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嫌いなもの苦手なものについて

自分の好きでないものについて

それについてふと考えたきっかけは、ネットでは賛否両論ある「ちむどんどん」の記事を読んでです。
自分は「ちむどんどん」好きで観てます。
普通に面白いと思っていますし、感動して泣くこともあります。
主人公の暢子ちゃん始め、比嘉家の人の生き方は風の時代の生き方を体現していて好感が持てます。
というか、単純に素直で子供っぽくて前向きなキャラが好きなんですよねw

でも、ネットの記事やコメントでは、批判的な内容が多くてうーんとなります。
いや、別にドラマやアニメ、漫画なんて好き嫌いがあって当然だと思うんですよ。
ただ、自分が気に入らないからといって、作家さんや俳優さんに対してあまりにも批判的で攻撃的な言葉を発するのは違うかなーと思います。
そして、「打ち切りにして欲しい」という意見も、楽しんで観てる人もいるのに自分勝手すぎるだろと思ってしまいます。

苦手なもの、嫌いなものに対する反応

人は誰しも好みでないもの、苦手なもの、嫌いなものがあると思います。
それはもちろん当たり前のことですし、無理に克服する必要なんてないと思うんですよね。
ただ、それらに対する反応はちょっと考えた方がいいと思っています。

自分が苦手や嫌いなものに対して、逃げたり、避けたり、それが苦手や嫌いを言葉にするのは全然ありだと思います。
自分も虫が苦手(とくにたくさんの)だったり、パリピ的な場所が苦手だったりするので、そういうのはなるべく見ないようにしますし、そういう場所には行きません。

ただ、してはいけないのは、その苦手や嫌いなものの存在を否定すること、それを好きな人や関係する人を批判すること、それをなくそうと働きかけることだと思います。
自分は苦手や嫌いだとしても、他の人は好きかもしれませんし、それがあることで心の支えになっていたり、生きがいになっていることもあるかもしれません。
それを存在から否定するというのは、流石に暴論だと思います。

好き嫌いは自由、でもそれは押しつけるものではない

何が好きでも、何が嫌いでも個人的には自由だし、自分と違おうがそれはどうでもいいと思っています。
違う人間なんだから、それは当たり前です。
ただ、自分の好き嫌いを押しつける、自分が嫌だからと文句を言う、その存在を否定しようとする態度はよくないと思います。
何故ならそれが原因で争いが生まれるからです。

嫌ならその対象から離れればいいんです。そこはもう自己責任です。
自分で選択して、自分が心地よい方向に進めばいいんです。
苦手なのに、嫌なのに、そのことばかり考えていたら、引き寄せの法則的にそれを引き寄せてしまいます。

観ているドラマが嫌だったら、チャンネルを変えればいいんです。
そんなこと、子どもだってできます。
与えられるものが嫌だったら、自分で好きなものを取りに行けばいいんです。
それもできない、それを見せる方が悪いというのなら、きっとその人は自分をイライラさせる達人なんでしょうね(笑)
自分のご機嫌を取るのは、他の誰でもなく自分自身なんですから

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