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ジオ鹿『5枚の写真から語る離島での路上観察』/都市のラス・メニーナス【第23回】

2020年から「路上観察の現在地を探る」として、いろいろな方をお招きして、その方が見ているものの魅力、また、どうしてそういう視点に至ったかなどを、片手袋研究家の石井公二編集者・都市鑑賞者の磯部祥行がお聞きしてきたトークイベント『都市のラス・メニーナス』主としてYouTubeで配信してきた。「ラス・メニーナス」とは、17世紀にベラスケスによって描かれた、見る人によってさまざまな解釈を生じさせる絵画。街も、人によって、まったく異なる見え方をしているはずだ。

現在、平井オープンボックスを会場として、毎月1回開催中。その第23回が2024年1月28日(日)に、伊豆諸島が好き過ぎるジオ鹿さんをお招きして開催された。なんと2023年にはほぼ毎月、島に渡っている。

中央がジオ鹿さん。左は磯部祥行、右は石井公二(写真=丸田祥三さん

今回、「伊豆諸島を語る」などということも検討されたけれども、事前の打ち合わせで「離島とは」ということを起点に考えることとした。「離島ぽい」という言い方もされるし、「伊豆諸島」の島の様子は「南西諸島」とは明確に違う。何をもっと「違う」と感じるのか。そのあたりに路上観察的な意味が見出せそうだ。

なお、「離島」とは、法律等によっていろいろ定義できるのだが、概して「北海道・本州・四国・九州」以外の島をいい、沖縄本島を含んだり含めなかったりする。

1枚目は、伊豆大島の岡田港でのさるびあ丸。港は島にとっては生命線。そして交通の結節点。それが1枚に収まっている。

この、港の光景だけでも、船に縁のない人には見たことがないものばかりかもしれない。それでもよく見れば、係留索がかけられているボラード、街灯、階段、駐車場のシステムなどは「わかる」ものだろう。

実はこの写真、「朝にこの光景は、普通ならありえない」もの。空気が澄んでいて富士山が見える朝の時間帯に、手前にジェットフォイルがいるのがそれ。さるびあ丸のアジマス・スラスター(※)が故障し、低速での運航を余儀なくされて大島折り返しとなったため、ジェットフォイルに乗り換えて神津島などに行く形が取られた。

(※)プロペラ後部に相対する形で設置され、二重反転プロペラ的に使われるとともに、水平方向に回転してサイドスラスターの役割もする

2枚目は、新島で見つけた「たぬきの焼き物」。一見すると、本土にもありそうな光景だけれど、手前の植木鉢になっている石は新島とイタリア・リパリ島でしか産出されない「コーガ石(抗火石)」をくり抜いたもの。土地ならではの景観だということもあります。「ここならでは」
の光景だ。

3枚目は、三宅島での片手袋。提示するなり石井が「軽作業類放置型歩道車道系片手袋」とまくしたてた。朝イチで港に着いたジオ鹿さんが大路池へ、そして阿古集落に向かって歩いているときに見つけたもの。写真だけ見れば、本土との違いはまったくないが、人気のない道を延々歩いているときにこの片手袋を見つけて、「人のいる場所なんだ」と安心できたという。

車道に見えるが、歩道である。こういう歩道が整備・管理されていることも、路上観察的に考えると、本土と一続きというか、同じ規格というか、「離島らしさ」と反対の概念となる。

4枚目は三宅島の火山体験遊歩道。一見、溶岩の中に遊歩道があるだけに見える。しかし、ここはかつて集落があった場所なのだ。1983年の噴火で溶岩が流出し、阿古集落の5分の4を覆ってしまった。ジオ鹿さんは「瞬時に景観が失われた場所は、路上観察は成り立たないのか?」ということを考えた。

今和次郎がしていたスケッチは、関東大震災後の「瞬間」を切り取ったものである。しかし、ここには「時間の積み重ね」がある。現在という「瞬間」で見ると、遊歩道があり、東屋があり、溶岩が固まったものがあり、鉄塔がある。しかし、「時間」を含めて考えると、さまざまな「変化」を観察できる。路上観察は、瞬間の記録であり、それを積み重ねた「変化」(もちろん「変化していない」を含む)の記録でもある。

ホントは動画なんですが

5枚目は、3月に神津島で見かけた、先生の離任の光景。船と岩壁を紙テープが結び、岩壁からは先生との別れを惜しむ子どもたちの絶叫が響く。その動画が流された。この後、同じ船が、式根島や新島で、同じように別れの舞台となる。

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「離島での路上観察」について、事前に打ち合わせをしたと冒頭に書いたが、そもそもこのタイトルや、「離島で成り立つのか」のような「言い方」にすると、なんだか「何様?」という感じになってしまう。それでも、このトークを聞いてくれた人は、きっと「離島ってどんなだろう?」と興味を持ってくれると思うし、「離島ならでは」というものを自分で見つけたいと思ってくれるとも思う。

離島は、島の規模により、産業により、表情がまったく異なる。伊豆諸島でもそれぞれ異なる。一つの島にいけばだいたい把握できる、というものでもないことが、離島のすばらしさだ。

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