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満 ち る 男 (#旅のようなお出かけ)

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男は自然の中にいた。
太陽と共に目覚め、そして眠る。
お腹がすけばそこにある野草や森の果実を食べる暮らし。
男はそんな生活がとても気に入っていたし、そこから見える風景はいつも驚きと感動を与えてくれた

ここは小さな小さな村の農園。
牛は道を普通に歩いているし、朝は鶏の声が遠くから聞こえてくる。
耳をすますこともなく、鳥のさえずりに虫の合唱、森の木々は風を奏でてくれる。

森にも凪がある
風が止み、虫も鳥も音を奏でない瞬間。
あまりにも静かすぎて耳鳴りがする。
そんな瞬間も好きだった。
海と違い、ここは凪も恐れを連れてこない。
ただただ静寂な時間が過ぎる。

のどかという表現ではやさし過ぎるくらい自然の中での暮らしだ。
食べ物を買いに行くこともない。
森から川から誰かが運んでくれる。
分かち合いの場所。
男はやはりそんな暮らしが気に入っていた。

しかし問題が一つあった。
男はとても飽き性で、じっとしていられない性格だったのだ。
生まれ育った文明がまだまだ彼を縛っていた。

男は自分に聞いてみた。これでいいのか?
私はまだ文明の中に生きていていいのか?
地球はそれで困ってないのか?

返事はいつも決まって「どうぞご自由に」

だった。だから男は文明も愛した。
あくまでこの地に害をなさない。もしくは自然の力で回復できる範囲で。
という範囲を意識しながら。

だからここが飽きれば生まれた地に戻ったり、隣の国に足を運んだりした。隣の文明を、生まれた所の文明を満喫し、そしてまた帰ってきて自然に溶けることができたのだ。
そんな日がまだまだ続くと思っていた。

ところが時の流行病で思いもよらず動きを奪われる日が来た。
道はすぐに閉ざされた。あちらもこちらも。
ここにずっといると言うことだ。
いつ開くかもわからぬ未来を想像していたが、男はすぐにそれもやめた。
先を考えることなど無意味に思えたからだ。
「今いるこの場所を満喫しよう」
そう言って思う存分自然を堪能した。

変わったのは勝手に人間だけで、自然は何も変わらなかった。
鳥も虫も土も草木も、空も雲も、太陽も月も素知らぬ顔でそのままだった。
それが嬉しかったし、ここにずっといてもいい気がしていた。

しかし、次第に流行病が治りを見せると、男はやはり外に出たい衝動に狩られた。「もうそろそろ外に出てもいいんじゃいないか?」そんな気が頭をよぎる。

しかし、あたりに病の気配など何もないのに、それでも道は開かれなかった。

焦れた

外に出てもいい雰囲気が少し出たからだろうか。

余計に焦れた

意味がないこととわかりつつ

それでも時に焦れた

気軽にアクセスできたあの日がなんとありがたいことかを実感した。
当たり前がいかに貴重なことだったか!


病が騒がれ始めて半年が過ぎた頃、幸いなことに国内はすっかりおちついた様子で、マスクしている姿なんて見ないくらいになった。もはや誰も気にしていない様子で、日常の生活が取り戻されている。

「国内だったら自由に移動できそうだ!」

思うと同時に男はリュックを背負った。
いてもたってもいられなかったのだ。
わずかばかりのお金とパスポート、そして着替えを数枚だけ入れてバイクにまたがり、バス停へ走らせる。

カンカンに照りつける太陽も、今日は幸い大人しくしている。
バイクに吹く風も心地いい。
市場が見えた時幸運にもバスが目についた。
ちょうどバスが来ていたのだ。

「行ってらっしゃい!」
誰かがそう言っているように聞こえた。

ここにきて3年。オンボロなバスに乗り込むのに躊躇はなかった。
向かった先は2時間ちょっとでつく近くの都市。
行き先を告げ、バスに乗り込むと程なくバスは動き出した。

独特の香りがむわっする。ハゲたシートにクッションの効かない座席。すでに全開にリクライニングされている背もたれは、もちろんリクライニングされたまま戻らない。エアコンなどあるわけはなく窓を開ける。

風がビューっと通り抜ける。
これがなかなかどうして心地がいい。
もはや席のことなど気にもせず外を眺めた。

いつもは無音で風を感じながらぼーっとするのだけれど、今日は少し気分を変え、ヘッドフォンをつけた。
ジャズ?ブルース?クラシック??ヒップホップ???
どうも気分が違う。
男が選んだ曲は、まさかのあいみょん。

軽快なポップがなんだか今日の気分だった。

程なくバスは街に近づいてきた。
久しぶりの文明的な生活がすぐそこにやって来た。

まずはカフェに立ち寄った。
これこそが文明っぽかったのだ。
男は綺麗な空間でコーヒーにチョコレートを堪能した。

お次はイタリアン。
ワインを開けてピザを食べた。
文明の味がお腹とそれ以外のところを少し満たしてくれる。

ホテルは夜まで電気をつけていたし、虫がやってくる心配もなかった。

だけれど、ただそれだけだった。
以上、終わり。
というやつである。

それはそれで楽しかったけど、何かは満たされたけど、何かが違う気がした。翌朝重くなったお腹がまた少し男をげんなりさせた。
だから・・・と言う訳でも無いのだけれど、もう少し旅に出ることにした。
さらに南下して向かった先はメコンのそばの小さな宿。
小さいけれどとっても綺麗な宿だった。

メコンに登る朝日を眺め、コーヒーを飲む。
何もしない。
本当に何もしない
ただメコンを眺め、ただただぼーっとする。

しかし農場との違いは歴然だ。
何せここはお願いすればコーヒーが出てくる。
朝起きれば草を取りに行かなくても朝食ができている。
米を炊く必要もない。
申し訳ないくらい贅沢な時間を過ごした。
コーヒーとピザでは満たされなかったところが少しづつ満たされ始めた。

しかし飽き性の男は、ぼーっとするのにも1日で飽きてしまった。
体が動き出したいとメッセージを送って来たのだ。
深く考えることもなく近くの遺跡に足を運ぶことにした。
特に行きたかった訳ではない。ただなんとなく行く気になったのだ。

朝のスコールが大地を濡らしていた。
土の匂いに生暖かい湿った空気が流れる。

ついた遺跡はなんとも壮大で雄大。
聖なる山にクメールが残した遺跡。
15世紀も前の建物。

男は急にこの景色を分かち合いたくなった。
こんなことは初めてだったが、おもむろに携帯を取り出すと、映像をシェアし始めた。
「なんて便利な世の中なんだ」
と思いつつ、今まで一人であちこち堪能して来た自分がこんなことをするなんて!と、自身がびっくりしていた。

「ひょっとして農場のみんなの分かち合いの心がうつったのかな?」
なんて思いながらフフッと笑った。

シェアを始めたらスペインからドイツからハワイから、日本からも言葉が届く

「わぁ〜きれい〜」
「日本にいながら旅行ができるなんて嬉しい!」
「そこはどんな香りがしますか」
「足下気をつけてね!」

などなどコメントが寄せらてきた。
インターネットはこんなところにいても、世界の人と繋がっていた。

遠く離れたこの地にみんなで来ている気がした。
なんだか嬉しかった。
満たされなかった心がどんどん満たされて行く気がした。
30分ほどでシェアを終えた男は、遺跡を後にした。

聖なる山に夕日が沈む。
メコンの川が照らされて赤く染まる。
歩き疲れた体を休めビールを口にした。
いつもよりほんの少し美味しい気がした。

朝日がメコンからまた登る。
昨日よりもほんの少し綺麗な気がした。

さぁ農場へ戻ろう。

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本日はアセアンそよかぜさんが主催されている
#旅のようなお出かけ
に参加してみました。詳しくはこちら

私はもちろん生まれてこのかた小説なども書いたことがなく、ただただ駄文の積み重ねでしないのは本人が最も理解しているけれど、無謀にもアセアンそよかぜさんが描くアジアの雰囲気が好きで私も書いてみようと思ったのだ。

と言いつつ、頭の隅には常にあったのだけれどもなかなか筆が進まなかった。だけれどもちょうどいい経験が重なり、今回素敵な企画に参加することができました。私の体験した空気感が少しでも伝われば嬉しいです。

なお、本物語は事実を元に構成されています。

サポート頂いた場合は、食べれる森作りを中心に、南ラオスの自然を大切にする農場スタッフのための何かに還元させてもらいます。