服を愛し続けるということ

こんにちは、前回の更新からちょうど永い酷暑が終わり、季節が巡った所かと思います。

東京の夏は過ごしにくい。とにかく、何をしようとしていても暑い、汗をかいて気持ち悪いという感覚に支配されてしまい、人生へのやる気みたいなものを失いやすい。

今年の夏はとにかく長かった。私の20代最後の夏は、略奪者のようにやってきて私から人生への興味と喜怒哀楽の波を失わせたような気がした。
人に会うのは好きだけど、たまには1人の時間が欲しいという普段のバランス感覚が長すぎる夏のせいで、完全に逆転しこの三ヶ月はとにかく外に出たくないしなるべく寝ていたい、楽しいことが思いつかない、生きていてもいいことがあんまりない、という気持ちばかり味わっていた。

明日何着ようかなというモチベーションで毎日前を向いているほどお洒落中毒な私が自分を着飾ることへのやる気すら生まれなくて、そんな自分がとにかく悲しかった。

これ以上悲しむことができないだろというほど悲しい気持ちに浸り続けた夏がようやく去ってくれたと言えるようになったこの一週間、ちゃんと化粧をしたりおしゃれをして出かけたいといういつもの自分を思い出してきた。ほっとしてる。

20代の総括をするべきなのかもしれないですね。あっという間の10年だったな。少女から女性へ、子供から大人へ、時には行ったり来たり、ブレながらも着実に20歳の私は29歳の私まで歩んできた。遠いところまで来たと感じる。

働くようになってそろそろ2年が経とうとしている。結婚した友達の方が多くなったと思うし、一生モノと言われる買い物をする機会も一気に増えた。円は安くなったしコロナは遂に日常を返してくれた。

刺激よりも穏やかさを愛するようになったし、他人の生活がキラキラして見えることも随分少なくなった。いい意味で鈍感になってきたし、面の皮が暑くなってきた。おばさん、と言われるような年齢になることでしか得られない心の平和や日々の楽しさをたくさん知っている。
死ぬのは怖いし、若さは特権だったけど、歳を取ることは全く悪いことではないから絶望することないし自分を大切にすることを諦めないでよ、と20歳の頃の私に話しかけたい。

現実を生き続けていくことはとても厳しいこと、この2年で痛感した。生きていればいろんな人がいていろんな事件が生まれる。いいことの方が少ない。このまま目が覚めなければいいのに、とか今日大地震が起きて日本がぶっ壊れればいいのに、と思ってしまうような日があることも知った。あの頃はよかったな、自分のことだけ考えて毎日スタバで勉強してインスタ更新してればよかった21歳の自分に戻りたいなと思うことも何度もある。

日々を切り取ればそんな感じではあるんだけど、今日まで生きてきて、生活してきたという事実だけで胸を張っていように思う。
セレブの暮らしに憧れてみたり、恋にうつつを抜かして歌を歌ってお酒を飲み、プチプラコスメに心をときめかせて衝動買いを繰り返したりすることで満足していたような純粋さは過去になったけど、私は私を生きているということ、何者かになろうとジタバタしなくていいということを胸に刻みつけたいと思う。

タイトルに戻りましょ。
私にとって服を愛し続けるということは自分を見失わずにい続けられるということのようだと思う。昔から人よりはお洒落が好きな方だったけどここまで服が好きになるとは思ってなかったなあ。世の中的には、服にお金を書けることはある種の無駄遣いだし少数派。最近の日本は生活がなかなかに苦しく、高くて可愛いお洋服たちは売れず、ZARAもユニクロも若い子にとっては高くなった。SHEINみたいな最低な存在のせいもあって、洋服に関しては安ければ安いほどいいっていう価値観が本当に強くなってるなと感じる。
たくさんの服に挑戦して失敗したり、似合うかどうか、長く着られるかどうか考えずに買い物する経験は決して無駄ではないと思う。若いうちにいい服を着る、触れるという若者がもっともっと増えたらいいのにと思います。みんながみんな、自分で選んだ服に日々袖を通しているという明るい未来に向かって出来ることを考えたいな。なんちゃって〜。

今日は大袈裟に語りたいモードのようです。
もう、ラジオでもやるか。

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