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正解のない支援に正解を求めるなら。


ラオスから帰国した私は、再び時間に追われる生活が始まった。少しばかり時間にルーズになった自分を律する様に、今日も目覚まし1回で5:30に起きる。1限の授業に向かうために。

私が国際協力について考える様になったのは一体いつであったか。当人でさえ覚えていないのだから、他人にわかるわけがなかろう。

しかし大学で国際協力を学びたいと思った理由の一つに、「最も正解がない学問」であると感じたことが挙げられる。自分1人で考えるにはスケールが大きすぎるし、軸なしに深く考えられるほど単純なものでもない。だからこそ自分なりの支援の正解を見つけるべく私は情報集めと学問的探求をすることに決めた。

時は遡り、高校3年のことである。国際協力を学ぶならまずは自分なりの支援のあり方を確立しようと思った。そこで、本をたくさん読み、ネットで調べた。当時の私が考えていた「正解の支援」は以下の通りである。

1.中長期的な支援を行う。
2.ニーズの把握を最優先にする。
3.より多くの人に影響のある支援をするために優先順位をつける。
4.自己満足にならないようにする。

これらを軸として、大学一年の春に、ラオスを主とした国際協力関係の授業を履修した。その他、実際にNGOを立ち上げたことのある人からお話を聞いたり、自分自身で足を運びイベントに参加したりすることで「リアルな声」を吸収していけるよう意識した。

それらを通して考えたこと。それは、いかにしてニーズを把握することが大変であるか、だ。
今まで簡単に、ニーズの把握こそ支援における大前提だと捉えていたが、その土台となる考えにブレが生じた。

ニーズの把握とは誰に対してどのように調査するのかによって変化する。例えば行政機関や村長など位や権力のある人物が代表して話し合いや調査対象となることは少なくない。しかし彼らに不足していることを尋ねると、おそらく道路や電気など生活に直接関わりかつ多くの人に支援の恩恵が行き届くインフラストラクチャーが第一に挙げられるのではないだろうか。

限りある時間と限りある資金を元に支援をするならば、より多くの人の生活を改善できる支援こそがニーズのある支援と捉えることもできる。

しかし、より多くの人々に影響があり、生活を直接改善するだけが支援としてあるべき姿なのだろうか。

確かに少数派の意見を基に支援の方針を決めていくことは、支援金の獲得やその他の現地住民の理解を得ることが困難を極めるのではないかとの懸念はある。その上で自分の力では改善することが難しいと考える少数派の支援を無碍にはできまい。

例えば、村では少数派の妊婦は不安なことを共有できる妊婦のコミュニティやつわりの時期にも食べやすい食事を必要としているかもしれない。障がいを持つ方は自分でお金を稼ぐことができる仕組みやスロープなど必要としているかもしれない。意見を挙げにくいが支援を必要とする少数派に手を差し伸べることも重要なはずだ。

このようにニーズの把握をする際に、権力のある人から意見を取り入れるだけが、より多くの人に支援の恩恵が行き渡る支援だけが、必ずしも「正解の支援」とは言えないだろう。多くの人々の生活を改善する支援と少数派の意見を尊重する支援、どちらも選択肢にある状態が一つの正解ではないだろうか。

ニーズの把握をしない限り、支援者の「支援したい」という思いの押し付けになりかねない。しかしそのニーズの把握は決して軽んじることなく、慎重に考えていくべき問題だと思う。

そうしたニーズの把握の難しさを痛感した私は、sungでの活動とボランティアの関係を考えるようになっていた。団体としては継続支援をしていても、私個人で見るならば一年かけて準備したところで現地の子供たちに還元できるのはものの数日、下手したら数時間である。それにいったいどれほどの価値があるのだろうか。それは他の支援を差し置いてでもすべきことなのだろうか。

また現地にはいくつも小学校がある。それなのに支援を実施するのはたったの2校だ。子供たちに考える力をつけてほしい、暗記教育からそれて能動的な学びを体験してほしい。そんな思いがあることは百も承知で、それを体現する授業を本当に作れているのか不安であった。

それに私が思っているよりずっと現地の人は考える力があるのではないかと思った。知らず知らずのうちに差別していたり、下に見るようなことは避けたかった。それはきっと他の誰から見ても「正解の支援」とは言えないから。

自分の考えたことをうまく言語化できなくて、また自分も学び途中だからこそ意見を出したところで誰にも取り合ってもらえなそうで悶々とした日々を過ごした数ヶ月。

それでも授業が形になってくると、少しずつ正解の支援という一つのゴールに着実に近づいている気がした。

寒さに震えながら空港まで辿り着いた後、飛行機は無事に私を年末とは思えない、暑さに汗ばむ地へと運んでくれた。

実際にラオスのチャンパサックに降り立ち、両足でしっかりと大地を感じるより、この地の持つある種閉鎖的な雰囲気と、その中におけるsungの立ち位置にゾクゾクした。

思っていたのと違う。

ここは、私が思っていたよりずっと綺麗な場所で、人々も決して不幸には見えない。何かに飢えているようにも見えず、生きるために必要なものは既に足りているようにさえ思えた。それを象徴するように、決して裕福ではない家庭に家庭訪問でお邪魔したときE-バイクを所有していたり、学校で子どもたちが制服の胸ポケットに札束を入れて休み時間に飲み物やお菓子を買っていたりしたことが挙げられる。

それら見た時、頭の後ろをバットで殴られたような衝撃を受けた。教育支援をするに際して、私の思う「良い」という基準は、競争の絶えない資本主義に生きる中で体得した価値観に基づく。しかしここラオスは社会主義国であり、日本と同じ物差しで測れるものなど片手に収まる程度しかないかもしれない。そうした差を感じたエピソードがある。

休み時間に手を引かれて校庭に行った時、おもむろに私たちsungのメンバーを子供たちが幾人かで挟むように手を繋ぎ始めた。そして何が始まるかと思えば、手を繋いで横一列になったまま鬼ごっこが始まったのだ。誰か1人が速くても、他の誰かが遅ければすぐに捕まるし誰も捕まえられないかもしれない。けれども子供達の姿からそうした勝ち負けや優劣が微塵も感じられなかった。そこにあったのは、ただ同じ時を過ごし楽しむ雰囲気だけだ。

平等が美徳とされる中で育った子供たちに、競争の中で成長することを美徳とされる中で育った私たちが考える「良い授業」が必要とされているのだろうか。ラオスの良さを壊してしまいかねないか、またラオスの子供たちに自分の考え方が間違っていたと思われないか不安で仕方がなかった。

それでも授業を通して支援のあり方を少しずつ確立するための材料は得られた気がする。

子供たちのあの真剣な眼差し
子供たちの屈託のない笑顔
関わってくれた全てのチャンパサックの人々の優しさ

それらからもう一度正解のない支援における正解を考える。

やはり継続支援は欠かせない。もちろん災害時など緊急を要する場合は単発での支援の方が求められることもあり、場合による。しかし私たちは学生で、かつ教育支援をするのであれば、長期的に関わり、子どもたちと共に成長するようなボランティア活動こそ、正解に近いと思う。

茶話会で来年の授業に求められていることが変化してきているとの指摘を誰かがしていた。私たちが毎年訪れるからこそ、先生さえも変える力を持っているのかもしれない。

次に授業日数についてである。ある人から見たら、渡航における授業やボランティア活動の割合が少ないと感じるだろう。それも一つの感じ方であり良い/悪いで判断できない。至る所で「他の小学校にも支援してほしい」「もっと授業をしてほしい」という声が上がった以上、同時授業で校数を増やしたり、一つの小学校でもう少し授業時間を増やしたりすることは現実的に考えてできなくはない。
その上で「終わりのある支援」こそ私の中の正解だと考えている。人はいつか死ぬ。このサークルも大学生の間しかできない。私たちは常に終わりのある世界に生きている。だからこそ、共依存にならないように、いつかは終わりのある支援であるべきだと思う。しかしそれは何も、築き上げてきた関係をまっさらな状態にするというわけではない。支援者と支援受給者という立場を超越した関係性になることを指している。知り合いが困っているから助ける。そんな、立場の差がない状態まで持って行きたい。そのためにはその土地に自分の存在を定着させ、信頼関係を醸成する必要がある。それならば、観光含めてその土地をまずは知ること、それも大切ではないだろうか。

私たちが支援する意義について。最初のニーズの把握にも関係するが、外部の視点が入ることは時に重要な役割を担うと思う。それはニーズのある支援が、本当に必要な支援とイコール関係ではないこともあるからだ。

支援を必要としている人にとって自分の知らないことは要望できない。時に外部の人間が必要だと思う支援を働きかけることも重要だ。外部の視点が入ることは、自らの生活を客観的に捉えることにも繋がる。

私たちが日本とラオスの生活にギャップを感じれば感じるほど、今のラオスにはないもの、見つかっていないものを提供できる。

ただし現地の伝統やその土地固有の良さも重視し、日本と比較して「劣っている」と感じさせない工夫や配慮はするべきだろう。現地にすでにある「良さ」を引き出すこと、それも支援者としての仕事の一つかもしれない。

現地語を習得することも捨てがたい。子どもたちが健気に話しかけてくれるのに、理解できない心苦しさと言えば言葉が見つからない。その他授業も今は翻訳をしてもらっているが、それは翻訳者のフィルターを通して伝わることとなる。自分たちが伝えたい言葉を100%純粋なまま伝えられたらどんなに嬉しいだろうか。

最後に現地渡航をすることである。上記のことは全て現地に渡航したからこそ気がつくことができたものである。百聞は一見にしかずとはまさにこのことで、ラオスの印象が180度変わった。そして子どもたちの涙に支援にかける思いを増幅させられた。

果たしてこの冗長な文章を最後まで読んでくれた猛者は何人いるだろうか。ここまで読んでくれた全ての人に心より感謝申し上げます、、。

文体を戻しまして、
支援において唯一絶対の正解などない。それでも渡航を通して今の私が考える「正解の支援」をあげるのであれば、

1.継続支援をすること
2.一方向ではなく双方向で共に成長する仕組みを作ること
3.終わりのある支援であること
4.その土地について知ること
5.外部の視点が入ることでニーズを引き出すこと
6.現地の言葉を習得すること。習得する努力をすること。
7.現地に渡航すること
(1と3は相反するようで、共存できると信じている。)

以上の7つである。
しかしこれは支援における正解を確立するための長い長い旅路の一端に過ぎない。私は今日も国際協力のあり方を模索し続ける。

2024/01/09 第21期 める

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