2021年12月28日(火)|先帝入水
『平家物語』「先帝入水」の段を読む。
二位尼(清盛の妻)が、自分の孫にあたる安徳帝を抱いて海へと身を投げる場面。二位尼が安徳帝に語りかけたとされる次のことばが有名であろう。
安徳帝が入水しなければならなくなった原因にたいする二位尼の説明について、写本間に異同があるらしい。以下、覚一本と延慶本との間の相違をまとめたもの。
① 覚一本(世間に流布した語り本系テクスト)
② 延慶本(最古の読み本系テクスト)
ちなみに延慶本の続きには、二位尼による遺詠が記録されているらしい。
ここでの「みもすそ川」というのは、伊勢神宮の傍を流れる「五十鈴川(いすずがわ)」の別名と言われている(伊勢神宮ホームページを参照)。
そもそも平家とは「伊勢平氏」に由来する一門であり、伊勢は二位尼ならびに安徳帝にとっても縁が深い土地ということになる。
二位尼はその伊勢の「みもすそ川」を、壇ノ浦の「浪」に沈む直前に詠んだ和歌に詠み入れた。
そのように考えると、この一句のなかに対称的な二つの〈水場〉を見出すことができる。
そしてこの「みもすそ川の流れ」と「浪(壇ノ浦の海)」の下には「都」がある。
逆から言えば、この「都」において「平家が生まれたみもすそ川」と「平家が滅びる壇ノ浦」とはつながっている。
この浪の下の都において、平家の人々は時空を超え、再び一堂に会すことができる。
・・・あまりに感傷的かつファンタジー過ぎる解釈でしょうか。そんな気がします。
何はともあれ、延慶本における「・・・浪の下にも都ありとは」が、覚一本における「浪の下にも都のさぶらふぞ」に変化したと考えるのが妥当らしい。
※参考文献は、杉本圭三郎[訳注]の『平家物語』(講談社学術文庫)
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