和歌史3

 都を思う
 さて、山上憶良の次に登場するのは、武人の系統であり、『万葉集』の編集に関わった大友家持である。『万葉集』の巻一七から巻二十までは殆どが家持自身、彼に関わる歌ばかりである。
巻一七は天平十年(七三八)であり、巻二十の末尾は天平宝字三年(七五九)である。
 これは聖武天皇・孝謙天皇の治世である。皇位継承権を巡る様々な事変があった。長屋王の変、藤原広嗣の蘭、橘奈良麻呂の遍、藤原仲麻呂の乱などが主なものだ。
 
「越中秀吟」という歌群の中からいくつかその作品と解釈を導き出してみたい。
 
 天平勝宝に二年三月一日の暮(ゆふへ)に、春苑の桃李の花を眺矚(てうしょく)して作る二首
 春の苑暮れないにほふ桃の花下照道に出で立つ乙女 
 万葉集・巻二十・四一三九
 春の園の一面に赤く照り映えている桃の花、その桃の花の下まで照り輝く道に、立ち現れた乙女よ。
 
 
 我が苑の李(スモモ)の花か庭に散るはだれのいまだ残りたるかも 
 万葉集・巻二十・四一四○
 我が園のスモモの花が庭に散り敷いているのだろうか。それとも、薄雪が残っているのか。
 
 桃だとかスモモだとかいう題材からして漢詩の影響が読み取れるのは異論が無いだろう。この歌は彼が越中に赴任していた時代のものだ。越中にいる時には、越中や越前に赴任していた大伴池主(いけぬし)としきりに漢詩文のやりとりをしている。それは、家持の「望京」への思いを秘めているのではないかと、渡辺教授は言う。
 
 翻(と)び翔(かけ)る鴫(しぎ)を見て作る歌一首
 春まけてもの悲しきにさ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか住む 
 万葉集・巻二十・四一四一
 待ち受けた春になってもの悲しい折もおり、夜が更けて羽ばたいて鳴く鴫は誰の田に住んでいるのか。
 
 夜更けであれば、鴫が羽ばたくのは見えない。だから、夜更けなのか、それとも夜更けではないのか、ということにまず読者は戸惑う。しかし、夜中に鴫の羽ばたく音と鳴き声に意を注いでいると解釈すると、腑に落ちる。つまり、事実かどうかというよりは虚構の世界にいると考えれば理解しやすい。
 
 二日に、柳黛(りうたい)を攀(よ)ぢて京師(みやこ)を思ふ歌一首
 春の日に萌える柳を取り持ちて見れば都の大路思ほゆ 万葉集・巻二十・四一四二
 春の日中に芽吹いた柳の枝を手に取ってしげしげと見ていると、奈良の都の大路が思い出される。
 柳黛(りうたい)とは、柳の葉のように細くて美しい眉ことを言う。美人の眉にたとえていう語。ここでは柳の枝を指す。柳の枝を「攀(よ)づ」とは、柳の枝を掴んで引き寄せることだが、それに対して「取り持つ」とは大事に、あるいは意志を以て手に持つという感じだろうか。
 
 堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)ぢ折る歌一首
 もののふの八十娘子(やそおとめ)らが汲みまがふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花
 万葉集・巻二十・四一四三
 
 堅香子は今の「カタクリ」のことだ。万葉集ではこの歌でだけ唱われているらしい。
 
 帰雁(きがん)を見る歌二首
 燕来る時になりぬと雁がねは国偲びつつ雲隠り鳴く 
 万葉集・巻二十・四一四四
 
 春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来ざらめや 
 万葉集・巻二十・四一四五
 待ち受けた春になってこのように故郷に帰るとしても、秋風に黄葉する山を越えてまたやって来ないことがあろうか。
 
 帰雁(きがん)というのは、北へ帰る雁のこと。また、燕と雁を組み合わせるのは漢詩文の常套手段だ。
 
 夜の裏に千鳥の喧くを聞く歌二首
 夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋め心もしのに鳴く千鳥かも 
 万葉集・巻二十・四一四六
 夜中過ぎに寝覚めていると、川瀬を探して心もひたすらに泣く千鳥よ、ああ。
 
 夜くたちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人もしのひ来にけれ 
 万葉集・巻二十・四一四七
 夜過ぎになって鳴く川千鳥。なるほど昔の人もその泣き声を慕ってきたのだ。
 
 これらの歌を家持が詠んだとき、彼の念頭には次の歌があったのではないか。
 
 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ 
 万葉集・巻三・二六六
 
 柿本人麻呂らに自分をなぞらえるということは、人麻呂が古京を偲ぶ人だったことから、自分の望郷の思いを託して至るのではないか。
 
 暁に鳴く雉を聞く歌二首
 杉の野にさ踊る雉いちしろく音にしも鳴かむ隠(こも)り妻かも 
 万葉集・巻二十・四一四八
 杉の野で踊る雉よ。そんなにはっきり声を立てて鳴くような隠り妻なのかね。
 
 里中に鳴くなる鶏の声予備立てていたくは鳴かぬ隠り妻はも 
 万葉集・巻十一・寄物陳歌・二八○三・作社未詳
 
 また、雉の鳴き声を「隠り妻」(偲んで愛し合う妻)に向けてのものだとした。雉が妻(雌雉)を求めて鳴くというのは、『詩経』小雅にあるので、漢詩文とも無縁ではない。
 
 あしひきの八つ峰の雉鳴きとよむ朝明の霞見れば悲しも 
 万葉集・巻二十・四一四九
 山々の峰の雉が声を響かせて鳴いている夜明けの霞を見ると、とても悲しくなってくる。
 
「八つ峰」は次の歌に出てくる。
 あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斉(いは)ひ妻かも
 万葉集・巻七・一二六二・古歌集に出づ
 
 また、自作の歌で次の歌がある。
 
 この頃の朝明けに聞けばあしひきの山呼び響(とよ)めさ雄鹿鳴くも 
 万葉集・巻八・一六○三・家持天平十五年八月十五日作
 
「斉(いは)ひ妻」と「隠り妻」の違いはあるが、一二六二番の歌は、家持の四一四八番歌にも影響を与えている。つまり、家持は、自分の歌も先人の歌も綯い交ぜながら、悲しみや偲ぶ思いを軸にして、歌を作るのだ。。
 
 江を泝る舟人の唱を遙かに聞く歌一首
 朝床に聞けば遙けし射水川朝漕ぎしつつ唱ふ舟人 
 万葉集・巻二十・四一五○
 朝の寝床で耳を澄ますと、はるかかなたから声が聞こえてくる。射水川を、朝舟を漕ぎながら唱っている舟人の声だ。
 
 まとまった歌群を形成する「越中秀吟」から見えてくるものがある。それは次のような特色である。
1. 光や音に敏感に反応してている感覚姓。
2. 悲しみなど譜の上官を伴っていること。しばしばそれは望郷の念と結びついていた。
3. 先行する言葉、漢語や漢詩文由来の表現などを積極的に取り入れていること。
4.『万葉集』中この一首だけに見られる歌材、用語が散見する。
 
 望郷の念、あるべき理想の姿を、先人に学びながら、自己固有の表現方法を探る。
 
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕陰に鶯鳴くも 
 万葉集・巻二十・四二九○
 春の野に霞がたなびいて何とはなしにもの悲しい、この夕暮れの光の中で、鶯が鳴いている。
 
 我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも 
 万葉集・巻二十・四二九一
 我が家の庭のわずかな竹群を、吹き抜ける風の音のかすかなこの夕べであることよ。
 
 うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独りし思へば 
 万葉集・巻二十・四二九二
 うららかに照っている春の日差しの中に雲雀が翔けあがり、心は悲しいことよ、独りものを思うと。
 
 都に戻ってきても、自分の居場所がないという思いは、癒やされなかった。失われてしまった理想のあるべき姿を求めて歌を作っても、悲しみだけが募っていく。現実と理想の間を行き来する境界の世界はここにもあった。
 

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