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「プロミシング・ヤング・ウーマン」の感想

⭐️⭐️⭐️

「Promissing  Young Woman」
のとっても優れた点は、第一にそのタイトルだ。

デートレイプ犯罪で弁護に使われている「将来有望なので、減刑しときましょう」という言葉を、
少なくともこの映画を見た人に対しては封じ手にした。なんと現実世界に役立つ大きな功績だろうか。
脚本・監督のエメラルド・フェネル氏がリサーチしてセリフに取り入れた、有能な女性が浴びる言葉達はいずれもひどいけれども、
その中で最もひどい「Promissing  Young Man」がどのように発せられたかは映画内では描かれず、映画を見終わった人が振り返って想像し、そのいまいましさに震える。という設計になってる。
映画を見終わった後に、現実に引き継ぐのである。

そして、1度目はふざけたフォントで出てくる「PROMISSING YOUNG WOMAN」というタイトルが、ゴシック体で厳かにエンドロールの最後に上がってくる瞬間!
フィクションがドキュメンタリーになったかのようなポイントとなり、ドキュメンタリーとして日々ひどい言葉を浴びせられている我々は、胸が詰まるのである。

「映画の中では美しく描いときました」という if 回想ものも楽しくはあるけれど、「エンタメにして飲み込ませといたけど、これはエンタメじゃないぜ?」と言われる方が、励まされ、立ち上がることができるのである。

⭐️⭐️⭐️

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⭐️見どころは2つある

「PromissingYoungWoman」の戦略の優れた点は、絞り込むと2つある。
第一には、この映画を全人類の喉元に押し込むための、観客と登場人物との接点作りの工夫。
第二は、『損なわれた女性が、許すことができるか』を示している点である。

まず、第一の工夫「観客と登場人物との接点作りの工夫」について、
その最たるものは「女性も加害者に成り得る」という前置きがある。しかしこれ、女性が「女性も加害者に成り得る」と言われても、あるあるなので取り立てて大きな効果は無いだろう。これを言われて安心して見ることかできるようになるのは「男性」である。
来場者に最後まで見させるために「あるあるなだけですよ〜」「男性だけを糾弾しているのじゃないんですよ〜」という細やかな気配りが、とんでもなくされている。
また「主人公の年齢設定をストレートに二十歳にはせず、メインターゲットの若い女性から世代と時代をずらした」ことも、
若い女性と、男性に反発なく見せる工夫となっている。

主人公が「被害者であり、生き残った被害者であり、被害者でない」というトリプルミーニングもその工夫だ。
主人公のキャシーは、レイプを受けて犯人が裁かれず鬱状態になり自死した親友のニーナでは無い。
痛めつけられた被害者ではない。
しかし、事件のあとも苦しみ裁く姿は生き残った被害者の様でもあるし、最後はニーナとも被る姿を見せる。
我々は、直接の被害者を見て消費しているのでは無い、という許しを得ながら、擬似的に実際の有り様を体験できるのである。
工夫が優れている。

⭐️「許し」と「震え」

この復讐エンターテインメントは"主人公が被害者ではない"ので、前世紀にテンプレスキームが定まった『生き残った被害者が加害者をぶち殺す復讐エンターテインメント』では無いことを分かりやすく知らせている。

一旦、主人公はレイプ被害者ではないことを示した上で、復讐の進行とともに浴びせられるひどい言葉の深度が増していく。観客は、自分ごとではないと安心しつつも、見続けると最終的にはレイプ被害者の立場でひどい言葉を浴びることになる。

見易くする気配りなど、わさわざする必要があるの?!と思うが、全ては、
「"暴言を吐かれる被害者の立場で"、暴言を、暴力を、体験をさせる」
ための工夫である。

あなたのことじゃ無いんです、と圧を和らげれば見易くなる反面、主人公に移入しにくくなるというデメリットがある。
それなのに本作は、キャリー・マリガンの努力によって見る人が見ると泣くほど移入できるようになっている。それが、「震え」である。

主人公は転機が訪れて2回震える。
1回目は、バールのようなものを持ち暴力で実力行使をした直後に我に返った時。
2回目は、弁護士に許しを与える直前。
2回ともキャシーは
「怒り=そうであったかも知れないニーナ(被害者、崇拝する女性の在り方)」に捉われていない素の自分が実は居ることを見せるのである。

蛇足を言えば、「デートレイプ野郎を懲らしめる仕置きをしている」の『ではなく』、
「ニーナが居なくなった後もニーナになろうとし続けていた」のだと思う。
素の、二十歳のままのキャシーはハッとしないと出て来られないまでに奥に引っ込んでいる(安易に二重人格にしなかったのも優れている)。

「許し」と「震え」にもどると、心が荒廃した哀れな弁護士に宗教的な救済を施した時の小さな震えは説得力があり、この演技プランを選んだキャリー・マリガンがすごい。諦めざるを得ない悔しさや悲しみ、巨漢に近寄られ手を取られる怯えまでを見せつつ、それに加えて相反する感情、感動なども観客に込み上げさせる。

見えない女性差別との戦いで、戦う側が折り合いをつけて引き下がらなければならない地点があるとすれば、納得がいくのはあの弁護士の地点だけである。
9年という時間でも、どのような問題行動を己がしたのか、誰にしたのか、を覚えていて、それを許されたいと願っている。
許す/許されないの線引きは、弁護士のあり様が全てだ。

そしてこの許しの直後には、「前に進め=生き続けることを肯定せよ」というメッセージを戦死者ニーナの母から受け取る。アメリカにおいては、これを言われている「男性」は意外に多いのではないかと思う。例えこの映画が何を言っているか分からなくても、ニーナの母が言っていることの意味は無条件で受け入れられる、という人は多いのではなかろうか。

引き下がって生き続けることを発信するシークエンスは非常にエモく、組み立てとしてアメコミと同じように「骨格だけに圧縮した戦争映画のメソッド」を使っていると思われる。
もちろん私も、理不尽さとの戦いでは日々撤退戦を敗走しており、その中で「許し=引き下がって生きても良い」と肯定されるのは実は非常に気持ちが良い。
許しは可能であることをキッチリ描くことは、戦う女性に対する癒しであり、復讐をおそれる男性に対する気配りである。
大変安堵したところで第二幕が終わるが、ここで我々は家に帰してもらえない。ゲームチェンジが仕込まれる。

思えば、弁護士への許しからの急展開でニーナの母の言葉が分かる、というのはおかしなことだ。我々は戦争映画のメソッドとメッセージに必要以上に順化されていることも知る。

ご機嫌な鼻歌キャシーを見納めとして、
お話は『価値観がクラシックに過ぎる1990年代』であり、『今考えるとひどいことを、集団で許容して来た2010年代』に擬似的に分け入っていく。
ここで我々は、死を見るとともに、戦術を磨いて「生き続けるためにはさらに力強く立ち上がりなさい」という激励を受け取る。

⭐️最も聞きたく無い形であるあるセリフ達を叩き込む
「90年代か?古過ぎる」というセリフに戦慄

この映画は、いやしの後に恋人が友人のレイプに参加していたことが発覚し、「僕は悪い人間じゃない」と、最も聞きたくないセリフを恋人から言われる、という核心に入る。「ノー」許さない=忘れる気は無い、という宣言は、あっさりとなされる。そして無惨な結末へとポップに進む。

現実においてデートレイプ犯罪者を糾すとすれば、ソサエティや身内からも見て見ぬ振りをされるのみならず、物理的に殺される危険がある。
泣き寝入りしなかったら死はぐっと身近になってしまう。
だからこそ、
うっすらとしたセクハラ被害者を含めた被害者が安易にキャシーの態度や行動を安易に真似をしないように、「やられたことを忘れる気はない」と宣言して緊張を高めるのは危ない側面もあり、最悪殺されるという警鐘は、きちんと鳴らしておくことが気配りである。

結末には様々な意見があると思うけれども、一つ言えるのは「復讐をする怒れる女性がいかに虚しいものなのかを描いているの『ではない』」ということだ。 
いつも泣き寝入りしかできない我々が、積み上げられた屍に報いていくには、これからの世代の知識を塗り替えること、これまでの世代にも周到に気配りをして広く同調者を増やすこと、そして何より明日から我々が諦めないことが必要だ。

⭐️エメラルド・フェネルの言葉に立ち返る

許すことは忘れることではない。
過去に執着するな(let it go)と嗜められても、過去を忘れる気は無い!と宣言しても良いのだし、宣言したい気持ちは死ぬほど分かる。
そういう意味では、父親役が「忘れなさい」を発した「ブラックウィドウ」の価値観はpywとは正反対だ。

エメラルド・フェネルが問題視する『今考えるとひどいことを、集団で許容して来た2010年代』や、『価値観がクラシックに過ぎる1990年代』とはどういう時代で、どこに問題があったのか。答えは明確には示されないが、「許容しなくても良い」という発信は、これまで大っぴらに言われては来なかった。

「キャシーや世の女性は、過去に執着するなと言われる。“過去を忘れる気はない”と女性が宣言したらどうなるか興味があった。登場人物が過去に犯してきた過ちは、いつの時代も繰り返されてきたこと」としており、さらに、「結末や主人公の使命に対する捉え方が人によって違うことはいいことだ」とも。

宣言の先については、危険な警鐘を鳴らしはするけれども、解釈を示してはいない。手を離している。

「許さない」「忘れない」という玉手箱を、我々は今後、開けることもできるようになった。


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