百人一首についての思い その8

第七番歌
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」 安部仲麿
 夜空を仰ぎ見ると、そこに丸い月が上っている。あの月は昔、春日大社あたりで三笠の山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ。
 
 I gaze up at the sky and wonder
 is that the same moon
 that shone over Mount Mikasa
 at Kasuga
 all those years ago?
 
 この歌の意味は今更くどくどと言うまでもない。さて、遣唐使として航海するのはというのは危険な目に遭うのが当たり前のことだった。暴風雨に巻き込まれれば海の藻屑と消えてしまう。それにしても、遣唐使達は朝鮮半島の沿岸に沿って航海した。陸地を見ながら、暴風が来れば、陸地に避難すれば安全である。日本は海洋国家であり、造船技術も当時から高かったが、朝鮮半島に渡って、陸路で唐に入るほうが危くないのではないかと思えるが、なぜ海路で唐に入ったのだろうか。それは、朝鮮半島の住民や山賊による襲撃、略奪が酷いものだったからだ。
 
 さらに、中期以降は朝鮮半島を避け東シナ海ル―トに変えた。海路でも朝鮮の海賊に襲われるようになったからだ。
 仲麻呂は、帰国に危険な航海をしなければならないことが分かっていたので、望郷の思いを歌に込めた。もしも自分が死んだとしても、仲間の誰かが自分の望郷の思いを故郷の人に伝えてくれればいいという気持ちでこの歌を詠んだのだ。
 
 

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