殺すことなかれ

殺すことなかれ
 
「殺すことなかれ 汝が霊格を  偸むことなかれ 努力の光陰を  婬することなかれ 天魔の使いと  酔ふことなかれ 肉と我とに  欺くなかれ 己が良心を  五戒(法語)」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)
 
 不殺生戒(ふせっしょうかい)
 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
 不邪淫戒(ふじゃいんかい)
 不妄語戒(ふもうごかい)
 不飲酒戒(ふおんじゅかい)

 これは、仏教の在家信者が守るべき「五戒」として知られている。

 弁栄聖者の五戒の独創性は、従来の仏教の五戒と比較すると、より一層明確になるように思われる。

 殺すことなかれ  汝が霊格を
 偸むことなかれ  努力の光陰を
 婬することなかれ 天魔の使いと
 酔ふことなかれ  肉と我とに
 欺くなかれ    己が良心を

 特に感銘を受けたのが、「不殺生戒」に対する聖者の解釈である。

 弁栄聖者創作の五戒のトップに、「己が霊格を殺すことが罪である」ことを掲げている。

「霊格形成」に、従来の「不殺生戒」が包含されているように思う。

「不殺生戒」は、表面的なものから深意に至るまで、多種多様に解釈可能で、科学的知識のある私達現代人には、「不殺生戒」を字義通り受け取ることは不可能だ。


 弁栄聖者は、大宇宙、生命現象の最大の謎の一つ「無明」に関しても、ご自身の深三昧におけるご内証から独特の見解を示された。

いづれ、この最大の謎の一つ「無明」についても記事を書きたいと思いますが、今ここでは、ごく簡単に記す。

「無明とは、盲目的に唯だ生きんとする衝動である。」この無明は、生命発達上不可欠な必要な衝動でもある、と。


 そして、この「無明」の発現を、深三昧のご内証から、「宇宙全体が物心の絶対心霊態である。
・・・如来蔵心の絶対より相対の自然界を現出するに、二属性あり、一切能と一切知となり。一切能に一切物質を運動生活々動せしむる用あり。一切知の分賦たる知がまだ伏能にして、
一切能の分たる不識意志の運動のみ活動するを無明と云ひ。無明とは衆生が有する生理衝動のことなり。」(『弁栄聖者光明体系 炎王光』)と聖者は認識されていた。


 ただ、この無明は、より高次の「霊格形成」において最大の障礙となる。
弁栄聖者のこれらの卓見は、驚くべきもので、現代科学の最先端の知見にも合致するように思う。

 例えば、それは、動物の赤子における「吸引反射」と、生体に自ずと備わっている「免疫反応」である。

 特に、電子顕微鏡により可視化された「免疫反応」を見ていると、「無明」は仏教の教えの一つではなく、現代科学の重要な知見である、と真に実感されてくる。

 また、弁栄聖者は、「無明」を、「無始の無明」と「始め無し」と表現され、この表現から、聖者の三昧の深さを憶測できるように思われる。


 最後に、とても重要なこととして、「霊格形成」は、弁栄聖者が終生一貫して説かれたことでした。聖者が「見仏三昧」を、「自利利他の至極の善行」として勧めて止まなかったのは、「霊格形成」が、「憶念口称念仏」→「見仏三昧」と相即不二ゆえに。「見仏の要は一切心意を仏化するにあり。」(『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)

「見仏」という言葉から仏を「見ること」、つまり、「視覚のみ」と誤解されかねない表現であるが、真実には、「如来の妙色相好身は、色心不二」の御身、ゆえに。
 
 
 

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