百人一首についての思い その21

 第二十番歌
「わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思う」 
 元良親王
 こんなに辛いのですから、今となってはもう身を捨てたのと同じこと。難波の海の澪標という言葉のように、たとえ私のみが滅んでしまおうとも、今はただあなたに逢いたい。
 
 I’m so desperate, like it’s all the same.
 Like the channel markers of Naniwa
 whose name means “self―sacrifice”,
 let me give up my life
 to see you once again.
 
「澪標」とは命をかけてもという意味の「身を尽くし」との掛詞である。マクミラン氏の英訳もきちんとそのことを読み取っている。
 
 この歌は元良親王が、宇多上皇の愛妃の京極御息所との不倫が発覚し、追い詰められたときに詠んだ歌であるので、かなり切迫した様子がうかがえる。
 
 藤原一族は、唐との公益で莫大な経済的利益を得ていた。しかし、外国人が日本に来るとなると、よからぬ連中も当然いるわけで、そのような不良外国人には来て欲しくないという気持ちにもなる。一部の人の莫大な利益を優先するか、それとも不良外国人が日本に来られないような交易廃止の措置を取るのかとういことが問題になる。
 
 民こそが国の宝であるという日本古来の原則に沿って「遣唐使廃止」に踏み切ったのが菅原道真であり、道真を重用したのは宇多上皇であった。「遣唐使廃止」で利権を失ったのが、藤原時平であった。藤原時平の娘、藤原褒子(ほうし)である。藤原褒子こそが京極御息所なのだ。つまり、藤原時平は娘を宇多上皇に近づけて嫁がせた。
 
 元良親王は陽成天皇の息子である。だから、天皇に即位する可能性はあったが、陽成天皇の子供達には天皇の位は回ってこなかった。だから、宇多上皇に対しては、元良親王は腹に一物あったのだ。
 だが、藤原褒子は宇多上皇を愛していた。その証拠として、宇多上皇が崩御されたときに次のような歌を詠んだ。
「すみぞめの濃きも薄きも見るときは重ねて物ぞかなしかりける」
 つまり、元良親王の一人芝居だったとしか思われないと、小名木さんは考えている。
 
「恋に焦がれてロマンを求めても、そこには落とし穴もあるんだよ」と藤原定家が言っているのだ、小名木さんは言う。「歌の中、想像の世界では許される恋もあるのだが、現実のものとしようとすれば、それで一巻の終わりだ」という教訓が、この歌が選ばれた背景にあるのだ。まさしく、君子危うきに近寄らず、である。私みたいな君子ではない人間は、なおさらのことだ。ま、もう年老いたので何事もどうでも良くなったのだが。
 
 

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