百人一首についての思い その99

 第九十八番歌
「風そよぐならの小川の夕暮れは御禊ぞ夏のしるしなりける」 従二位家隆
 上賀茂神社の境内を流れる輪に、涼しい風が吹く夕暮れ時は、もう秋のような涼しさです。六月祓の行事だけが夏であることのしるしです。
 
 A twilight breeze rustles
 through the oak leaves
 of the little Nara River,
 but the cleansing rites
 tell us it is still summer.
 
「ならの小川」は、奈良市内の川ではなく、上賀茂神社の境内の御手洗川(みたらしがわ)のことを指す。「なら」はブナ科の落葉樹、ナラ(楢)の木との掛詞で、「神社の杜に生える楢の木の葉に風がそよぐ」意味と、「御手洗川に涼しい秋風が吹く」という意味を掛けている。
 そして、上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神である。つまり、雷神である。この歌の初句は「風そよぐ」だから、「風神」である。つまり、雷神と風神で皇室鎮護を願う気持ちが込められているのだ。
 
 定家も家隆も俊成の弟子である。『新勅撰集』の詞書きに夜と、藤原道家の娘の竴子(しゅんし)が、女御として後堀河天皇のもとに入内するときに贈られた屏風歌の一つだ。
 
 定家の歌は、取り戻したい平和な社会はもう訪れないという意味の嘆きだった。この歌は「平和な社会は訪れない、風だけが吹いている」という嘆きの歌だが、せめて風神と雷神が入れられていることから、神の御意思にお任せするしかないという思いなのだろう。
 

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