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今日から延長戦

あー寒い!ラオスは今、ちょっとした冬です。東南アジア=暑いというイメージをお持ちの方が多いので、寒いというと驚かれるのですが、ラオスは衛星写真で見ていただいたら分かる通りほとんど山です。

ゆえに、寒いです。12月は、とっても冬です。私が住んでいるところはビエンチャン平野、上の地図でいうとヴァンヴィエンと首都ヴィエンチャンの間ぐらいで、ラオスで一番大きな平野部ですが、寒い日の明け方は10度ぐらいです。1週間ほど前、中国やベトナムと国境を接する山間部では、3度を記録したところもあるそうで、日本と違って家の構造自体が寒さに耐えるようにできていないので、打ちっぱなしの壁でできた広いバスルームのなかで浴びるぬるめのチョロチョロシャワーには震えますし、ピークで寒かったときは、足が冷えて明け方に目が覚め、約3年前に日本から履いてきた極暖のレギンスを履いて寝ました。あれが今年のピークだったと思いたいところです。

メコン川に広がるすすきの草原。川の向こうはタイのはしっこ、ノーンカーイです。

というわけで、ラオスに来て今日で3か月が経ちました。そのうち2週間は隔離ホテルで過ごし、1か月半は首都のホテルでロックダウンにより待機。11月11日にやっとこさ任地に来れたわけですが、今思えばあっという間の首都待機は、一緒に待機している隊員たちと気持ちを共有できて支えになった反面、やっぱり辛い気持ちになる時間も多くありました。毎朝Facebookのラオスのメディアをチェックしては溜息をつき、活動が再開し始めた隊員が居れば内心「いいなあぁぁぁああぁあああああだぢも゛い゛ぎだい゛いぃぃぃぃぃい」とプレステ2買ってもらえない子どもぐらいバタバタしたい気持ちを隠して「やっとやな、楽しんでな!」とお見送り。いつ任地に戻れるのかもわからないまま11月になったときには、「ああ、もうこのまま任地に戻って活動できず日本に帰るんだな」と、内心思い始めました。というのも、JICA海外協力隊としての私の任期は12月13日までとなっていて、11月に入って再赴任の目途が立たないということは、例えぎりぎり滑り込みセーフで任地に来れたとしても、また最長2週間の隔離(県境を跨いだ場合の措置。ちなみにこちらは、配属先からタスクフォースへのレターが通ったので3日に短縮されました。)があって、それから活動し始め、任期の数日前には首都に戻って手続きや関係機関への表敬訪問、銀行口座のクローズ・・・となると、一体何日活動できるんだよ、と。

コロナで急に世界が変わってしまった去年の3月、「ま、どうせ3か月もすれば戻ってこれるやろ~」と任地に置いてきたたくさんの荷物もそのままで、あれから1年半待って待って待っただけだった期間、日本に居ても何かしなきゃとボランティアしたり、ラオスのイベントしたり、神社で奉仕したり、結局ドラッグストアに戻って白衣着て鬼の品出しダイエット(-7キロに成功!)したり。あんなに苦しい思いして待ったのに、結局首都滞在で終わってしまうのかー。私のこの待機生活は一体なんだったんだ・・・。持ってきたお土産たち(南部鉄器の風鈴10個、わさび30個、大袋の玄米茶5袋、お~いお茶の個包装ティーバック400個、その他もろもろ、全部で大型のスーツケース2/3ぐらい…)はどうしたらいいんだ・・。

そう思っていた私に「行ける兆しが見えてきた」の連絡がきたときは、ホテルの部屋で人様にお見せできないような小気味よく気持ち悪いステップで踊ったものですが、その数日後に「明日任地に行けます」のメールを読んだときにはもう、急展開に頭が追いつかなくて、周囲の空気をあるだけ吸ってしばらく固まることしかできませんでした。肺にたまった空気が抜けるのが先か、涙が出るのが先か。結果、びっくりしすぎて涙はひっこんで、大きく息だけ吐いたワケですが。その時食べていたカツカレー、多分ですけど、世界一美味しかったと思います。

これで300円だったんです。飛ぶぞ。

そんなこんなで、11月11日、私、任地にやってきました。

大きい肉屋ができてる!あれ、あっちにあったヤギ焼き屋さんと床屋さんのハイブリットは潰れてる。なんか道端の牛の糞少なくない?代わりにヤギかウサギかなんかのウンコめっちゃちらばってない?

後々、家の周りを歩いて近隣の家畜を観察していたところ、これはウサギではなくヤギ・・・いや、動物の糞のことはいいんですよ。周りを見渡せば、去年の3月ぶりの懐かしの任地。ああ、嬉しいなあ。ゲストハウスのお姉さんはあの時と変わらない笑顔で迎えてくれるし。ゲストハウスの隣の、カウンターパートの姉妹が営んでいるラオス料理屋さんのご夫婦も、めちゃめちゃ歓迎してくれる。ホテルでの隔離を終えて前居た家に戻ってみたら、大家さんたちは相変わらず優しいし、私がお土産に渡した南部鉄器の風鈴を風通りのいいところ(私の寝室と大家さんの玄関の間)に吊るしてくれました。夜11時以降本当になんの物音もしなくて、広い大通りを爆走していく車の音だけが響き渡るから、逆に怖いぐらいの田舎なので、こうやって大家さんちが隣にあるってことを思い出せて安心・・・と思いましたが、風が強い日は夜中に目が覚めます。

大家さんは、日本に緊急帰国した後に一旦家を引き払わないといけなくなってオンライン引き払い(JICAスタッフさんとビデオ通話して、遠隔で必要な物品を事務所に持ち帰ってもらうという悲しい作業)で回収しきれていなかったものもちょくちょく残していてくれていました。買ったら高い”ちゃんとした”ティファールのフライパン、元セネガル隊員に筋トレがてら持ってきてもらったものを置き去りにしたんですが、これも無事。ハリオのコーヒーのケトルも無事。まな板も、2枚とも無事。coiさんというラオスのコットンをつかったブランドの大判バスタオル(ベッドに敷いて使ってた)も無事。その他もいろいろ無事なものがありました。無くなったものもたくさんありましたが、一旦家を引き払っていて次の人が入っていた時期があったので、家財道具がそのままになることはないですね。これは想定内でした。他の物に関しても「滞在短いしもったいないから、無駄なもの買うんじゃないよ!」と言われ、あれある?これある?と聞くたびにどこからかソレッぽいのが出てきます。「これも準備しといたから!」と渡された中華包丁、ゴリッゴリに研がれていてそのうち私の指ごとやりそうです。大家さんありがとう。

ああ、私の欲しかった暮らしが戻ってきた。私が毎日夢に見た、あの頃の生活が戻ってきた。生産者さんとの活動も、少しずつだけど始まった。最初は申請とか報告書とか、あれこれやらなきゃいけないこともあるけど、それさえ終われば活動に専念できる・・・。


そして、赴任が叶ったこのタイミングで、わたくし、3月まで延長させてもらえることが決まりました。というのも、私は首都ビエンチャンに長期滞在したかったわけではないので、『仮に11月中に任地に行けたとして、活動できないまま帰っては来た意味がない。去年の3月から待った意味がない!』と思ってしまい、協力隊として1日でも長く活動できる道があるならどんな可能性も手繰り寄せたいと、調整員さんに相談していたのです。

もともと私は180日戻ってこれる権利があったので、6月から12月を希望したのですが、ロックダウンにより6月の渡航がかなわず9月まで延期になったので、3か月縮んでしまった分を再度12月以降に延長したい、というのが私のワガママでした。それが叶って、私は3月8日までを任期として活動させてもらえるようになったのです。

とはいえ、11月11日に任地に来てから今日までの1か月は、活動という活動はほとんどできませんでした。そろそろ長く書きすぎてる感が出てきたので、ハイライトで振り返りたいと思います。

  • 家の引越しや大掃除、片付けなど(私が帰ってる間に住んでいた人が結構はちゃめちゃしていたらしく、扉がなくなってたり、洗濯機の下から鳥の羽が大量に出てきたり・・・大変でした。バスルームで絞めたの?)

  • バイク(前回派遣時の交通手段)の代替を探しまわってようやく確保、そこから予算を取るための申請に時間がかかった

  • 配属先との活動スパンの話し合いによって職員の交代勤務中は、配属先への出勤は週2回までと制限

  • 生産者さんの巡回も、現状行けるのは1か所のみ(交通手段の予算が下りていなかったのと、感染者数がどっと増えたので巡回に行かないよう配属先上司から指示があったため)

と、生産者さんや仕立屋さんのところには何度か行けたとはいえ、生活と活動の両方で、前回派遣の時からの「マイナス」の分を「ゼロ」に持っていくところまでで1か月が終わりました。

それで今、どんな状況かといいますと、壊れた家電や家の中のこまかいところを修理してもらうとか、最低限必要なものを自転車で移動できる範囲でなんとか調達するとか、そういうのが一旦終わって不通に生活できるようになりました。そして、交通費の申請もやっとこさひと段落ついて、ようやく活動の準備が整った感じです。

インフルエンザワクチン打ったついでに食べ納めしてきました。さようならSASHIMI。

それと、あまりに急に赴任が決まったのでインフルエンザワクチンを打ち損ねたので、この木金は首都に上京してきました。このご時世、高熱なんて出そうものなら、どうなってしまうか分からないので・・・。できることは全部やったので、あとはあらゆる病原菌・寄生虫、怪我に気を付けて生活するのみです。ついでに、3月までもう上京する機会は無いかもしれないので、自炊に必要な調味料や、任地では絶対に買えないベーコン、美味しいヨーグルト、ドライフルーツなどなど、ここぞとばかりに調達してきました。

「ああ~何もできていない、どうしよう~」と思いながら過ごした任地での1か月でしたが、ここまで色々整えられたところで、ちょうど延長戦が始まります。ようやく、自分の活動ができます。

それから、もうひとつ。私の任地は『首都を自由に行き来できて、バイクが使えたから不便を感じなかった』場所であり、それが両方なくなった生活はもっと大変かと想像していました。ところがどっこい、自転車で夕方にきこきこ市場まで漕ぎながら近所の人たちと話したり、バイクだったら素通りしていたお店の人たちとも顔見知りになれたり、任地と深く関わりあう良い機会になっていることは明白で、悔しいことに自転車で出かけるのが楽しくて、用事もないのにふらふらと散策する毎日です。

こういうだだっ広い赤土の道が好きです。

そんなこんなで、前回派遣時は知らなかった任地の魅力を噛み締めつつ、1回目の活動報告書と、配属先に提出する延長分の活動計画書を書いて、やりたいことを想像していたら、もう楽しみで楽しみでたまらなくなってきました。延長は、来年の3月8日まで。どうかその日まで、また緊急帰国なんてことになりませんように・・・と願うしかありません。(トラウマ)

さあ、ここからが活動スタート。同時に3か月のカウントダウンも始まります。日本に帰るその日に「やり切った」って気持ちでラオスを発てるように、自分にできることは全部やって帰ります。改めて、明日から頑張るぞ。

大好きな景色。VTE県隊員はメコンよりナムグム派♥


#エンジンがかかった瞬間

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