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僕がサナギだった日のこと

 12月4日、月曜日。
 ほとんどの人にとって、名前のつかないいつもの1日だったと思う。
 僕にとっては、2年前、4トントラックに乗って愛媛から大阪に引っ越し暮らし始めた、まさにその日なのだった。

 ライブハウスに向かう電車の中で、最近では振り返ることも減った、地元で悶々としていたときのことを思い出す。

 20代前半から中盤にかけての5年くらいを、僕は何をするでもなく、ただぼんやりと過ごしていた。実家に住み、死なない程度にお金を稼ぎ、夜な夜な車の中で歌を録る。自然の中で散歩をしたり、貪るように映画を見たり、とても大事な時間もたくさんあったけど、それでも1日のほとんどは、どこか鬱屈としていた。

 人が集まる場所はあった。住みやすい気候もあった。それでもなぜか息が詰まった。生まれた場所だったけど、僕はその街の空気に馴染めなかった。それなら違う場所へ行けば、と思っても、一人で何かを変えるほどの力もないなら、結局どこへ行っても変わらない気がした。

 どこかへ行けば何かが変わるわけでもなく、年を取れば違う人間になれるわけでもない。ただこの私が少しずつ老い、話すことが変わるだけだ。周りも自分も根っこは変われない。そんな風に目を開けることすら嫌になる身の丈が年々迫ってくる。だからといってどうしようもない。

 旧友からの連絡があったのはそんなころだった。大阪に住んで音楽に携わる仕事をしている。どうせ行く宛ても繋がりもないなら、こっちへ来て思いっきり音楽をやってみないか。
 漠然と東京に行きたいとは思っていた。けれど彼の言う通り、何の宛てもなかった。それに、その彼との関係性もあって、この移住はただなんとなく上京することよりも、自分の人生にとって意味がある気がした。
 それから何度も考え直して、自分から1つ条件を出した。1年だけ待って欲しい。心残りを清算したかった。

 1年はすぐに終わった。いくつかの問題は残ったけれど、そのきっかけがなければ目を向けられなかったたくさんのことに、正面からぶつかったり、ちゃんと悩んだり、頑張って少しだけ良い変化があったり、前とは違う関わり方ができた。あっという間に12月になり、約束の1年が終わる前に、大切な人にさようならを言って、荷物と26年分の悶々を荷台に乗せて、大阪へと旅立った。

 それからちょうど2年。この2年が正しかったかなんて、今の自分には到底分からない。分かりっこない。未だに足りないこともたくさんある。けれど今はあのときみたいに、ただ土の中でぐるぐると回っているわけではない。抜け出した先に劇的なものはなかったけど、時を経るのも悪くないなと思えるようになった。

 最終電車は空いていて、ぱっくり口を開けて寝ていた青年が駅員に叩き起こされている。駅を出るとがらんとしていて、誰もいない横断歩道を信号の青緑が照らしている。
 ずいぶん風が冷たくなったと思う。

 来年の今日はどんな気持ちで家に帰っているだろう?遠くに行けるのは来た道を覚えている人間だけだと思う。明日もまた振り返りたくなるような1日であるように、これからも相変わらず過去を振り返ってしまう自分であるように。明日は家の掃除をする。タイヤの空気も入れないと。何百回と通ったいつもの道を走りながら、初めてやってきたときのことを思い出していた。

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