百人一首についての思い その91

 第九十番歌
「見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず」 
 殷富門院(いんぷもんいん)大輔
 見せてあげたいものです。雄島の漁師たちの袖さえ、海水で濡れに濡れていますが、色が変わりません。
 
 How I would like to show you―
 the fisherman’s sleeves of Ojima
 are drenched, but even so
 have not lost their color,
 as mine have, bathed in endless tears.
 
 殷富門院大輔は、殷富門院に仕えた女性で、大輔は役職名である。身近に仕えていた彼女は、殷富門院のことを誰よりもよく理解していたことは容易に想像できる。なお、殷富門院は式子内親王の実姉である。
『千載集』の詞書きにはこうある。「歌合し侍けるとき、恋歌とて詠める」
 
 この歌は源重之の次の歌を本歌取りしたものだ。
「松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくはぬれしか」後拾遺集・827
 松島の雄島の磯野漁師達の袖は、涙でぬれた私の袖と同じようだ。
 
 しかし、九十番歌では、雄島の漁師達の海水に濡れた袖は色が変わらないのに、なぜかこの歌では私の涙に濡れた袖は色が変わる。その理由は、「血の涙」で袖が濡れたからだ。式子内親王の実姉の殷富門院に仕える人が詠んだ歌であり、しかも、式子内親王の歌の次に配置されているからには、深い洞察力が必要である。この歌がただの恋の歌などではないことに気がつくはずだ。
 
 謎を解く鍵の一つが「雄島」である。松島の中でも雄島は古代からの「霊場」であり特別な存在だと言う。そして、島と言えば秋津島、大八洲、敷島、つまり日本列島そのものである。そこから、「雄島」は天子のおわす京の都を暗示し、「雄島の海人」は「京の都の民」を暗示する。戦乱にあけくれた京の都では、身内を亡くした人がいたり、や大怪我をした人がいたりして、傷跡を残した。それで、京の都の民は袖を濡らしているのだ。
 二つ目の鍵は「色は変はらず」である。「色」というと色彩を指す場合と、「形ある物もの」を指す場合がある。世の中のカタチのことを「色」という場合もある。まり、「世の中のカタチ」が変わらない、戦乱が続く世が変わらないという意味になる。
 
 後白河天皇の皇女である殷富門院という尊い御方が、相次ぐ騒乱で民が犠牲になっている世の中を悲しんでいるのだ。そんな殷富門院の悲しみを大輔は誰よりもよく知っていた。大輔が見せたかったのは、殷富門院の悲しみの袖なのである。
 

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