救済も安堵もついに訪れず与えよさらば与えられん(Date et dabitur vobis)

救済も安堵もついに訪れず与えよさらば与えられん(Date et dabitur vobis)
 注 Date et dabitur vobisとはラテン語で、ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービースと読む。意味は与えよさらば与えられん。
 
 この言葉はルカによる福音書第六章にある有名な言葉だ。相手に無条件で相手が欲する物を与えるというのは、実に良い人生の修行である。なぜなら、執着心を捨てなければそのような行為はできないからだ。また、与えるときには対価を求めてはならない。対価を求めるのは、交換という条件が付くという意味であるから、無条件ではない。
 相手に与えることはしたくないが相手に何かを求めることはする。これでは、強請たかりである。そのような卑賤な考えは直ちにやめるべきである。いつも、いつも他人に何かを求めてばかりでは、自分の救済も安堵も得られるわけがない。何故なら聖人でもない限りは、人間はそれぞれ自分の利益を第一に考える。だから、何かの見返りが得られない限りは「なぜ私があなたにそんなことをしてやらねばならないのか」と言う反発に遭うのが関の山である。
 
 金銭的欲求ではない事柄でも、自分と意見の違う相手を変えてやろうと思ったところで、簡単に相手を変えることは不可能に近い。だから、自分の考えを変えるしかない。自分の考えを変えるとは、何もかもすべて相手に合わせることではない。受け容れることができる範囲で受け容れ、受け容れられないところは拒否する。それだけで良い。

 すべてが受け容れなければ、その人とは没交渉にしてしまい、二度と会うことがないようにするしかない。没交渉の関係にしたくても、そのように出来ない相手であれば、その話題には触れないことにすれば良い。意見の合わない事柄については回避し続けるのが最良の手段である。それなのに「俺の考えの方が正しいから、あいつにこれを認めさせてやろう」などと力むのは馬鹿のすることだ。
 与えることはすなわち得ることでもあるのだ。

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