百人一首についての思い その4

 第三番歌
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かも寝む」 
 柿本人麻呂
 足を引きずって歩くほどの山奥に棲む山鳥の尾のように、長い夜を、ひとり寝ることになるのだろうか。
 
 The
 long
 tail
 of
 the
 copper
 pheasant
 trails,
 drags
 on
 and
 on
 like
 this
 night
 alone
 in
 the
 lonely
 mountains
 longing
 for
 my
 love.
 
 一番歌目と二番歌目は、どちらも天皇の御製であった。普通なら三番歌目には皇族の誰か、あるいは身分の高い貴族が配列されるだろうと思うだろう。しかし、ものの見事にその期待を裏切って、身分の低い下級官僚の歌が掲載された。
 つまり、これは身分の違いはあっても、下級官僚に過ぎない柿本人麻呂の才能を評価するという意味である。勤勉と努力で才能に磨きをかけて、世の中に貢献したことを評価しているのだ。確かに、多くの日本人は万葉集と言えば柿本人麻呂を真っ先に思い出すことだろう。それくらい有名である。
 
 柿本人麻呂の歌で私が最も好きな歌は次の歌である。
「東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」      
 万葉集巻1・48
 なんとも壮大な景色が浮かぶ。この歌は冬至の光景を詠ったものだそうだ。東に曙光が立ち、西に月かげが傾く真冬の払暁の光景を詠んだものだそうだ。
 
 閑話休題。
 このようなことまで配慮して『百人一番歌』という本を作り上げた、藤原定家の人柄と感覚と見識に驚かされる。我々のような凡人には考えも付かないことである。ところで、英訳のほうも「ながながし」という事を印象づけるために、わざと一行にたった一語しか配置せず、本当に縦に長いものになっている。私達日本人は大変よく分かる感覚である。このマクミランという翻訳者の、日本の詩歌に対する深い理解の真骨頂が味わえる訳であると思う。
 
 

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