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死生観について 禅の十牛図と人生

十牛図(じゅうぎゅうず)は禅で代表的な画題であり、悟りに至る過程が書かれている。悟りにいたる段階を描いた10枚の図と詩からなり、「真の自己」「悟り」が牛の姿で表され、真の自己を求める修行者が牧人で表される。そのため十牛図と呼ばれる。作者は中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵とされる。私はこの絵図に大変惹かれるのであるが、それは仏教的な悟りの道だけでなく人生の過程とも重なると感じるからだ。
ユング的に言えば牧人はエゴ=自我であり、牛がセルフ=自己となるだろう。

図の出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム 探幽/十牛図

1. 尋牛 (じんぎゅう)- 牛を見つけようと決意する

真の自己、仏性の象徴である牛を見つけようと決意したがまだ見つからない。
人生に置き換えれば、真の自己とは自分が成すべき仕事でも良いだろうし生きる意味としても良いだろう。正しく生きようという思いは定まったが、まだ何をして良いのかも分からない状況下である。

2. 見跡 (けんじゃく)- 経や教えで牛を探す

経典や先人の書物を読んで真の自己の手掛かりを見つけようとする。
机の上で勉強を進める時期である。何を学ぶにしろ座学は必要だろう。学生時代の勉強はまさにこのようなことが多かった。しかし実践を行う段階ではなく、知識は自分の身となっていない。

3. 見牛 (けんぎゅう)- 牛を見る

修行し遂に牛を見つける。これが真の自己かと気がつく瞬間である。
真にやるべき事を見つけたからには、もうそのように生きるしか無くなるだろう。
この段階では大きな喜びや心の昂りもあるかもしれない。しかしまだ見つけただけであり、ようやくスタート地点に立った状態とも言える。

4. 得牛 (とくぎゅう)- 牛を捉えたがまだ飼い慣らせず牛と格闘している

牛(真の自己)を捉えたが、それを我が物とするのは難しく、時には姿をくらましてしまう。修行者はそれと格闘し自分のものとしなくてはならない。
仕事においても最初は慣れなくて必死に自分のものとしなくてはならない。私は自分が研修医の時のことを思い出す。点滴一つ取るのも苦労し、怖い思いをしながら診療を行なったものだ。あらゆる事で壁にぶち当たった。それを乗り越えるために多くの師匠や先輩の教えを乞い、必死に勉強したものだ。

5. 牧牛 (ぼくぎゅう)- 牛を手名付けて共に歩む

格闘のすえ遂に牛(真の自己)を手名付ける。牛を縄で引き共に道を歩むことが出来る。しかし縄がないと牛は逃げてしまう状態であり完全ではない。
人生でいえば、仕事で一人前になった状態と言えるだろう。ほとんどの事は自分で乗り越えられる。しかしまだ達人の域にはなく、油断すると足元を掬われることもあるだろう。

今自分は40代後半で、人生を1日に例えれば昼下がりの時期だ。十牛図で言えばまさにこの牧牛の時期であろう。自分の牛=生きる意味を見つけて、牛と共にその道を歩いている。慌てて次の段階に行こうという気持ちはなく、今の旅を楽しみたいと思っている。

6. 騎牛帰家 (きぎゅうきか)- 牛に乗り家に帰る

牛(真の自己)と一体となり心の平安が得られる。本来の自分を取り戻し、心は自由な状態である。
これは達人=エキスパートの心境であろう。その人と心技体が充実し一体となり、その仕事は自由自在なものとなる。

7. 忘牛存人 (ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)- 家に帰り、牛のこともわすれてしまう

家に帰り牛の事を忘れ、牛もどこかへ行ってしまう。牛(真の自己)を忘れ去る。悟ったという気持ちも囚われの一つであり、それを忘れた無我の境地である。
人生においてはやるべき事がひと段落し、それに囚われず真の自由を得る時期であろう。

8. 人牛倶忘 (じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)- もはや人もいなくなる

悟った自己を忘れ、悟りも忘れ、全てを忘れてしまった。全てを超越し空や無の境地に至る。
これは人生においては死を受け入れ、それを迎える気持ちなのではないかと思う。老年的超越でこのような心境に到達することもあるだろう。

9. 返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん) - 何もない清浄無垢の世界から、自然が現れる


無から自然が現れ、本質にたどり着く。
これは死により大いなる自然に帰っていく事を示しているように思う。自分が無くなってしまったとしても、大いなる自然やこの世界はずっとここにあり、自分はその中に帰っていく。それこそが究極の真の自己なのかも知れない。

10. 入鄽垂手 (にってんすいしゅ)- 再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く

悟りを得た老人は世俗に戻り、それを後続の童子に伝える。老人と語る童子の姿は、最初の見跡の図に見える姿と同じである。
この絵は最初の絵に繋がるわけである。ここには繰り返し世代が交代していくことが示されている。
また生と死は一つに繋がった円環であり、生命が命を繋いでいくことの素晴らしさを示しているようにも思う。

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