学校を『諦めた』から『明らかに見える』
不登校になって、「学校を諦めた…」と思っている人がいるかもしれません。
けど、それで良いんです。
それが正しいんです。
なぜなら、『諦める』という言葉は仏教に由来していて、もともとは『明らかに見る』という意味だからです。
つまり、「学校を諦める」ということは「学校を明らかに見る」ということなのです。
学校を明らかに見て、自分(の子)には学校は合わないと思ったからこそ学校に行くことを止めて、異なる道に進んだのです。
なので、学校を諦めたことをネガティブに思う必要は全くないのです。
むしろ、『諦める』という言葉をポジティブな意味で使ってみてください。
⇩この記事でも書きましたが、「石の上にも3年」するよりも三日坊主の方がこれから必要になってきます。
諦めたからこそ見えるものがある。
やってみて違うなと思えば、「明らかに見れば(諦めれば)いい」
ポジティブに諦めて、次に切り替える。
そして、一度諦めたことでも、またやってみたいと思えばやってみれば良いだけの話です。
某バスケ漫画では「諦めたらそこで試合終了ですよ…」なんて言われていますが、むしろ諦めてからが本当の試合開始です。
某バスケ漫画の話を続けると、三井は一度バスケを諦めて、不良になり、そして、不良を諦めて(やっぱりバスケが好きだと明らかに見て)バスケに戻ってことなんですよね。
ぼくらは何度も諦めることができるし、何度も挑戦できる。
終わりがあるから始まりがある。『諦める』は新しい一歩の始まりだ。
【プロフィール】
ラオスのジーコ@laolaos_koji
親子オンラインスクール『cocowith』共同代表
ブロガー「コノミチ」
ラオスで出家した元青年海外協力隊
『先生、学校は行かなきゃいけないの??』運営
元フリースクールの先生
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