百人一首についての思い その26

 第二十五番歌
「名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」 
 三条右大臣 
 大切な人に逢えるいう逢坂山で、二人で添い寝するため、葛のツルが伸びていくように、人に知られず逢いに行く方法があればいいのに。でもあるわけないよね。 
 
 If the “sleep―together vine”
 that grows on Meeting Hill
 is true to its name,
 I will entwine you in my arms
 unknown to anyone.
 
 三条右大臣とは、藤原定方を指すが、なぜ本名ではなく詠み手の役職を表したのだろう。そのことについて考える。
 逢坂山はただ山の名前を指すのではなく、「逢う」という意味がかけられている。そして、「さねかづら」というのは「葛」のことである。葛という植物は繁殖力が強いので、繁殖の象徴でもある。そして、相手の立場からから見て「来る」というのは、こちらの立場からは「行く」になる。そして、さねかずらの「さね」には「小寝」に通じる。マクミラン氏の英訳はそのことをきちんと読み取っている。いやあ、艶っぽい歌だね。老人の私は、こんな事くらいでは驚かないが。
 つまり、世間的には大物である三条右大臣が「人に知られないで、行くことなどできませんよね」といっているのだ。恋は「私事」である。三条右大臣の仕事は「公務」である。「人に知られないで、行くことなどできませんよね」とつぶやきながら、大好きな女のところに行かなかった。つまり、「公務」を「私事」よりも大切にした男の、誠実きわまりない、切ない歌なのだ。
 

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