興一利不若除一害 耶律楚材

興一利不若除一害 耶律楚材
 
「一利を興すは一害を除くにしかず (興一利不若除一害 )。一事を生(ふ)やすは一事を省ずるにしかず (生一事不若減一事)。」
 
 有利なことをひとつはじめるよりは、有害なことをひとつ取り除いた方がよい。新しいことをひとつはじめるよりは、余計なことをひとつやめる方がよい。
 
 耶律楚材はジンギスカンに仕え、オゴタイにも仕えた。楚材の家は遼(契丹)の太祖耶律阿保機の長男である東丹国の懐王(義宗・天譲帝)耶律突欲の末裔とする遼の宗族出身であった。契丹人であるが、代々中国の文化に親しんで漢化した家系である。モンゴルが金に侵攻したとき、捕虜となった。楚材は家柄がよく長身長髭で態度が堂々としており、中国の天文と卜占に通じていたためチンギス・カンの目に止まり、召し出されて中国語担当の書記官になり、ハーンの側近くに仕えることになった。1219年からの中央アジア遠征でもチンギスの本隊に随行してもっぱらカン側近の占星術師として働き、そのときの体験と詩作を『西遊録』に残した。
 
 さて、この言葉は簡明にして奥が深い、含蓄のある言葉である。人生に於いては何事も増やそう、増やそうと頑張るものだ。より有名な学校に入れるように勉強をする。会社に入ればより高い地位を求めて、狂騒に励む。自営業の人はより多くの金を儲けようとして、夜も昼もないほど頑張るものだ。年を取って引退しても、自治会の会長などより名誉のある地位に就きたがる。それはそれで別に悪いことではない。
 しかし、ひとつの利益を得ることよりも害悪をひとつ取り除く方が大切だとは、なかなか思わないものだ。理屈ではそのようなことは分かっていても、思い至らない。それは断言しても良い。だから、簡明にして奥が深い、含蓄のある言葉なのである。
 

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