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死生観について 臨死体験

死に際して人はどのような体験をするのだろうか。そのヒントとなるのは臨死体験にあるだろう。事故や病気などで命の危機に晒され、そこから生還した人がしばしば神秘的で死後の世界を垣間見るような体験をする。それが臨死体験である。

臨死体験について神経内科の医師であるケビン・ネルソンが書いた書籍がある。「死と神秘と夢のボーダーランド」という本であるが面白いのでおすすめである。
その本によれば、臨死体験はさほど珍しいものではなく、アメリカ人の1800万人ほどが経験しているらしい。臨死体験をまとめた報告によればおおまかに以下のような体験をする。開始時に、自分は死んでしまうのではという危機の認識、安らぎ、耳障りな音、暗いトンネル、明るい光を感じる、といった事があり、途中は自分が肉体から抜け出る幽体離脱、亡くなっている親族や霊的存在との遭遇、走馬灯のように自分の一生を見る、三途の川など生と死の境界に到達する、などを体験し、最後に親族にま来てはいけないと言われるとか、自分のやり残したことを思い出すなどして肉体に戻ってくるということで終わる。
また神を感じる、未来を見る、などの神秘体験をして、その後の人生が変わってしまう人もいるようだ。
臨死体験は、体験者の宗教的・文化的背景によって内容が大きく異なることが知られている。たとえば、キリスト教圏では神や天国、イエスとの出会いが報告される一方、仏教圏では過去世や輪廻、死後の世界観に関連した体験が語られることが多い。ヒンドゥー教文化では、死後に神々や死者の魂との接触が臨死体験の中で描かれることがある。また欧米では死後の世界の境界でトンネルを抜けるという体験が多いようだが、日本においては三途の川を渡るという体験を多い。こうした違いは、臨死体験が個々の信仰や文化に強く影響されていることを示唆している。つまり、臨死体験は普遍的な現象である一方、その解釈や象徴は体験者の宗教的・文化的な枠組みの中で形作られている可能性が高いのである。
そして、その体験は安らぎ、喜び、世界との調和や一体感を感じることが多く、悲しみや苦痛の体験ではないようだ。戻ってきた後に医者になんで引き戻したのだと怒る人もいるらしい。

この様に臨死体験はあたかも死後の世界や魂の存在を示唆する様な体験であるが、この本ではそれを安易に認めてはおらず、脳科学の視点で考察している。例えば、幽体離脱を感じるのは側頭頭頂接合部の異常により体性感覚に異常が生じるため、幻覚や幻聴は瀕死の状態での辺縁系の活動のためなど。また、臨死体験などの神秘体験は覚醒状態とレム睡眠状態の間の意識状態、つまり明晰夢のような状態(筆者の言うボーダーランド)で体験されるのではないかというのが筆者の考察の肝である。
彼は臨死体験は魂が肉体から抜け出てることでまた起こるのではなく、脳内で起こる神経生理学的な出来事という考えをとっている。それは脳神経の異常で起こることなのか、はたまた死の恐怖からの防衛機構なのかは分からないが。
自分は医者で科学的な立場を取るものであり、それはある程度正しいように思う。(ただ、ほんの少し死後の世界の存在に期待しているところはある。)

臨死体験のメカニズムなどは興味深いのだが、自分がさらに気になったのは多くの場合で臨死体験が恐怖や苦痛など辛さを伴うものではなく、喜びや安らぎなどを感じるものである点である。
人は死に際して安らぎと喜びを感じつつ旅立つと言うことは遺族や死に向かう人や救いとなるだろう。



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