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#16 1960年代アメリカ公民権運動のリーダーの1人,John Lewis連邦下院議員追悼英語記事,拙訳(2980字程; Jul.20,2020, VOA Learning English)

(英文元記事1078words)

1.米国は、傑出したリーダーを金曜日(2020年7月17日)、失いました。John Lewis議員の逝去です。すい臓がんでした。享年80歳。

 ジョージア州を代表するこの立法者は、彼の人生のほとんどを人権獲得のための戦いに捧げました。彼は、いわゆる「Big Six」活動家のメンバーの最後の一人です。その6人には、Martin luther King, Jr.牧師も含まれます。

 アラバマ州の小作農家の息子であり、1960年代の黒人平等キャンペーン(公民権運動)で彼がリーダーシップを果たし得たのは、農場での困難な生活があったからです(こなれた訳難しいです。以下、原文を載せておきます。いい訳がありましたら、お教え下さい。m(_ _)m)。

A son of Alabama sharecroppers, his place in the leadership of the 1960s campaign for Black equality had its roots in that difficult life on the farm.

 Lewis氏は、Big Sixの一番若いメンバーでした。彼は、1963年の仕事と自由を求めたワシントン大行進を組織するのに助力しました。彼は、キング牧師の有名な「I Have a Dream」演説の少し前に、大勢の参加者に対して演説をしました。

 キング氏の演説は、公民権闘争における転換点を画するものでした。しかし、その闘争の終結には程遠いものでした。2年後(1965年3月7日)、警官たちは、Lewis氏が数百人のデモ行進者を率いてアラバマ州 Selmaの Edmund Pettus橋を渡っているときに、彼を殴打し流血させ、頭蓋骨を骨折させたのです。

 この暴挙は、Bloody Sundyと呼ばれるようになりました。テレビでの暴力の映像が、人種抑圧への全国的な抵抗をまとめるのに役立ったのです。

2.ワシントンの政治家たちは、プレッシャーを感じました。1965年の投票権法が、5か月後に成立したのです。この法律は、投票における人種差別を禁じ、アメリカ南部で広く行われていた人種差別行為を禁じたのです。

 Lewis氏は、1986年の下院議院当選以降、その橋に戻ってきました。彼はしばしば、二大政党のどちらからの議員とも同行しました。その攻撃がどこで行われたかを見せられるように。

 Lewis氏は、民主党の立法者からも共和党の立法者からも、ワシントンにおける尊敬を勝ち得たのです。多くの人が彼を「議会の良心」と呼びました。

 そして、彼は、最初の黒人大統領となったイリノイ州選出上院議員の助言者でもありました。

 「私は彼に、私は彼の両肩の上に立たせてもらっていますと、話ました。」と、Barack Obama大統領は Lewis氏の逝去を悼む追悼文に記しました。「私は彼に、ひとえに彼の払った犠牲のゆえに大統領になれましたと、申し上げました。」と、大統領は付け加えました。

 Lewis氏が、King牧師のワシントン大行進の計画に参加したのは、23歳のときでした。(前述のように)彼は、何十万人ものデモ参加者のイベントで、激しい演説を行ったのです。

 しかし、それは彼が(当初)計画していた激しさ程のものではありませんでした。Lewis氏は、John F. Kennedy政権や他の関係者からの圧力の下、演説を和らげるいくつかの修正に応じたのです。しかし彼はなお、社会的変革のための妥協をすることなく、強い演説をしました。

3.1965年初旬、Lewis氏は、彼の故郷のアラバマ州でのデモ行進で、数百人の参加者を率いました。彼らは Selmaから、州都の Montgomeryまで80キロを歩く計画でした。

 (しかし、)彼らはそれ以上先には進めませんでした。

 警官たちは、Selmaの橋の上で彼らをブロックしたのです。警官たちはデモ行進者たちを殴打するのにこん棒を用い、彼らに催涙ガスを浴びせ、馬にまたがったまま彼ら群衆に突っ込んだのです。多くのデモ行進者たちは病院に送られました。国民は恐れおののきました。

 「私たち人間をタンクでも転がすように扱った光景は、それまで決して目にするものではありませんでした。」と、Lewis氏は後に書いています。「人々は単にこのようなことが起きるなんてことを信じることができませんでした。ここはアメリカであろうはずもない(そう信じたかった)。」とも。

4.The 'boy from Troy'(Troy町から来た少年)

 Lewis議員は、1940年2月21日金曜日、アラバマ州の小さなTroyという町で生まれました。彼は、人種別に分けられていた公立学校に通いました。

 彼が Martin Luther King, Jr.牧師が若い聖職者としてラジオで話しているのを初めて聞いたのは、10代のときでした。彼ら2人は、Lewis氏がアラバマ州の大学に初めての黒人学生として入学できるように支援して欲しいと手紙を書いた後に、会いました。Lewis氏は(結局)、代わりに、テネシー州ナッシュビルの大学に進むことになりました。

 すぐに、King牧師が「Troy町から来た少年」と呼んだその若い青年は、白人専用レストランでのシットイン(sit-ins, 座り込み)を指揮したり、フリーダム・ライダーズ(Freedom Riders, 南部の人種隔離法により白人用・非白人用に分けられていたバズに乗り込み、人種による座席区別を公然と破り、差別の不合理さを訴える人たち)としてのボランティアをするようになりました(http://democracynow.jp/video/20100201-1)。Lewis氏は、南部全域の人種隔離政策への闘争において、幾度も警官により殴られ、逮捕されました。

 Lewis氏は、学生非暴力調整委員会(the Student Nonviolent Coordinating Committee, or SNCC)設立を援助しました。彼は、1963年から1966年にかけて強力なグループを率い、公民権活動や投票者登録キャンペーンを何年も続けてました。1977年にJimmy Carter氏は、Lewis氏を 連邦ボランティア機構 ACTIONを指揮する要職に任命しました。

5.Lewis氏は、2017年のDonald Trump大統領の就任式への出席を断りました。彼は、選挙過程へのロシアの介入がそれ(大統領就任)を不法なものとしたと論じました。Lewis氏は、その後に続くいくつかの大統領就任イベントにも出席しませんでした。それには、下院で行われる年1回の一般教書演説も含まれました。

 Trump氏は、Lewis氏逝去後に公にコメント行わなかったことを批判されました。その批判のニュースが出された14時間後、Trump氏はツイッターに、「公民権運動の英雄 John Lewis氏が亡くなった記事に接し悲しんでいます。Melaniaも私も、彼と彼のご家族にお悔やみを申し上げます。」と記しました。

 Trump大統領はまた、日曜日にホワイトハウスや連邦政府敷地・建物における半旗(弔意を表すために旗竿の半分程度の位置に掲げる旗のこと)を掲げるように命じました。

 Lewis氏は2019年末ごろに、膵臓癌があることを公表しました。「今直面してるような闘争には全く直面したことはありません。」と彼は当時、述べました。

6.連邦下院議長 Nancy Pelosi氏は、Lewis氏について、月曜日にアメリカのニュース番組で語りました。彼女は彼の亡くなる前日に彼と話をしたことを明かしました。

 「とても悲しいことでした。」と、Pelosi氏は、彼らの間で話したことについて語りました。「私たちはその日(亡くなる前日)まで、決しての彼が死ぬなんてことを話したことはありません。」

 Lewis氏は、彼がそう呼ぶところの、活動における「いいいざこざ(good trouble)」に介入することで知られていました。2018年6月、彼はツイッターに書きました。「絶望の海で迷うな。希望を持ち、楽観的でいなさい。我々の闘争は1日だけの闘争でも、1週間、1月、1年だけの闘争でもない。それは人生をかけた闘いです。決して、一度たりとも、何か不平を言うことを恐れるな。いいいざこざ、不可欠ないざこざをしょい込みなさい。」

 今年初旬、彼は、世界中の Black Lives Matterデモ参加者を支持する、同様のメッセージを発信しました。

 「正義は、本当に、ずっとずっと長く否定されてきました。

 (頭を使い)組織的に(協力して)活動しなさい。デモ活動をしなさい。座り込みなさい。立ち向かいなさい。票を投じなさい。」と、彼は言いました。

以上(2020/7/26 3:57 a.m.)

Caty Weaver wrote this story. Ashley Thompson was the editor.


参考: ①LIVE on July 26, 2020 at 11 a.m. ET (2020/7/27 0 a.m. JT) | Rep. John Lewis’s casket crosses the Edmund Pettus Bridge from Selma to Montgomery

②Edmund Pettus Bridgeの写真の掲載元(Free-Images.com)


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