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エッセイ - 29、29、30

先月の29日、3月29日に誕生日があり、30歳になった。
20代が終わってしまった。

20代終わったと言っても、28くらいの頃から俺の20代はもう終わったと思っていたし、29歳の1年間は死んだように生きていて、もう残りカスみたいな感じに思っていたし、でも人に年齢を聞かれる時は頑なに「29歳です」と言って、2022年1月とかに何歳?と聞かれても「3月で30になるけど29歳です」と言ったりなどして、29も30も変わらんだろと思いながらも20代である限りは20代であることを貫くように振る舞っていた。
とはいえそんな1年間も終わり、とうとう30になってしまった。

とはいえ「30になってしまった……俺はもう終わりです」みたいな話をすると、それよりも上の人たちに「は?舐めてんの?」と言われるので、実際に30であることにどうというものは無いです(白目)
そんなわけで30歳の所感みたいなことは特に何もなく、これまでと変わらない自分という存在がただそこにあるだけで、特に思うことは何も無いのですが。

しかしこの数ヶ月間の色々は、29という数字に翻弄されていた。翻弄というのも変な言葉なんだが、29にまつわる数字に色々なことがあったのだ。
去る2021年の12月29日、父親の父親、私の祖父が自宅で亡くなった。
祖父は認知症を患っていて、12月の頃にはお風呂にしきりに入っているということをしていて、家には24時間いつでも入れる循環システムのお風呂というものがあったんだけど(普通の家にはそんなものは必要ないと思うけどそこには家業のことなどいろんな理由があってそれがそこにあった)、12月は寒かったからかこの循環のお風呂にとにかくしきりに入ろうとしたり入ってるということがあり、何か対策を講じないと危険だという話を家族でしていたその日の夜のことだった。
祖父は真夜中、お風呂に入りながら心筋梗塞を起こし、お風呂で亡くなった。
年が明けてから葬儀をした。83歳だった。急なことで祖母も姉も両親も大変なショックであったけど、それでも往生であった。

そしてその1ヶ月後、2022年1月29日、今度は母方の祖父が亡くなった。
母方の祖父も、重い認知症を患っていた。母方の家は、デイサービスを利用してはいたけど祖母と祖父の老老介護でもってやっていて、認知症の進行度合いは父方の祖父より重かった。
それで、父方の祖父が自宅で亡くなったということがあったから、母方の祖父も、正直いつまで保つか分からないということがあり、母はせめて顔を見せた方がいいということで、コの禍の真っ只中ではあったものの、一月の中旬頃、1週間くらい時間を作って母が里帰りをした。
母が神戸で両親と再会して、一緒に御飯を食べたり、介護をしたりなんかして、また栃木に戻ってきて、その1週間後くらいの時分に、母方の祖父も自宅で亡くなってしまった。
92歳だった。葬儀には母が参列した。

12月29日、1月29日と、立て続けに29という日付に祖父が亡くなった。こういうことのタイミングが重なることは、それ自体は不思議なことではないのだけど、30歳の誕生日を3月29日に迎える29歳の私、突撃レーザーにしてみれば、なんとなく嫌な予感がしていた。
今年は閏年ではなかったので、2月29日は無かったのだけど、3月29日にも、何か不幸なことが起こり得るんじゃ無いかと。
その不幸の強弱はわからないけど、3月29日は私の誕生日であると同時に、亡くなった父方の祖父の母親、つまり曾祖母さんの命日でもあった。
曾祖母は私が小6の時に86歳で亡くなっていた。

そんなような嫌な予感を抱えながら歳月は過ぎ、3月を迎えた。
3月29日より1週間くらい前の3月21日のこと、友達と遊ぶ機会があり、友達とめちゃ遊んでた。
そこで神社に行ったので、おみくじでもやってみるかとおみくじを引いたら、凶だった。

「大変だけど頑張れ」みたいなことが書いてある。
凶なんて滅多に引かないというか、初めてかもしれない。うわー凶だぜ!って感じでその場でめちゃネタにしてた(白目)

そのあと職場で、職場の人に「そういえばこないだおみくじ引いたら凶でした(白目)」みたいな話を軽くしてたら、
大丈夫だよ。これから上がっていくから」と言われた。
凶という最低を引いたら、それ以上下がることは無いわけで、これから運気を上げていくことができる吉兆だと。
なるほどと思いつつ、「まあ神社によっては大凶というものもありますよね(白目)」みたいな軽口を叩いたりして、それでその時の話はそこで終わったのだけど。

そんなんで3月29日を迎えた。
その日は休みで、することも特に無いから、せっかくだからロシア料理屋にでも行くかということで、その日はロシア料理屋でウクライナ料理を食べていた。

これは焼きピロシキと、ガルショークというウクライナの壺焼きビーフシチュー。

ロシア料理屋のあと、どっか行こうかというので、茂木にあるミツマタの群生地が見頃だということで、ミツマタの群生地に行こうかと思った。

↑これは2年前、2020年3月25日に行った、ミツマタ群生地。
ミツマタという花は美しく、この2年前に行った体験が本当に良かったので、
せっかくの誕生日だし花でもみて写真をTwitterに載せようと思った。
ロシア料理屋を出たあと、Googleマップで「ミツマタ群生地」と調べて、車を走らせた。

車は山に到着した。

ここから先は車を降りて歩いて行けば良いということだな……よーし……

歩く。
……一向に辿り着かない。ミツマタのミの字もない。

↑これは風景

なんか変だなと思い、Google マップで調べ直してみると、
最初に目的地にした場所はどうもおかしい場所だったようで、ミツマタの群生地に行くためには、最初に目的地に設定した場所の山の反対側にある、焼森山臨時駐車場という場所から行かなくてはならないようだった。

それならばと、45分くらいかけて歩いた山道をまた45分くらいかけて引き返し、車に戻って車でその臨時駐車場って場所まで走った。
……ところが、その臨時駐車場には他の車の姿はなく、車を停めてはいけない場所のようだった。

それで改めて調べ直すと、ミツマタの群生地は混雑回避のため、廃校になった中学校から出ているシャトルバスに乗って、シャトルバスから行かないといけないようだった。
2年前に行った時にはそんなシャトルバスは出てなくて、このシャトルバスはミツマタの見頃の3月29日までの運用のようだった。(その日がシャトルバス運行の最終日で、次の日からは臨時駐車場が普通に使えるようになってたということだ)

このシャトルバスの存在を知った時には時刻は夕方、シャトルバスの最終時間も過ぎてしまったようだった。
結局、ミツマタの群生地をみることは諦めて、その日は90分間何も無い山道を歩き続けるだけの1日で終わってしまった。

なんて誕生日だ!と思ったものの、もしかするとこれは何かの天啓であったのかもしれない。
先日、おみくじの凶を引いて、これ以上に悪いことは起こらないというどん底を受けてからのこの何も無い山道を歩くだけの1日は、もしかすると先日の凶のおみくじが、3月29日に起こるかもしれなかったとてつもない不幸を、ちょっとした軽いアンラッキーに肩代わりしてくれたのかもしれない。
もし俺がその日、ミツマタの群生地を見に行っていたら、何かとんでもないことが起きていたのかもしれない。自分が死ぬか、自分の身内の誰かが死ぬか、あとはそこで何かをもらってきてなんかに感染するとか。(白目)
まああんまり神様のどうのこうのみたいな話をしたいわけでもないし、そんなつもりもないのだけど、12月1月と立て続けに起きていた不幸を、3月の29日をもって違う流れに引き寄せたようだった。
そして30歳が来た。

29の後に次に来る数字は、30。
これから先にどんな苦難や不幸が待ち受けるのかは、誰にも分からない。4月29日にはまた何か途轍もない不幸が待っているのかもしれない。
それでも3月29日は、奇妙な運命のもとに、何か変だけど特別な1日になったような気がした。

追伸:ミツマタの群生地は、4月2日に改めて見に行った。

全然まだまだ見頃だった。ミツマタ……何と美しい花だろう……(白目)
ミツマタは、和紙の原料にもなっている。今年は流石にもう見頃を終えてしまっただろうけど、栃木県茂木町のミツマタ群生地、3月下旬の栃木観光にはオススメのスポットです。
来年もまた咲いてると思うから、その時には是非よろしくお願いします。(白目)

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