『方丈記』に思う2

 長明26歳の時には竜巻が起きた。
 
 原文
 又治承四年(1180年)卯月のころ、中御門大路京極(なかのみかどきやうごく)のほどより、大きなる辻風(つじかぜ)おこりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。三四町を吹きまくる間(あひだ)にこもれる家ども、大きなるも小さきも、ひとつとして破れざるはなし。さながら平(ひら)に倒(たふ)れたるもあり。桁(けた)、柱ばかり残れるもあり。門(かど)を吹きはなちて四五町が外(ほか)におき、又垣を吹きはらひて、隣とひとつになせり。いはむや、家のうちの資財、数をつくして空にあり。檜皮・葺板のたぐひ、冬の木の葉の、風に乱るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべての人はまるで目も見えず。おびたゝしく鳴りとよむほどに、人々の叫び声やもの言ふ声も聞こえず。彼(か)の地獄の業(ごふ)の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。家の損亡(そんまう)せるのみにあらず。是をとりつくろふあひだに、身をそこなひ、片輪(かたわ)づける人、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方(かた)に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。辻風はつねに吹くものなれど、かゝる事やある。たゝごとにあらず。さるべきものゝ諭しであろうかなどぞ、疑ひはべりし。
 
 現代語訳
『また治承四年(1180年)四月二十九日のころ、中の御門京極の辺りから大きな辻風が起こって、六条辺まで、きつく吹いたことがあった。三四町にわたって吹きまくったが、その範囲にあった家などは、大きいものも小さなものも、ことごとく壊れてしまった。さながらぺちゃんこになってしまったものもある。桁と柱だけが残ったものもある。また門の上を吹き払って、四五町ほどもさきに飛ばされたものもある。また垣根が吹き飛ばされ隣と一続きになってしまったものもある。ましてや家の中の財宝はことごとく空に舞い上げられ、冬の木の葉が風に吹き乱れるのと同じだ。塵を煙のように吹きたてるので、なにも見えなくなる。はげしく鳴り響く音に、声はかき消され聞こえない。あの地獄の業風であったとしても、これほどのものだろうかと思われる。家が破壊されるばかりでなく、これを修理するあいだに怪我をして、身体が不自由になってしまったものは数知れない。この風は未申(南西)の方角へ移動して、多くの人の嘆きをうみ出した。辻風は普通に見られるものだが、こんなひどいのは初めてだ。ただ事ではない。さるべきものの予兆かなどと疑ったものだ。』
 
 旋風などは格別に珍しいものではないのだろうが、よほどに被害が大きくて酷い旋風だったのだろう。旋風とは、一般的に「つむじ風」や「辻風」と言われている、地表付近の大気が渦巻状に立ち上がる突風のことを言う。それに対して竜巻は、積乱雲による上昇気流で発生す突風である。地表の問題なのか気流の問題なのか、ということだ。
 まあ、科学が未発達の時代の事なので、旋風ひとつ取っても、悪いことの予兆であるという解釈が成り立つのかも知れない。
 
 

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