西行の足跡 その10

吉野の条
 
8「あくがるる心はさても山桜散りなんのちや身に帰るべき」 
 山家集上・春・67
 花が咲けば心が浮かれる。もう、それは一生治らないとしても、せめて山桜が散ってしまった後には、我が身に返ってきてほしいのだが。
 
「あくがるる心」とは「遊離魂感覚」である。山桜(花)にあこがれるあまりに、忘我の境地になるのは自分の性情で治らない。だから、花に憧れてふわふわと出て行った魂が、せめて桜が散った後には戻ってきて欲しいと西行は言うのである。
 私も、そしてほとんどの日本人も桜は大好きである。しかし、魂が奪われるというレベルまでには入れあげないだろう。美しくて儚い桜の花を観賞し、酒を飲み、ささやかなごちそうを食べれば、それで満足である。それなので、本当に西行という人は「遊離魂感覚」の持ち主だったのだろうという感想しか出てこない。
 
 さて、この歌の前後に配置された歌を見てみよう。
「吉野山梢の花を見し日より心は身にもそはず成りにき」 
 山家集上・春・66
 吉野山の花を遙か遠くから望み見たその日から、私の心は花でいっぱいになって落ち着かない。
 
「心は身にも添はずなりけにき」はこれもまた「遊離魂感覚」による表現である。忘我の境地なのだが、西行はそれを純粋に楽しめているわけでもなさそうだ。
 
「花見ればそのいはれとはなけれども心の内ぞ苦しかりける」 
 山家集上・春・68
 花を見ると、花がその理由ということはないのに、心の内が苦しくなる。
 
 これでは、花が西行を苦しめるのではなく、西行が西行自身を苦しめているとしか言いようがない。そして、桜の花は7日間も散らずにいて、西行は苦しむ。
 
 前に出てきた道元の「現成公案」の「仏道」を「桜」に入れ替えれば、ここでも成立しそうである。
「桜をならふとは、自己をならふ也。自己をならふとは、自己をわするゝなり。自己をわするゝとは桜に証せらるゝなり」
 まさに、西行は「和歌」に証せられれ、「桜」に証せられていると入っても言いすぎではないのではないか。
 
「思ひやる高嶺の雲の花ならば散らぬ七日は晴れじとぞ思ふ」 
 山家集上・春・81
 遠くから見ては中と想像する高山の雲がもし本当に花だったら、散るまでの7日間は、雲は晴れないだろう。花を見て心は晴れるのだけれど。
 
 5のところで見た「散るを見て帰る心や桜花昔にかはるしるしなるらん」という歌は、にも「散るを見て帰る心」が歌われている。
 
 そして、この歌は「見も果てで行くと思へば散る花につけて心の空になるかな」(拾遺集・春)を意識して作ったのではないかと西澤教授は言う。
 この歌では花の散るのを見届けなかった心残りが「心の空になる」事態を招いた。しかし、西行の「散るを見て帰る心」は、花が散り終わるのを見届けたので、花への心残りは鎮まって「心の空になる」という事態は回避できたのであった。
 

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