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メコン川が僕に教えてくれたこと

「メコン川が俺を語らせる」

ラオス・チャンパサック。そこは何1つ無駄な色のない町だった。赤々と照り輝く太陽、広大な緑、透き通るような青みを帯びた空、ポップコーンのように白く膨らんだ雲。そして、そんな自然由来の必要性最低限なものでできた景色のなかで常に中心にいたのはメコン川だった。青く澄んだメコン川に映る自分自身と向き合い、多くのことを考えたラオスでの10日間。その10日間でメコン川が僕に教えてくれたことを文章に残したいと思う。

メコン川

「僕たちはちっぽけな存在だ」

「僕たちは1人では何もできないちっぽけな存在なんだ」。メコン川はそのことを僕たちに教えてくれた。正直僕は今回の渡航で自分たちの無力さを実感した。送迎は全部やってもらった。授業の通訳は全部やってもらった。なんなら、自分たちが考えたものよりも多くのことを子供たちに伝えてもらった。トランジェットの失敗した時にずっとウボンで待ち続けてくれた。毎日美味しいご飯を作ってくれた。ボビー、スヴェン、役人さんをはじめとする現地の人たちの支えがなければこの活動は成り立たなかっただろう。

「俺たちは何をしに行ったのか」。僕たちはボランティアをしにラオスへ行った。現地の人々に何かを与えるためにラオスへ行った。しかし、呼ばれてもないのにわざわざ異国へ乗り込み、自分たちだけでは何もできず、いつも現地の人たちに支えられていた。
「僕たちはボランティアしに、何かを与えるためにラオスへ行ったのにこのままでいいのか」。そう感じる時もあった。しかし、それは愚問だったかもしれない。僕たちはちっぽけな存在なのだ。ラオスにいようが、日本にいようが、ボランティアをしてようが、いつ何時も社会に生かされている。誰かに生かされている。両親からの愛情、かけがえのない友人、いつも隣にいてくれる恋人。もちろん直接的に関わっている人だけではない。今寝ているベットを作った人、今食べているパンを作った人。自分でこんなに寝心地のいいベットを作ることはできないし、こんなにおいしいパンを作ることはできない。常に、そしてこれからも僕たちは社会に、誰かに支えられながら生きていく。社会、直接的にも間接的にも自分と関わっているすべての人間が自分という存在を作っている。何かを与えるためにラオスに行ったなんて考え方が傲慢だった。

「じゃあ僕たちはどう生きるか」。感謝の気持ちを忘れず、ただひたすら恩返しすることしかできない。僕たちはちっぽけだから。僕たちにできることは限られている。だからこそ、できることを全力でやるしかない。だからこそ、子供たちに全力で向き合った。目の前のこいつを絶対に笑顔にしてやる。目の前のこいつにポジティブな影響を与えてやる。そう考えながら授業した。腰が痛くなってもひたすら子供たちを持ち上げ続けた。自分たちにできたのは子供たちと全力で向き合い、子供たちを笑顔にすることだけだったから。

社会に出ても同じこと。社会人になって誰かに何かを与える側になるなんて思わない方がいい。大人になろうが、社会人になろうが常に誰かに生かされている。大人になれば経験値も増え、できることも増えていく。でもこれはできる恩返しの幅が増えるってことだと僕は思う。何も偉くなったわけではない。

そして、世の中を変えるなんて不可能だろう。僕たちはちっぽけな存在で世の中を変えることなんてできない。ただできるのは目の前のことに向き合うことだけ。世界中の人々を笑顔にすることはできない。僕たちができるのは目の前の人を笑顔にすることだ。でも結果的に目の前の人を笑顔にして、その人がまた目の前の人を笑顔にしてって連鎖的に広がっていけば世界を変えられるかもしれない。世の中ってこういうものだと思う。


僕たちは社会に、誰かに与えてもらった経験を最大限に活用して、社会と関わっている全ての人に恩返しをしなければならない。世の中を変えたかったら、まずは目の前のことに全力で向き合わなければならない。

「僕たちはちっぽけな存在である」こんな当たり前のことを気づかせてくれたのはメコン川だった。僕は社会に、家族に、友人に生かされている。だからこそ感謝の気持ちを忘れず、恩返しできるような人間になりたいと思った。自分が笑顔の連鎖を生み出し、結果的に1人でも多くの人を笑顔にする。それが自分にできる精一杯の恩返しだと思った。

ここで最後にみんなに伝えたいことがある。

「いつもありがとう」

リア







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