詩歌によせて24

 第六首 この歌は、片思いを懐かしみ、また人生を皮肉に見ている歌であり、中年過ぎの男の感慨として読めば分かりやすくて好きだ。

 この町に 片恋に似し人 住みき やや肥えて 罪深き 妻となりゐむ (大野誠夫)

 この歌は男性ならだれにもよく分かる歌である。時の経過と共に、かつてあれほど恋い焦がれた女神は、心の中では落ちた偶像になり、やがては何の輝きもない平凡な女性になる。それは、恋を得て結婚しようと、片恋のままで終わった場合であろうと、変わりはない。
 
 やがて熱く恋い焦がれた女神の偶像は、いつの間にか心の中には不在になる。仕事に忙殺され、酒を飲んで憂さを忘れたい中年の男には、恋なんか不要だからだ。そして、男がもっと年を取ると、かつての女神はもうただのおばさんになってしまう。その時、かつての心の中の女神に対して「ありがとう」と言うのか、それとも「もう忘れた」と小さく呟いて足早に立ち去るのか。
 
「ありがとう」と呟いて立ち去ることができる男こそ、男の真価があるというものだ。片恋であったとしても、その恋の間は心が踊ったのだから。心が踊った瞬間をくれた相手に対して、「もうあいつもしわくちゃになってしまっただろうな」などとしか思わずに、感謝の気持ちを表さないのは、本当の大人の男がすることではない。たとえその片恋の結果自分が傷ついたとしても、である。


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