負けず嫌い?勝ちたがり?
同じ意味ではないのか?と聞こえてくるような気がする、この言葉。
調べてみたら、「負けず嫌い」は辞書に載っていたが、「勝ちたがり」という言葉はないらしい(笑)。誰かがうまく造った言葉なんだろう。
同じようなニュアンスを醸しているように思えるが、なぜか、「負けず嫌い」には若干プラスの、「勝ちたがり」にはマイナスの意味を含んでいるように感じてしまう。
私は、趣味でテニスをしている。学生の時に始めて、結婚、出産を経て、運動不足解消に、もう一度始めてみようかなと思ってから20年ほど。最初は体力が落ちすぎて、90分のスクールのレッスンについていけなかったほどだ。それでも、年月を重ねて、仲間もたくさんできて、今では草トーナメントや、ちょっとちゃんとした大会にも出るようになって、日々の練習の成果を試している。
察しの良い方は、お気づきだと思うが、テニスは個人競技で、おばさん達はほぼダブルスで試合に出る(中には、シングルスを探求している方もいるが、かなりの少数派だ)ことになる。ここで、厄介なのが勝敗だ。試合をすれば、必ず勝ち負けがつく。相手のレベルはもちろん、ボールの相性や当日のフィジカルやメンタルの調子によって、どちらが勝つかはわからない。もちろん、1人でやっているわけではないので、ここにペアの存在も絡んでくるから、ややこしい。
勝負事に、特にその結果に厳しい人たちが多いのだ。自分のせいでその試合を落としてしまったとしても、とうしてもそれだけでは納得のいかない人種がいることも事実。ペアとの相性が悪い、ペアリングがまだ浅いから、ペアと考え方や攻め方が違う…など。そして、ペアを解消したり、新たなペアを探したり、そこには人間関係もかなり影響を及ぼすことになる。まるで、恋愛関係のよう。
私は、と言うと、確かに負けず嫌いな一面はある。だけど、正直、いつも勝てるわけではないことも理解しているし、自分のレベルもわかっているし、そんな高望みはしていない。負けると、悔しいというよりは、できなかったことにしょんぼりするタイプかもしれない。そんな私を時々試合に誘うAさんがいる。その人はとっても負けず嫌いな上に、勝ちたがり。一緒に試合に行くと大変なのだ。自分のいいプレーに喜んでいたかと思うと、自分のミスに怒ったり落ち込んだり。そして、最終的にはミスしたくないからか、途中から勇気が出なくなって、ボールに触ろうとしなくなる。私と組むと、安心感があるらしい。私はいいお世話係になってしまっている。
当然、プレー以外でも寄り添ったり励ましたりと、とても疲れるので私はへとへと。人のお世話ができるほど、私には余裕がないのだが、それが私の役割となると、一生懸命やってしまう自分に、もどかしさも覚えてしまう。その度、勝ちたい人は大変だなと思う。Aさんのように負けず嫌いで、テニスに熱中して、充実した毎日を送っているように見える人には、それだけの熱いパワーがあるということ。ある意味、尊敬に値する。なぜなら、私にはそこまでの熱量がないからだ。「楽しむ」という熱量が大部分を占める私には、勝っても負けても、みたいな気持ちしか出てこない。それが勝負に弱い部分だということもわかっている。
そんな私でも、長くやっていれば、闘争心なるものが湧き上がってくるかなと思いながら、20年が経つ。うまくいかなくても、負けてもテニスをやめないで続けているということは、やっぱりテニスが楽しいからかな。いや、私の気持ちをわかって、のんびりと試合に出てくれる10年来のペアのおかげであることは言うまでもない。
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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