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そういう日もあるけど?

 2024年6月8日、土曜日。

 所用で外出し、帰路につく。それなりの人たちが休日ということもあって、街は少しばかりにぎやかで、様々な人たちがこのひと時を楽しんでいるように思われました。

その中で私は、用事を終わらせ穏やかな気持ちで、なんとなく音楽をザッピングしつつ歩いていたのです。


”あっ”

 音に出すのではなく、心の中で。
目の前で起きるであろうことに反応しました。

 広い歩道の真ん中で、ご高齢と思しき方が思いっきり倒れました。
あまりにも勢いよく倒れたのですが、なんとか手元が間に合って顔面は守られたように思われますが、他の部分は明らかにアスファルトに強烈に衝突しました。

動きがないようであれば駆け付けるつもりでしたが、すぐご自身で起きようとされていたので、それとなく歩きながら近づきます。いまいち、起き上がる力が弱そうと判断したので、日傘を閉じ、小走りで近づき
「大丈夫ですか」
と声をかけ、体を支えました。

「お恥ずかしいです。」
「お怪我はありませんか?気になさらず見せてください。」
と、歩道近くの階段に腰かけてもらい、出血がないか確認させてもらいました。それ以外の異常も。幸いひどい傷はありませんでしたが、階段にしゃがまれたまま動く気配がありません。
「少し近くの駅でも、歩いている時に転んでしまってね。
 近くのお店の方がかなり長い時間様子を見てくれたんだ。
 …ちょっと、もう生きることも長くないかもしれないね。」
うつむきながら話すので
「いや、いや。
 こういう日もありますよ。しかし、
 それほど大きな怪我がなく、頭も傷つかなくて
 幸いですよ。」
と、なるべく前向きになれるような言葉をかけました。
 しばらく。
黙られていましたが、
「少しだけ、助かるようで、そういうことを繋いでなんとか生きている感じですな。」
独り言のように控えめな声で喋り、俯き加減は変わりません。
「そういうことの連続かと思います。生きるということは。
 気になる所はありますか?」
「特にありませんよ。ありがとうございます。
 これ以上あなたのお時間を頂戴しても大変申し訳ないので、どうかお進みください。心遣いありがとうございます。少し落ち着きました。」

 これ以上は転ばれた方のお邪魔になることも考慮し、
「では、失礼します。この先もお気をつけてください。」
そう言い頭を下げて離れました。

 私も、老いを感じることがあります。
ほんのささいなこと。特筆するにも至らない違和感。10年くらい前は持たなかった感覚を今は感じることが出来ます。だからこそ余計に、お年を召された方の身体的トラブルに対して対応出来ればと考えています。

この気持ちの発端は、とある雪の日の帰路。
注意深く歩いていた先で、しゃがみこむ高齢の方と出会ったことでした。雪で滑り転倒し、周辺に頭を強打したのか血まみれで、通行人の方が介抱されていました。かなり、凄惨な雰囲気で思わず
「お手伝い出来ることはありますか?」
と、声掛けさせてもらいましたら
「救急車も呼びましたし、ご本人も心持がしっかりされているので大丈夫ですよ。ありがとうございます。」
とお返事を頂戴しました。

 いつまでも、体は十全ではない。だからこそ、助力できることは出来ればと感じたのです。

 幼い頃も、自分にあったこと。
老いることも、これから自分におきること。
そう考えることで、様々な年齢のヒトに優しくなる気がしています。

 

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