百人一首についての思い その68

 第六十七番歌
「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」 周防内侍
 春の夜の夢のような儚い手枕のために、つまらない世間の噂が立ったら口惜しいでしょう。

 I would regret losing my good name
 for laying my head upon your arm
 offered as a pillow
 for a moment as fleeting
 as a spring night’s dream.

「春の夜の夢のような儚い手枕のために、つまらない噂が立ったら口惜しいでしょう」という意味だが、惜しいのは周防内侍の名ではない。相手の名を惜しんでいるのだ。相手は、大納言藤原忠家である。

あ るとき、二条院に多くの人が集まって、夜遅くまで語り合っていた。夜遅くなって、周防内侍が壁にもたれて「枕が欲しい」とつぶやいた。すると、すだれの外から、大納言藤原忠家が腕を差し入れてきた。これは、「今晩一夜をともにしようよ」という意味である。

 大納言というと非常に地位が高い。そんな偉い人から宮中の使用人に過ぎない周防内侍が、手厳しく「嫌よ」とは断れない。「春の夜の夢のような大納言様の手枕ですこと。でも、私のようなつまらない者を相手にしたという噂が立っては大納言様のお名前に傷が付いたらつまらないことですわ」とやんわりと断ったのだ。これなら、断られた大納言も面目を保てる。

「手枕」と「かひな(腕)」をかけていることも技術的に素晴らしいが、人を傷つけることなく、その場を上手に切り返して切り抜ける才能が光っている。政治の場にあっては、つまらない噂や風評で傷つく人もいるだろうが、人の「和」を崩さずに問題を解決する能力も大切なものであることを、周防内侍は示した。和歌というのは、切り抜けるのが難しそうな難関にあっても相手を傷つけず切り抜ける知恵というものさえも示してくれる。

 そこで思い出すのは、太田道灌の「山吹の花」のことである。あるとき城外に出ていた道灌は急な雨に見舞われたので、雨具である蓑を借りようと、一軒の農家を訪れた。「蓑を貸してくれ」と軒先で告げると奥から少女が申し訳なさそうに山吹の花を道灌の前にそっと差し出して、何も言わず引っ込んでしう。道灌は城に帰り、この話を家臣にしたところ、家臣は「それは『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき』という有名な和歌にかけて、申し訳ありませんが家が貧しく蓑(実の)一つさえ持ち合わせていません、ということを暗に申し上げたのでしょう」と答えた。これを聞いた道灌は、あの少女が言わんとしたことを理解できずに腹を立てた自分の未熟さを大いに恥じ、以来和歌の勉強に一層励んだという。   
和歌は日本の伝統であると同時に、いろいろと学ぶべきことが多いと分かる話だ。


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