世界最後の1日シミュレーション

どうも、死ぬまで朝飯は卵かけご飯のまるまるです。
ちなみに平日は納豆卵かけご飯をおそらく10年近く続けていますが、正直なところ味噌汁も飲みたいところです。

ところで皆さん、明日確実に世界は滅亡します。
皆さんは全人類に平等に訪れる最後の1日をどう過ごしますか?
今日はそんな1日を考えてみましょう。



1.まずそんな日は”まず”こない

まずは世界最後の1日はどうやって訪れるか考えてみましょう。
世界最後の1日を迎えるために必要な要素としては、「滅亡の事実が前日に判明する」、「確実に世界が滅亡する」、「すべての人類がほぼ同時に死亡する」の3つでしょうか。
今回は世界最後の日が「1日」であり、1週間後や1ヶ月後に世界が滅亡するとすると(緩やかな文明の崩壊を考える必要があるため)シミュレーションが煩雑になってしまうため、「今日が世界最後の1日です。」ということが突然確定することが必要です。
また、その滅亡には誰が見ても自明なほどの確定性が必要です。X(旧Twitter)でよくいる「◯月◯日に大災害がおきます!」みたいなものだと例え真実であっても世界最後の1日は成立しません。例えば朝ニュースでいきなり総理大臣が「明日世界が滅亡します。」と言い始めたら多くの人は信じるかもしれませんが、それ以上の「確実に滅亡する」という説得力が必要です。
追加で、滅亡の瞬間はすべての人類がほぼ同時に訪れるのが好ましいです。これは言い換えるとしたら救済の否定であり、人類の精神的な逃げ場を無くすための項目です。死が平等に訪れることにより最後の1日がシミュレーションしやすくなります。


さて2015年にこんな論文が発表されています。

「12Risks That Threaten Human Civilization」
つまり人類が抱えている滅亡のリスクを12項目あげてくれています。
一応列挙しておくと、気候変更、核戦争、パンデミック、生態系崩壊、国際的なシステムの崩壊、巨大隕石、大規模な噴火、合成生物学、ナノテクノロジー、AI、政治の失敗、その他の未知の原因といったところです。

では、これらのリスクの中で世界最後の1日をもたらしてくれそうな項目はあるでしょうか。
これらのシナリオはじわじわと進行していくものか、起こるタイミングの予測が不可能に近いものかのおおよそ2つです。「数年で人類滅亡するよ〜」か、「いきなり人類滅亡しちゃった!」が現実的なシナリオということです。前述した世界最後の1日の条件はそもそもかなり非現実的なものなので、これらのシナリオでは少し難しそうです。

つまり
「いきなり巨大隕石が地球近くにワープしてきて、明日隕石衝突で人類滅亡」
ぐらい非現実的じゃないと世界最後の1日は来なそうです。





2.とりあえず滅亡してみよう!

普段と何も変わらない朝、いつも通りテレビをつけると何やら大騒ぎのようです。寝ぼけながら聞き取れたのは
「……明日、人類は滅亡します。……」


ということで遂に世界最後の1日が始まったわけですが、ご覧の通りあまりにも急に始まります。恐らく多くの人は現実を受け止めることができず、今までの日常を過ごそうとし始めるかもしれません。しかし、その滅亡の説得力は時間を追うごとに増すばかりです。後悔する前に1日をどう過ごすか決めましょう。

スタートはいつでも肝心ですから、世界最後の1日を認識するのが遅れるのは致命的です。昼まで寝てるような休日にカウントダウンが始まった日には目も当てられません。「早起きは三文の徳」とは言いますが、今回に限っては「早起きは5000兆円の“得”」くらい睡眠に使う時間が惜しいです。超非日常のシミュレーションですら重要性を説かれる早起き、恐るべし。

では現実を受け止めれたとして何をしましょうか。世界最後の1日に常日頃備えている人は恐らく数える程でしょうから、準備がない状態では1日でできることにも限りがあります。加えて、恐らく多くの人間は死ぬ寸前まで他人の為に動くことはしないので、なるべく1人の力で完結できる行動を選ぶ必要があります。そう考えると選択肢は多くないのかもしれません。

自分は数年前やりたいことリストを作ったことがあります。その中で1日かつ1人でできそうなものは1割もありません。しかも「1日中アニメを見る。」や「髪を染める。」などと世界最後の1日を担うにしては、誤用の方で「役不足」でしょう。やりたい事を整理していてもこの1日を謳歌するのは難しそうです。





3.結局何しよう?

それでは人々は具体的に最後の1日をどう過ごしたいと思うのでしょうか。
2大世紀末にやりたいことを深堀してみましょう。

・○○を食べたい!

よく話される「最後の晩餐に何を食べるか」という問いは結構人となりが出てくる質問だと思います。自分はお寿司が好きなので最後もなるべく美味しいお寿司を食べたいですね

ここで問題なのは最後の晩餐をどこで食べるかです。
地球最後の日ですからバイトを雇ってるようなチェーンを含めた大衆向けの飲食店はほぼやってないと考えていいでしょう。残る希望は個人経営の店ですが、はたして見ず知らずの他人に世界最後の1日まで料理を振る舞う料理人は何人いるのでしょうか。そう考えるとお店で最後を晩餐するのは難しそうです。

となると自分で作るしかないわけですが、お察しの通り食材の調達がかなり難しいです。街はおそらく世紀末改め世界末なので大荒れでしょうから、いつも通りのショッピングは諦めたほうが良さそうです。となるとその日冷蔵庫にあったものが最後の晩餐になることが濃厚になります。私が一人暮らししていた頃の冷蔵庫だと、大体朝ごはん用の納豆と卵くらいしか入っていなかったので最後の食事がTKG(卵かけご飯)になってしまいそうです。


・○○に行きたい!


1個目の深掘りでおわかりのことかと思いますが、世界最後の1日は想像以上に不自由です。ほとんどの店は機能していないと考えるのが自然です。

このような状況だと目的の場所に移動するのも一苦労です。公共交通機関に頼ることは出来ないので、自前の移動手段の馬力が鍵を握ります。現代の若者は車を持っていないことが多いとなると、良くて隣の県が関の山でしょう。隣の県に行きたい場所があることを祈るばかりです。

運良く車を持っていたとしても問題は道路とガソリンです。
ガソリンは勿論補給は困難でしょうからガッツリ長距離移動は難しいかもしれません。それより問題は「道路」です。
この日はおそらく各地でで事故が起こっています。主観ですが人類は終末に限らず常にスリルを求めています。これを現代社会で簡単に得れる手段の1つが「車でスピードを出す」です。私は昔からレースゲームが好きですからいつか現実で180km\h出してみたいなと考えることがあります。そんな人が世界最後の1日を迎えた日には道路で信じられない速度を出すでしょうし、信号は気にもならないでしょう。そこら中で暴走車が走っている世界では運転はおろか徒歩での移動も難しいでしょう。


結論:世界最後の1日なんもできない。
よくよく考えると世界最後の1日を平和に過ごせるわけありませんでした。
もう諦めて日向ぼっこでもしましょうか…





今回は世界最後の1日を少し真面目に考えてみようとしましたが、少し掘ってみたら混沌と不自由にしか行き着かず、特に面白そうなことは出来ませんでした。
この記事でわかったのは、他人に頼らず行動するにはかなりの準備が必要ということです。世界最後の1日に必要になるのはコミュ力とかお金とかではなく「個の力」だったわけです。現代社会は多くの人間が力を合わせて形成していて、それが崩壊したとき自分がいかに無力か痛感しました。
ということで我々に必要なのは1人で生き抜く力、つまり”ソロキャンプ”の能力なのかもしれません。

ゆるいオチがついたところで今回は終わろうと思います。

次回はnoteの更新が滞った理由についての記事が出る予定です。
投稿時期は世界最後の1日までにはということでご勘弁を。

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それではまた見てね〜!
(ED:SUMMER TRIANGLE)

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