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映画ドンバスの小泉先生解説を聞いての感想

セルゲイ・ロズニッツァ監督の「ドンバス」は、呪術的な映画である。ものすごく簡単に捉えると地獄めぐりという作り方なのだけど、「巡り」というからには普通は入口があって出口があるはずのところ、この映画は出してくれないのである。

「不気味なリアリティ」

ドキュメンタリーではないのに、確かに、小泉先生が解説する通り「不気味なリアリティ」があった。
私は、プーチンの戦争が始まり、ブチャの虐殺の写真や動画を見てからこの映画を見たので、
見るもの見るものつい最近見たものばかりでリアリティがあるとか無いとか以前のことで、コメディとして笑うのは不可能だった。

この映画は2018年に公開されており、知らない人にも飲み込みやすく実情を告発する意図があったのだと思った。

不気味なリアリティを生み出している源は主に人物で、
ドンバスの人達に「ロシア政府っぽいもの」が及ぼしている嫌さ、その人達に「実在のモデルが居る」ということが、効果を生んでいるらしい。
小泉先生が分かる実在のモデルとしては「イーゴリ・ストレルコフ」という名前を挙げてらっしゃった。

深刻さ

2014年からのドンバスの世界では、
・生活はできている
・仕事は無い
・経済は回っていない
・怒鳴り合っていないと物事が進まない
という生活になっており、これは、「日常の有時への混じり合いがいい感じで表現されている」とのことだった。「ウクライナだけどロシア的社会であり、今のロシア軍占領地域の状況を類推できる」ともおっしゃっていた。

映画から、かの地の深刻さ、まずさを感じ取れることとしては「マフィア的な利権」や「ストレス」を挙げておられた。

「マフィア的な利権」は、役人ぽい人が偉そうにしている所に見られるという。
衣食住や医薬品、仕事、はては命までマフィア的に配分される世界では
「シニシズムに貫かれた信じなさ」
が生まれるという小泉先生の説明は、聞いていて分かるというか、シニカルに成らざるを得ないよなぁ、とうんざりした。
クレムリンの10本の塔は利権団体の多さとそのバランスを表すと言われるそうだ。

何が何だか分からないけれども暮らせているならいいじゃん、という訳には行かず、やはり有事の中の日常は深刻にまずいのだ。

「シニシズム」という言葉を知らなかったのでネットで調べたけれども、
社会の風潮や規範などあらゆる物事を冷笑的にながめる見方や態度のこと
だそうです。

〜〜〜
ロシアの屁理屈にグローバルとして対峙するには、軍事力による対抗と屁理屈を挫くのを同時にやらなくてはいけなくて、
それに当たっては、こちらではなくロシアを「シニシズムに貫かれた諦めの境地」に押し返さないといけないのだなあ、と思った。
というか、屁理屈に真剣に対峙する必要はそもそも無いのではないか??
サッカーの、UEFA EURO2012ポーランド・ウクライナ大会までは、
ウクライナに、ドンバスに、ロシアの屁理屈を通さないものとして『コスモポリタリズム』が確かにあって、
『コスモポリタリズム』を再興しないといけないのか、ゼレンスキーさんのように他の物にするべきなのかは分からないところだ。
〜〜〜

「ストレス」については、出自や階級を明らかにしないところ、笑いながら饒舌になったり声が大きくなるところに見られるそうだ。

小泉先生も、北方領土で、あのような出自を言わない雰囲気を味わったことがあるというのには本当に嫌な気持ちになった。よくあるある、というぐらいのノリで話しておられたが、実例を聞くとどよーんとなった。

ドンバスとは「何」か?

ドンバスとは何か。

セルゲイ・ロズニッツァ氏の映画ドンバスは、
バスに乗った人々の目としてドンバス内に入り、人の目の高さで暮らしを見ていき、最後の皮肉の一撃を経てドローンの目の高さまで引く。
現場とはちょっと距離を置かせてもらえるものの、遠くから眺めるというところに釘付けにされて終わる。
見続けよ、という監督のメッセージと受け取った。

ロシアによるウクライナ侵攻後に関心を持った者としては、戦争の核心であるドンバスがどういう地理で、歴史で、どういう人が住んでいるのか全然知らないので、

小泉先生のドンバスについての説明を関心を持って聞いた。聞いていて、私がピックアップしたのは、以下の6項目である。

ドンバスとは、

①ドネツ炭田(資源)のことである
ソ連時代に囚人により開発された工業地帯

② ウクライナのドネツク州とルハンシク州の2州のこと。ドンバスの中の"親露派武装勢力'が多い地域が、2つの国家を名乗っている。
千葉県で言うと、
利根川と江戸川に挟まれた地帯が、「今日から人民共和国として独立します」と宣言するようなもの。

③ノヴォロシア(新しいロシア)
親露派武装勢力の"連邦"

④"クレムリンのような"
組織的利権構造がある

⑤8年前の2014年から始めた国家観(完全なマフィア社会)から、逃れることができていない。

⑥住民が標的。
銃口が向く先は住民。

最後の、住民が標的ってのが最も理解に苦しむ。

外からの大きな力が必要

「銃口が向く先は住民」
「暴力が続いていて、時々人が死ぬバランス」
「住民の悲惨な状況が終わらないこと」
に、ロシア軍のメリットがあることはウクライナにおける2022年のプーチンの戦争でもまさに見ているので事実だが、
事実であっても理解はできない。

小泉先生はスペクトラムに例えて有事と日常の混じり合いを解説しておられたが、じわっと間近に迫ってくる戦争に巻き込まれないためには、
個々人は、有事と日常の濃淡のバランスを崩させないこと、巻き込まれてしまったら日常の中の戦争を切り分けて、大変に根性が要るが意志を持って否定していかないといけない。のだと思う。
それはまさしく、パワハラをいちいち糾弾しなければいけないのと同様に。

大変過ぎる。

2022年のウクライナへの侵攻では、軍事をはじめとする情報を一般に知らしめてけん制する動きがあったが、果たしてこれは屁理屈には効いたのだろうか?
新しい情報戦が、古い屁理屈に対抗できたとは、いまいち思えない。

救いの無いウロボロス構造のドンバスから脱出するには
「外からの大きな力が必要」
だとの解説を以てトークの時間は終わった。

「外からの大きな力」とは一体何なのだろうか。石油、天然ガス、食料、肥料、アルミニウムが人質に取られないようにすることに加えて。
ノルドストリームの停止や、レンドリース法も十分大きな力だったと思うけれども、その札を切っても停戦には至らなかった。
半面、黒海艦隊旗艦モスクワを沈めても物事は止まらなかった。

もっと大きな力とはなんなんだろう?

QA

Q)聖職者のシーンがよく分からなかった

A)一旗挙げようとするヘルソンの宗教団体が、本当にドンバスに行ったらしい。

Q)人民政府やコミューンと付くものに成功例は無いのに、ドネツク、ルハンスクはなぜ「人民政府」を名乗るのか。和訳だけでなく英訳等もそうなのか。

A)ドネツク人民共和国は、
Донецкая Народная Республика
であり、
ロシア語でもНародная(国民)という言葉が入っている。
ロシア人は共産主義に悪い思いは持っていないので、武装蜂起する人は「人民政府」という名称を使う。これは、ソ連時代がソフトパワーとして今だに機能しているためではないか。


Q)軍事面のツッコミどころはあるか

A)(映画的なツッコミどころは専門でないので指摘しないけども)おそらく最後に(象徴的にミンスク合意を破る形で)出てくる自走多連装ロケット砲BM21グラードは、本物を使っている。

#映画ドンバス  #感想

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