ひじきを刈りに行ってみた話
※ひじき刈りは5月頃。書き始めたんだけれど途中で筆が止まってたものを再編集しました。
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1.作戦会議
まだ日の明るいうちから始まった夜の宴。
両親の二人に兄夫婦、そして私の5人がこたつに腰掛ける。
新鮮なカツオの刺身と各々が持ち寄ったお酒を囲いながら、さっそく作戦会議が始まる。
ちなみに言っておくが、夜の宴といいながら、開始は午後4時前。我が家の夕飯は普通より数時間早い。
お酒を片手に乾杯を終えると、さっそく総指揮官の父から指令が飛ぶ。
「先にあんたら二人が近くの島で降りな(さ)い。残りのもんであっちの島いくで。今年はあんま伸びてないみたいやで、そんな量ないかもしれんけどな」
という指令に間髪入れずに母からは
「ほんなら、お母さんは陸で行ってフノリとっとるわ」
と遊撃部隊へと志願を申し立てた。
ヒジキ刈りは年に1回の一大イベント。地元の漁業権のあるものだけが参加可能なのだが、何しろ地元の漁業権があるということは、海のプロの集い。そんなプロたちが一同に会するのだから、前日からの作戦がモノを言うのだ。
しかも朝9時スタートというしっかりとした(?)ルールも設けられている。
ヒジキの多くなっているところは事前に父が調査を完了しているため、前日は作戦会議というよりはどこに向かうかの確認に近い。
勿論他のみんなも同様にあたりをつけているので、皆が行かないところを目指すというのも一つの手で、そのあたりの心理戦からしてすでに戦は始まっているのだ。
しかし、明日の過酷さを知らない私はというと、
「カツオってこんなに美味しかったっけ?」
と間の抜けた事を考えていた。
大体の行動にめどが立ったところで、いつもより若干少なめのお酒で宴を終えると私達は深い眠りについた。
2.朝の準備
翌朝5時に目覚めた私は、朝食を終え、ジャージに着替える
モーニングコーヒーを飲み一服すると時計は8時半を指していた。
「そろそろ出かけるのか?」とも思ったが、少し偵察してくると父が一人港へ向かうこととなった。
あまり早く行ってやる気満々な姿勢にみられても困るのだ。
どうやらヒジキ狩りには田舎特有の心理戦もあるようだ。
程なく帰って来くると、数人が船へ乗り始めたと確認できたため私達も戰場(磯)へと出かけることにした
3.出発
磯足袋を履きおえると網と鎌を積み込み船へと軽トラを走らせる。我が家から船へはものの1分で到着する好立地。
港からぞろぞろと船は沖へと出かけていくのを確認し私達も船へ乗り込みそろそろと出発する
そのまま沖に行くのかと思いきや、灯台の近くで一度スピードを緩めて船が止まる。先には他の船が6艘ほど止まっていて、ほかの船もどんどん集まってくる。
合計で十数捜集まったところで時計を見ると8時52分。
9時まで後8分。まだ暫く待機か。。。と思ってた矢先先頭の船がスタートを切った。
「そんな!フライング!」
などと言ってる暇はない
すべての船が一斉に走り出しボートレースよろしく漁船が船体を上げて猛スピードで沖へと進む。
私達も負けじと船を走らせる
4.ひじき刈り開始
先ずは近場の磯に二名を送る。
予想通りここにはまだ誰もいない。
しめたと二人をおろすと私と父は次の漁場へ向かった。
しかし、二人を下したタイムロスが響き、最初の岩場は先行されていて不漁に終わることとなる
ちなみにヒジキ刈りは文字通り刈って収穫する
岩場についているヒジキを持ち上げ、サクッと鎌を入れて収穫
向かって右側に見えるのが狩り終えた後のヒジキ。一定の量になると網に入れて船で運ぶ。
多くは水面ギリギリのところに生息しているので(正確には干潮の日なので水面ギリギリに出てくるので)大体が足場が非常に悪いところにいるため写真のように岩に足をかけてヒジキを刈る。これがまたシンドイんです。
このように岩場にぷかぷか浮かぶヒジキはまさに黄金色に輝いて見える。(ただし偽物も混ざっているため見極めが大事)
5.テトラポットから海へダイブ
さて、ここでの収穫はいまいちだったため早くも移動。
次に考えていた場所も何個か先行されていたため、船を走らせ行き着いた先は岩ではなくテトラポット。
これが穴場で大量に黄金色のひじきが浮いているのが見える。
「ここだ!」
と船をとめテトラポットに小さな錨を引っ掛けると鎌と網をもち降り立った。
降りてみるとテトラポットに人がいない理由が分かる。
足場も少なく斜めに平坦なテトラポットは滑ることもあり筋肉と体力、バランス感覚が岩場以上に求められるのだ。
しかしその分大量に刈ることができる
できる、、、、
が、
これは
立つことだけでも普段使わない筋肉が酷使される上、ひじきを刈るにはスクワットを続けるほどの上下運動を余儀なくされる。
そして網一杯にひじきを入れたら数十キロ。それを持ち上げ船へと放り投げる。
この繰り返し
移動も思いの外大変。
体力が削れる中、隣のテトラポットに移ろうとしたときだった
エイ
と飛び移った先に「藻」が。
ズル
バン
バシャ
一瞬にして海にダイブ
疲れから目が醒めた私は「これで行動範囲が広がった」、と開き直るしかなかった。
「携帯は船の安全なとこに置いときないな。」
母の言いつけを守って良かったと海につかりながら安堵する
ともあれテトラポットでの大漁を終えると、さすがに体力の限界を感じる。
まだ向こうのテトラポットにはヒジキが揺らめいているのが見えるが、膝の震えがそれを許してくれそうになかった。
最後の一袋を気合で船に投げ込むと私たち二人は再び船にのり、先行していた二人のところへ向かう事にした。
昨年はこの漁場は取り合いだったらしいが、今年はこの二人の独壇場。成長が遅れた場所の一つであったらしいが、これが功を奏したのだろう。こちらのヒジキも一旦船に乗せ、天日干し場へ先に向かう。
6.ヒジキ干し
実はこの天日干しの場所も誰の場所か決まっているわけではなく、町中のいたるところがその場所となる。そのためいい場所を確保するのも早い者勝ち。
ずっと刈り続けるのもいいが、そうすると干場が無くなっていくシステム。つまり、どの段階でいったん切り上げて干場を確保するかというもの一つの大事な戦略なのだ。
私たちは3番目くらいに干場へ来たため比較的楽な場所を陣取る事ができた。
楽というのはつまり、船着き場のすぐそばということだ。
何せ、何十キロもあるヒジキの塊を何度も何度も運ばなければいけないのだから、近いに越したことはない。
ヒジキをどんどん干していき、干し終わったらもう一度先ほどの岩場へ戻り二人がまだ刈り切れていないところをさらに刈っていき、また持ち帰り干場を広げる
流石にへとへとになり時計を見ると11時30分を指していた。
9時開始として2時間半・・・たったそれだけと言っていいのかわからないが、とにかく筋肉が悲鳴を上げていた。
ここでようやくお昼。
この潮風のなか食べるおにぎりの美味しいこと美味しいこと!
海にダイブして少し凍えた体も、インスタントコーヒーが温めてくれる。
どんなグルメなレストランの食事よりも美味しい瞬間。
7.ヒジキ刈りその後
他の漁師たちは、午後からも、また翌日も刈るというヒジキも、私たちはこの午前で終了。
この後は何度かひっくり返しながら1~2日間かけて乾燥させる。
が、この乾燥した状態はまだ食べれる状態ではないらしい。
その後工場へ運ばれ、大きな窯で煮込んで柔らかくして、再び乾燥させてやっと皆様の知っている乾燥ヒジキになるんだそう。
ですが、私たちが関わるのは最初の乾燥まで。
ちなみに別動隊で陸路で行った母のフノリも大量。しかも大量にヒジキも刈っていた。なんで?って
「そこにヒジキがあるから」
という事らしい。流石ベテラン。
お昼に1日分の仕事を終えたので、再びとっても早い夜の宴が始まり貴重な1日を終えることとなった。
8.筋肉痛との闘い
翌日は言うまでもなく、足のいたるところが筋肉痛。
歩くのも歩きにくいほどの筋肉痛。
おしりも筋肉痛で、全治2日。
でも、なんだかとっても頭がクリアになっている。
体を動かすと余計なことを考えなくていいってことなのだろう。
年に一度の大イベントは、筋肉痛と共に自然との共存の過酷さと大切さを体で教えてくれる最高のイベントとなった。
サポート頂いた場合は、食べれる森作りを中心に、南ラオスの自然を大切にする農場スタッフのための何かに還元させてもらいます。