が長い闇から抜け出して自分の使命を掴んだことも大きなきっかけだったと思っている。
彼がずっと闇の中にいるのに母親がほかに目を向けては本末転倒。
家族が和合してこそ、お互いの力が発揮できるのだと思うから。
一気に心強くなって、我が息子ながら “天晴れ!”

転居してまだ2週間だが、イライラが全くなく穏やかな心持ち。
自分らしくいられる、自分の足で立っていると感じられる。
昨年の深い闇があったからこそ、光が際立つ。
志遂行まであと一歩。新たな分野での経験をしながらその時を待つ。

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